つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

真面目な無責任男が逝ってしまった

2007年03月28日 | 芸能
植木等さん(クレージーキャッツ)が呼吸不全のため80歳で死去した。
三重県のお寺の息子として厳しく育てられた。
東洋大学では陸上競技部に所属していて、中距離の選手だった。
お酒もタバコもやらない真面目な人で、若いタレントやスタッフのことをとても気遣い、多くの人からの信望も厚かったようだ。

私が中学生のときに、フジテレビの「おとなの漫画」が面白いと、学校の仲間たちで話題になった。
高校生の時には、映画では「無責任男シリーズ」が始まっていた。
当時の大人の入場料金は350円であったことを思い出した。
映画が封切りになるとどこも満員の盛況で、観客は笑い転げて観ていた。
昭和の高度成長時代の日本のサラリーマンを風刺した内容が大衆に受けたようだ。

昨年亡くなった青島幸男氏(放送作家)の葬儀に参列した後、体調を崩し入院をしていたが、ついに逝ってしまった。
「延命処置はしない。葬儀は身内でやってほしい」と家族に話していたとのこと。
病院には、同僚達(犬塚弘、谷啓、桜井センリ)が何度も見舞いに駆けつけた。
付き人だった小松政夫は、名古屋での舞台を終えてすぐ駆けつけたが、永眠直後だった。

「新・喜びも悲しみも幾年月」では、助演男優賞(日本アカデミー賞、毎日映画コンクール等)を受賞。
紫綬褒章、勲四等旭日小綬章なども受章している。
大きな実績を残して、真面目なタレント植木等が、ハナ肇、宮川泰、青島幸男のいる天国に旅立った。

「お呼びでない」、「ハイそれまでヨ」、♪チョイト一杯のつもりで飲んでの「スーダラ節」が懐かしく思い出される。
ご冥福をお祈りします。

(3月28日記 池内和彦)




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4 コメント

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大好きでした (tabi-taro)
2007-03-29 09:13:45
おはようございます。
私も植木等さん、大好きでした。今はあまりテレビは見なくなりましたが、その昔はシャボン玉ホリデーの大ファンでした。日本版ケレラセラ・・・・くよくよせずに、明るく、前向きに・・・
植木等さんには大いに元気付けられました。
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真面目な無責任男が逝ってしまった (つれづれなるままに)
2007-03-29 17:08:35
tabi-taroさん
コメントを有難うございました。
昭和の爆笑男でしたね。植木等さんは。
歌も、映画も、自分とはキャラクターが違うといって躊躇していたところ、実父が背中を押してくれたようです。
その結果、サラリーマンはじめ多くの人に勇気付ける歌や元気を与える映画が出来て、植木等像が出来上がったようです。
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すかっとした笑い (野の花)
2007-03-31 18:40:27
クレィジーキャッツが隆盛の頃といえば 人々が希望に満ちていましたね。お笑いも今のような陰湿な笑いではなかった時代。植木等さんの豪快な笑いに あらまっっと謂いながら その実 スカットしていて大好きでした。その植木さんは実は真面目で誠実なお方だったと伺って なるほどと大きく頷いたものです。あの笑いの清々しいこと さもありなん。
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真面目な無責任男が逝ってしまった (つれづれなるままに)
2007-03-31 20:49:49
野の花さん こんにちは
昭和の映画の代表的な面白さがありましたね。
「植木等さんの豪快な笑いに あらまっっと謂いながら その実 スカットしていて大好きでした。その植木さんは実は真面目で誠実なお方だったと伺って なるほどと大きく頷いたものです。あの笑いの清々しいこと さもありなん。」
その通りです。
僧侶を父上に持つ植木等は、環境から実直な人でした。
父親のアドバイスにより、自分とは性格のまったく違う無責任男役を見事に演じて多くの人を楽しませてくれましたね。
それは野の花で癒されることと同じでしょうか。
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