のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

三沢光晴の死。斎藤彰俊は加害者じゃない。

2009年06月15日 03時19分59秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://www.ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#13日の試合中に頭を強打し、46歳で亡くなった人気プロレスラー三沢光晴さんが所属したプロレス団体「ノア」の興行が14日、福岡市の博多スターレーンで予定通り行われ、ファンが早すぎる死を悼んだ。(MSN産経ニュースより)

>同じニュースの中にこんな記事が
#三沢さん最後の試合で対戦相手の一人だった斎藤彰俊選手(43)はこの日の試合後、リングサイドに飾られた遺影に向かって土下座。「(三沢)社長はまだまだやりたいことがあったのに。おれがあんなことをしちゃって。どんな重い十字架でも背負う」と涙ながらに話した。(MSN産経ニュースより)

「斎藤空気読めよ」
ってネット上で言う人がいるけれど、
斎藤を責めるのは酷ってものだ。
三沢が希有の天才だったからこその悲劇。
試合中「並のレスラー」の様子がおかしかったら
相手も手心を加えたかもしれないが、相手は三沢だ。
いくら三沢の様子がおかしかったとはいえ、
三沢を信じていたからこそのバックドロップだったはず。
調子が悪かったからといって三沢相手に
へなちょこ技を仕掛けて納得するほどファンの目は甘くない。
だからこその急角度バックドロップ。
それが「プロの」プロレスラーってものだ。

ただし斎藤に全く何も感じるなっていうのも無理な話。
これで斎藤が全く「平気」だったら
「人間としてどうなの?」ってことだ。
本人も言うとおりこれから
「重い十字架を背負う」
ことになるだろう。

プロレスラーは常に死と隣り合わせ。
生半可な覚悟ではできない。
観る方ももちろんのこと。
それを三沢は身をもって示してくれた。

タイガーマスクは不死身じゃなかった。
献花台の前で泣き崩れるファンの写真。
三沢はそういう人を惹きつける人間だったってこと。

うん、久しぶりにプロレスが生で見たくなった。
三沢の魂がそこら辺を飛んでいる気がする。
無念の三沢、自分も思いを新た。
無念の三沢のぶんまで生きて生きて生ききってやる。