のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

七恵さん、あなたは十分かっこよかったよ

2009年06月29日 22時24分24秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://www.ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#日本女子マラソンのパイオニア的存在で、1984年のロサンゼルス五輪代表の永田(旧姓・佐々木)七恵さんが27日に直腸がんで亡くなっていたことが29日、分かった。53歳だった。(MSN産経ニュースより)

日本であの時代に、
「走ること」に少しでも足を突っ込んだ人間なら、
(走るのを見るのが好きという人も含める)
決して忘れることのできない名前であったはずだ、

しばらくは旧姓の佐々木で、佐々木七恵さんと書くことを許していただこう。

今の人は知らないだろうけどね。
佐々木七恵さんはさ。
凄い人だったんですよ。

有森裕子
高橋尚子
野口みずき

女子マラソンで日本人のオリンピックメダリストはいる。
彼女らが物凄い努力をしたことは想像に難くない。

でもね。
先駆者としての佐々木七恵さんはさ。
極端に言えばさ。
「女がマラソン?」
そんな時代にマラソンを始めた人だったわけ。

今の女性ランナーのように、
世界レベルでのマラソンランナーを目指すにあたって、
マラソンロードも大会も最初からあって、
(持ちタイムによる参加資格はあるかもしれないが)
エントリーさえすれば走れる。
たとえば30年前はそんな時代じゃなかったよ。
滅茶苦茶な荒れ地を自分でマラソンロードに整備してから走らなければならない。
たとえて言うならそういう時代の人だったわけ。

オリンピックで凄い成績を残したわけじゃないよ。
でもそれは、いささかも佐々木七恵さんの評価を落とすものではない。

以下は永田七恵さんと書きます。
復帰後に陸上界に寄与したのは永田七恵さんとしてだったから。

この早すぎる死に際して、
多くの人がコメントしているように、
永田七恵さんの日本女子マラソン界における功績は計り知れない。
私は決して彼女を忘れないし、
彼女の功績も決して消えない。

女子マラソンがオリンピックの正式種目に採用されたのは、
1984年のロサンゼルスオリンピックからである。
それ以前の女子マラソンランナーがどんな苦労をしてきたかは、
正直に言うとよく知らない部分が多いから「知ったかぶり」はやめておく。

間違いないのは
何事も先駆者は偉大だってこと。
永田七恵さんは間違いなく偉大な先駆者だった。

永田(旧姓・佐々木)七恵さんのご冥福を心よりお祈りします。