つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

泉岳寺赤穂四十七士の墓所(1)

2010年12月28日 | 日記
                     高輪泉岳寺を参拝する大樹君と凌也君

泉岳寺は慶長17年(1612年)に徳川家康が外桜田に門庵宗関を招いて創建。寛永18年(1641年)寛永の大火で焼失したが、徳川家光の命で、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷・今川の6大名により、現在の高輪の地で再建された。

元禄赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂浪士が葬られていることで知られ、現在も多くの参拝客が訪れる。
また、毎年12月13日、12月14日には義士祭が催される。また境内に、赤穂浪士ゆかりの品を所蔵している「赤穂義士記念館」がある。

孫の大樹君(小6年)と凌也君(小4年)を連れて泉岳寺に行った。
天気に恵まれて、参拝者も多かった。
その多くの人たちが赤穂四十七士の墓所へ出向いていた。
孫たちに「忠臣蔵」の話をしておく。
浅野長矩が切腹したときに血を浴びた岩や、吉良上野介の首を洗った井戸などの横を通って墓所へ向う。

墓所までの一角には、赤穂義士記念館と義士木像館が建っている。
その前には石の通路と石柱が整備されている。
石柱には巨人軍長嶋茂雄など寄贈した人の氏名が刻んである。

(12月28日記)


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