ボンカレー:発売40周年「記念日」に決定 松坂慶子・松山容子も祝う 2008年2月12日 毎日
http://mainichi.jp/life/food/graph/20080212/
ボンカレー発売から40周年にあたる12日、大塚食品が2月12日を「レトルトカレーの日」として、日本記念日協会に正式登録したことを発表した。発表会には2代目イメージキャラクターの松坂慶子さんも駆けつけ「カレーは日本の食卓に欠かせません。今後もさらに50年、100年とボンカレーがみなさんに愛されるように、私もお手伝いします」と国民食の長寿を祝った。
発表会では松坂さんが、仕事が忙しい時などは、自宅でもボンカレーを利用していると話し、「子どもたちもボンカレーは大好きです。『私のカレーはおいしいでしょう』と自慢しながら食卓に出します」と公私にわたる“ボンカレー生活”を披露。イメージキャラクターに決まった時は、友だちの女優さんからもうらやましがられたと話した。
また初代イメージキャラクターの松山容子さんもビデオ出演し「ボンカレーのお姉さんと呼ばれたことがうれしかった。松坂さんもボンカレーを大切に育ててください」とメッセージを寄せると、松坂さんも「先輩の名に恥じないよう、ボンカレーのイメージを受け継いでいきたい」と返した。
会場では、笑福亭仁鶴さんが出演し「3分間待つのだぞ」「じっとがまんの子であった」の流行語を生んだ「子連れ狼」のパロディーCMなど歴代のテレビCMが流された。また、78年にCM出演した王貞治・福岡ソフトバンクホークス監督もビデオで登場。「私がCMに出演した78年は、ホームラン800号を達成した記念すべき年でした。ボンカレーを国内のみならず、世界中のみなさんに食べてもらいたい」と祝辞を寄せた。
また「カレー」をテーマに料理や音楽の分野で活躍している4人組ユニット「東京カリー番長」の水野仁輔さんも登場し、松坂さんから初代ボンカレーをご飯によそってもらう場面も。かぐわしいカレーの香りが漂う中で水野さんは、「初代ボンカレーのジャガイモのゴロゴロ感は忘れられない」とウンチクとともに感慨を語り、“松坂さんに盛りつけてもらったカレー”だけに、おいしさもひとしおの様子だった。
「ボンカレー」は、「お湯で温めるだけで、だれでも簡単にできる」国内初のレトルト食品として、1968年2月12日に全国発売。これまでに25億食を売り上げた。発売当時は、レストランのカレーが100円だったのに対し、ボンカレーが80円。最初のうちは「手抜き料理」などと評され、販売が伸びず、今でも目にする松山容子さんのホーローの看板は、営業マンが自ら各地で取り付けてまわったという。
同社の中井吉人社長は「40年愛され続けたボンカレーのイメージを守り、駅伝のように次世代にバトンを受け継いでいきたい」と、さらなる時代に向けた思いを語った。同社では40周年を記念し、現在は沖縄だけで販売されている初代ボンカレーを他の46都道府県でも13日から100万食限定で出荷する。
あのボンカレーが発売40周年を迎えたそうです。共働きだったウチの母は手抜きと言われるのが嫌だったのか、小さな子供がレトルト食品を取るのをあまり好まなかったこともあり、私自身は幼少時にボンカレーを食べた記憶はあまりないのですが、それでも「3分間待つのだぞ」のCMや松山容子さんのホーロー看板がマチのあちこちに設置してあったのはおぼろげに覚えていますし、もしこの商品が開発されることがなければ、レトルトカレーどころか、レトルトパウチを使ったあらゆる商品も開発されていなかった(スーパーに行けば当たり前のようにおいてあるパスタソースやお鍋の素シリーズもここまでは普及していなかったでしょうね…)のだろうな…と考えると随分感慨深いものがあります。
