のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

パソコン講師としてのプロでなくなるということ

2014年12月02日 02時48分54秒 | Weblog
昨日の話の続き。
お客様がいらっしゃった。
パソコン教室のお客様だ。
話は概要だけ伺い、今日の午後一時にまた来ていただくことになった。
せっかく来ていただいたのに、ちょうど父のデイサービス迎えと重なってしまったので失礼なことをしてしまった。
心が痛む。

正直に言った。
パソコン教室はたたむ方向で動いていると。
けれど。
断れなかった。
その人はあまりにも低姿勢だった。
この人を断るのは講師としてでなく人間としてどうなのよ。
そういう人であった。

過分な「寸志」も頂いた。
商売ではないから受け取れないと辞退したが。
父の世話がある時間。
受け取って貰わない限り帰らない。
そんな姿勢だったので受け取った。

その寸志を受け取ったこと。
それが私の心を動かした。
お金に目がくらんだということじゃなくてね。
パソコン教室をたたんだとして。
相談できる近所のパソコンの詳しいおじさんに戻るとして。
やはりただで教えてもらうことに抵抗がある人はいるのだと。

それならサブの職業としてのパソコン教室は残そう。
メインの新しい仕事を始めるとして。
必要とする人が数が少なくともパソコン教室は残そう。
そのとき(つまり昨日)はそう考えた。

また考えた。
やっぱりこれは違うなと。
中途半端な気持ち、姿勢で、プロとしてお金は受け取れない。
けじめ、踏ん切りというものもある。
中途半端な形で残さないほうがいい。
やはりパソコン教室はきちんとたたんだほうがいい。

パソコンに詳しい近所のおじさんに戻る。
それがちょっとした親切としてパソコンを教えたりもする。
そのレベルに戻す。
教えてもらうならお礼をしないと気が済まないという人もいるだろう。
こちらが要らないと言っても、お礼をしないと心の負担になるという人もいるだろう。
現に昨日のお客様はそうだったわけだから。
金品は基本は固辞する。
どうしても断れそうになかったら受け取る。
ただしプロとして受け取るよりは必ず低い金額で「気持ち」として受け取る。

今日、そのお客様がまた来てくださる。
根拠を説明して、高額すぎる頂いた寸志の多くはお返ししよう。
もうパソコン教師のプロとしてお金は頂かない。
そう、今。
私はパソコン講師としてのプロでなくなったのだ。

決めたこと。
次の道に向かって進む。
なぜか心は爽やか、穏やかだ。
今、夢は膨らんでいるのである。
幸せなのである。