私の武蔵野第三中学校の美術の恩師に武藤忠春先生がいます。
修学旅行に行く前の授業では、京都の神社仏閣等の絵を黒板に綺麗に画いて説明してくれたことを思い出します。
武藤先生は、絵画制作とは別に、旧日本海軍の艦艇模型の調査、研究、制作を趣味としております。「艦艇模型展」の開催案内を頂き、会場へ出かけました。
会場は、お台場の船の科学館の隣にある羊蹄丸(かつて青函連絡船として活躍していた)。
武藤先生は、この展示について、「戦争を肯定するものではなく、日本造船技術の一端を代表する「大和」や艦船模型を通して、造船技術の発展に対する理解や興味を深めていただきたい。さらに不戦の誓いとして太平洋戦争で軍艦とともに戦没された数多くの英霊に対する鎮魂の祈りにつながることを切望しながら制作をしました」と語っていました。
10分の1の戦艦“大和”の模型製作図面を3年間にわたり作図しておりました。
その図面はとても精密に詳細に描かれておりました。
そして、100分の1の戦艦“大和”の精密模型が展示してありました。
また、武藤先生作の「航空母艦“瑞鶴”、巡洋艦“利根”、潜水艦“伊180”」がかなりのスペースをとって展示されていました。
自宅でその艦艇模型を収納するのには一部屋占領されていたとのこと。
その艦艇模型は、展示会終了後は、船の科学館に永久展示されることとなっています。
(3月8日記 池内和彦)
修学旅行に行く前の授業では、京都の神社仏閣等の絵を黒板に綺麗に画いて説明してくれたことを思い出します。
武藤先生は、絵画制作とは別に、旧日本海軍の艦艇模型の調査、研究、制作を趣味としております。「艦艇模型展」の開催案内を頂き、会場へ出かけました。
会場は、お台場の船の科学館の隣にある羊蹄丸(かつて青函連絡船として活躍していた)。
武藤先生は、この展示について、「戦争を肯定するものではなく、日本造船技術の一端を代表する「大和」や艦船模型を通して、造船技術の発展に対する理解や興味を深めていただきたい。さらに不戦の誓いとして太平洋戦争で軍艦とともに戦没された数多くの英霊に対する鎮魂の祈りにつながることを切望しながら制作をしました」と語っていました。
10分の1の戦艦“大和”の模型製作図面を3年間にわたり作図しておりました。
その図面はとても精密に詳細に描かれておりました。
そして、100分の1の戦艦“大和”の精密模型が展示してありました。
また、武藤先生作の「航空母艦“瑞鶴”、巡洋艦“利根”、潜水艦“伊180”」がかなりのスペースをとって展示されていました。
自宅でその艦艇模型を収納するのには一部屋占領されていたとのこと。
その艦艇模型は、展示会終了後は、船の科学館に永久展示されることとなっています。
(3月8日記 池内和彦)
「明治天皇と日露戦争」の映画を中学生の頃に観ました。
明治天皇は嵐寛十郎が演じておりました。
日本艦隊が大きく迂回してバルチック艦隊に対して横方向へ移動したときに、ロシア軍人が「何を馬鹿なことをしている」と笑っていたシーンを思い出します。
すべて計算された作戦であったのですね。
貴重なオルゴールの音楽を聴きました。
朝から元気を頂いたようです。
素晴らしいプレゼントを有難うございました。
またプレゼントを残します。お楽しみ下さい。
http://www.ne.jp/asahi/disc15/mbs/soundlis.htm