のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

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三沢光晴の死。これは虎の穴の悲劇なのか?

2009年06月14日 21時40分48秒 | Weblog
>“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://www.ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#13日午後8時45分ごろ、広島市中区基町の県立総合体育館で開かれていた「プロレスリング・ノア」の試合中に、プロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、救急車で病院に運ばれた。広島中央署によると、同日午後10時10分に死亡が確認された。(asahi.comより)

なるべく簡潔に書きます。
プロレスについて本気で語り始めたら、
スペースがいくらあっても足りないから。

いつか起きるはずの悲劇だった。
たまたま昨日起きたというだけだ。
事故は鍛錬の足りないやつが起こすもの。
その論には賛同できなかった。

いくら凄い訓練していたってね。
あんなこと続けていたらいつか死人も出ますよ。
トップレスラーの死の悲しみは
全てのプロレスファンで共有しなければならないものだ。

それでも私はプロレスそのものを否定する気にならないのね。
トップ選手で死人の出るスポーツはプロレスだけじゃない。
命をかけて戦うプロレスラーの姿は、
私にいろいろなことを教えてくれた。

プロレスを八百長と言う人は多い。
勝負がある程度決まっている。
それを指して言えばそう言う人の気持ちもわからないではないが、
若い頃プロレスにのめり込んだ身としては、
やはりプロレス八百長論には抵抗を感じてしまう。

凄い鍛錬を積んでいるわけですよ、プロレスラーは。
攻めるだけのプロレスは存在しない。
もちろん自分も技を決めることができるけれど、
その代償として基本相手の技を全て受けなくてはならない。
受け身の取れない、あえて取らない技も多いしね。
相手を全て受け止めて、自分も精一杯表現して、
そして対話が成立する。
凄いものですよ。
本物のプロレスってやつは。

楽しければいいじゃんと言う人もいるけれど
狂言師が出てきて
「空中元彌チョップ」
とかで初戦でプロのプロレスラーに勝っちゃうプロレスは私も嫌い。
あれもプロレスって頭ではわかっているんだけどね。
本能的に受け付けないのよ。
ああいうのは。

かつて馬場さんの上げた足に鶴田や三沢が突っ込んでいくことはあったけどね。
それは許せるんだ。
自分の技を相手に受けさせるだけじゃなく
あのお歳で馬場さんは相手の技もちゃんと受けていたから。

2代目タイガーマスクとして世に出た生粋のプロレスラー。
三沢はプロレスを続けたがために死んだ。
それは受け止めなくちゃいけない。
そして私は多くのプロレスファンと同じように
この事故を受けてもプロレスを否定しない。

殉職したプロレスラー。
三沢光晴さんのご冥福を心からお祈りします。