のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

そこのけそこのけ橋下が通る?

2011年10月22日 22時43分01秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#大阪府の橋下徹知事(42)は22日未明、府議会の浅田均議長に辞職願を提出し、府議会本会議で同意された。辞職は31日付。橋下知事は本会議終了後、大阪市長選(11月13日告示、27日投開票)に出馬すると表明した。(毎日jpより)

なんか最近、橋下さんの驕り(おごり)を感じちゃうの、私だけですかね。
言っていることの正当性は別として、
俺がルールだ、目的のためなら手段選ばず、みたいな。

不勉強で申し訳ないのですが、
大阪都構想については、
行政の無駄を省けるのかなあ、
くらいの認識で、本当に正しいのかはよくわかっていない。
大阪府、大阪市、大阪都。
その違いを理屈で説明せよと言われたら私はお手上げです。
仮に正しいことだとして、
それを通すためなら、合法的なことならなんでもしていいっていうのは、
ちょっと強引すぎると思うんです。

民主主義っていうのは最終的には多数決で物事が決まる。
「51対49」で物事が決まったら、
負けた49のほうは従わなければならない。
そういうルールがないと何も決められない。
それはわかります。
でもね。
議論に議論を重ねた上で。
その前提は必須でしょ。
とにかく数的優位に立てばいい。
どうせ数的優位なんだから、なんでもやっていい。
その発想はとても危険なものに感じるのです。

橋下さん。
弁護士出身っていうのもあるのかな。
誤解を怖れずに言えばね。
裁判の判決って、法律に基づいてとか、判例とかいろいろあるにしろ、
まあ最後には裁判官の私見で決まるわけじゃないですか。
最後は人が決めなきゃならないのだからそうせざるを得ないわけで。
あくまで合法的な手段でという前提の元、
とにかく自分の主張が人を納得させられたら勝ち。
そういう世界でしょ、裁判って。
橋下さんが実際に法廷の現場に立ったことがあるかとかは知らない。
でもそういう「世界」を生き抜いた上で、
大阪府知事選挙に立候補して当選したのは間違いない。

カダフィ大佐と同列に論じるつもりはないけれど、
民主主義の世界にも独裁者というのはいる。
そこのけそこのけ橋下が通る。(←ありゃ、ダジャレになっている(笑))
今は笑ってみていられるけれど、
橋下さんが「合法的独裁者」になる姿は見たくない。
それは人間的なアクの強さとはまた別もの。
「おごる平家は久しからず」
歴史は繰り返すのだろうか。