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壱岐に残る元寇の跡

2014-01-22 09:02:53 | ブログ

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とある日の西日本新聞を見ていると、一面に

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元寇の記事がドーーーンと掲載されていました。

読んでみると、

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鷹島の海底遺跡で、元軍が「てつはう」の着火に使ったと見られる「火打石」が発見されたとのこと。

鷹島といえば、先日伺った

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鷹ふぐバル松浦を出店している、松浦市にある島です。

以前のブログ→まつうランチ♪

さて、なぜ元寇の新聞記事が気になったかというと、壱岐にも元寇の跡が数多く残っているからです

まずは、観光マップでも紹介されているコチラ↓

Img_3473

「少弐(しょうに)公園」

海に面した景色の素晴らしい公園で、

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キャンプ場も隣にあり、キャンプやお散歩など天気が良い日には行きたくなるような場所です。

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しかし、ここは元寇跡地。 公園の中に入ると、

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弘安の役の石碑がたっており、ここが元軍が攻めてきた場所だということがわかります。

公園内にある、なんだか細長くてかわった石

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コチラは『碇石(いかりいし)』です。

左京鼻沖で見つかったもので、元寇の際、兵士や食糧、馬などを輸送していた日本軍の船の碇だといわれています

そして、芦辺港のフェリーターミナル駐車場にあるので、ご存じの方も多いかと思いますが、

Photo

『少弐資時』(しょうに すけとき)

彼のお墓もココ「少弐公園」にあります。

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少弐資時は、弱冠19歳で壱岐の守護代に命じられ、元軍に立ち向かった弘安のヒーローです。壱岐では「ショウニイ様」と呼ばれ、ずっと慕われています

そして、少弐公園のすぐそばにある、壱岐で一番新しい神社

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『壱岐神社』に少弐資時は祀られています。

実は、公園内にある石積みの墓が少弐資時の墓だと分かったのは明治31年のこと

「ショウニイ様」こと少弐資時を600年以上も語り継ぎ、守ってきた地元の人々の信仰心は、昭和19年に本殿造営により、ついに形になりました

 

そして少し時代がさかのぼりますが、勝本町にある

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『新城神社』

ここには、文永のヒーローとよばれる『平景隆』(たいらのかげたか)が眠っています。

また、そばには

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『千人塚』とよばれる、元寇の際に亡くなった方のお墓もあります。このような形のお墓は、壱岐島内にいくつか存在しています。

元寇は、日本が最初に外国から攻められたと言われている史実です。

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壱岐にとっては悲しい史実ではありますが、今映画で人気の『永遠の0』にもあるように、先人たちの昔があるからこそ今があるわけで、このような史実にそっと手を合わせる壱岐観光があってもいいかと思う、今日この頃です。

ちょっと違う側面の壱岐の旅。。

いつもの壱岐観光と合わせて立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

壱岐の観光に関するお問い合わせ

壱岐市観光連盟

0920-47-3700

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