現在住宅で埋まった馬橋西口や旭町、栄町、新松戸にかけての江戸川左岸地帯は、昭和中頃までは、江戸時代に新田開発された下谷三千石と呼ばれていた広大な水田地帯で、良質の田米やもち米を大量に生産にしました。
旧三村新田(昭和34年では戸数8戸)はその中央部に位置しています。
開発された各新田には豊作祈願と感謝を込めて、穀物の神・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)稲荷社が祀られました。この為か稲荷社が多く存在しています
(西馬橋4-589)
旧三村新田(昭和34年では戸数8戸)はその中央部に位置しています。
開発された各新田には豊作祈願と感謝を込めて、穀物の神・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)稲荷社が祀られました。この為か稲荷社が多く存在しています
(西馬橋4-589)