のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

鶴瓶の家族に乾杯、見ました。

2011年10月31日 23時24分02秒 | Weblog
NHK総合テレビ
鶴瓶の家族に乾杯「再会編 間寛平 福島県相馬市」(前編)
見ました。

辛いことのほうがはるかに多いはずなのに、
明るく振る舞おうとする人たち。
そんな人たちに笑いのパワーを与えられる鶴瓶さん、寛平さん。

妹さんが「あの津波」で未だ行方不明なのに、
ロケ中にはおくびにも出さなかったご夫婦。
涙が出ました。

人の思いを自分でも共有できる感受性。
感動、笑い。
人に何かを与えられるという才能、人間性。
素晴らしいと思いました。
レベルの差はあります。
あそこまで凄くなれなくても、自分もかくありたいと。

地震、津波はいろいろな、たくさんの人、ものを奪った。
想像を絶する苦しみ、悲しみ。
何かと知ったかぶりをする私は実は何もわかっちゃいないのだ。

番組中、補償云々の話が出ました。
あれだけの被害が出たのだから国が補償して当たり前。
それは間違いではないのだろうけれど、
そう言える、それが実現されるのは、
世界の常識から考えれば奇跡的なこと。
震災から半年で、ほとんどの希望する人たちに、
一家族に一軒、仮設住宅が支給される。
日本では当たり前の話かもしれない。
適切なたとえかはわからない。
たとえば洪水の被害が出ているタイで、家を失った人々に、
同じ対応(望む国民に等しく仮設住宅を支給)ができるかといえば、
それは無理でしょう。

被災された方々は皆苦しい。
補償を受けたい。
せっかく収穫した作物が福島産というだけで買って貰えない農家。
その他壊滅的な被害、打撃を受けた産業。
壊滅的とまではいかなくとも、
物質的、心理的両面で多大な被害、打撃を受けた人たち。
被災した、だから国家に補償を求める。
それは本音であり、同じ立場に立ったら私も同じなのでしょう。
けれどそれを当然のものとして、当然の権利として、
当たり前に請求し、当たり前に受け取る。
それが奇跡的な幸運であり、
私たちは幸いにそういう国に生まれてきたことも忘れてはならないでしょう。

笑福亭鶴瓶さん、間寛平さん。
感動をありがとうございました。
すべての被災地、被災者に幸大からんことを祈ります。
理屈ばかりの私も「何かをしなければならない」と心に刻みつつ。

最後に、日本国憲法より抜粋。

日本国憲法より

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。