ちなみに、今回100万食限定で発売される初代ボンカレーは、沖縄では今でもあの松山容子さんを表に出したあの味で売っているようで、今ではすっかり沖縄土産に定着しているそうで…。(買う側からすれば重たいけど安くついて助かりますね…^^)
世間にこれだけ数々の種類のレトルトカレーが出ている中、たまにボンカレーやククレカレーを食べるだけでも『あ~懐かしいなこの味は…』と思えるくらいですから、個人的には、この初代ボンカレーを定番シリーズに含めてもそこそこは売れると思うのですが、あえてそれをしないのも粋というものなのでしょうか…。
http://mainichi.jp/life/food/graph/20080212/
ボンカレー発売から40周年にあたる12日、大塚食品が2月12日を「レトルトカレーの日」として、日本記念日協会に正式登録したことを発表した。発表会には2代目イメージキャラクターの松坂慶子さんも駆けつけ「カレーは日本の食卓に欠かせません。今後もさらに50年、100年とボンカレーがみなさんに愛されるように、私もお手伝いします」と国民食の長寿を祝った。
発表会では松坂さんが、仕事が忙しい時などは、自宅でもボンカレーを利用していると話し、「子どもたちもボンカレーは大好きです。『私のカレーはおいしいでしょう』と自慢しながら食卓に出します」と公私にわたる“ボンカレー生活”を披露。イメージキャラクターに決まった時は、友だちの女優さんからもうらやましがられたと話した。
また初代イメージキャラクターの松山容子さんもビデオ出演し「ボンカレーのお姉さんと呼ばれたことがうれしかった。松坂さんもボンカレーを大切に育ててください」とメッセージを寄せると、松坂さんも「先輩の名に恥じないよう、ボンカレーのイメージを受け継いでいきたい」と返した。
会場では、笑福亭仁鶴さんが出演し「3分間待つのだぞ」「じっとがまんの子であった」の流行語を生んだ「子連れ狼」のパロディーCMなど歴代のテレビCMが流された。また、78年にCM出演した王貞治・福岡ソフトバンクホークス監督もビデオで登場。「私がCMに出演した78年は、ホームラン800号を達成した記念すべき年でした。ボンカレーを国内のみならず、世界中のみなさんに食べてもらいたい」と祝辞を寄せた。
また「カレー」をテーマに料理や音楽の分野で活躍している4人組ユニット「東京カリー番長」の水野仁輔さんも登場し、松坂さんから初代ボンカレーをご飯によそってもらう場面も。かぐわしいカレーの香りが漂う中で水野さんは、「初代ボンカレーのジャガイモのゴロゴロ感は忘れられない」とウンチクとともに感慨を語り、“松坂さんに盛りつけてもらったカレー”だけに、おいしさもひとしおの様子だった。
「ボンカレー」は、「お湯で温めるだけで、だれでも簡単にできる」国内初のレトルト食品として、1968年2月12日に全国発売。これまでに25億食を売り上げた。発売当時は、レストランのカレーが100円だったのに対し、ボンカレーが80円。最初のうちは「手抜き料理」などと評され、販売が伸びず、今でも目にする松山容子さんのホーローの看板は、営業マンが自ら各地で取り付けてまわったという。
同社の中井吉人社長は「40年愛され続けたボンカレーのイメージを守り、駅伝のように次世代にバトンを受け継いでいきたい」と、さらなる時代に向けた思いを語った。同社では40周年を記念し、現在は沖縄だけで販売されている初代ボンカレーを他の46都道府県でも13日から100万食限定で出荷する。
あのボンカレーが発売40周年を迎えたそうです。共働きだったウチの母は手抜きと言われるのが嫌だったのか、小さな子供がレトルト食品を取るのをあまり好まなかったこともあり、私自身は幼少時にボンカレーを食べた記憶はあまりないのですが、それでも「3分間待つのだぞ」のCMや松山容子さんのホーロー看板がマチのあちこちに設置してあったのはおぼろげに覚えていますし、もしこの商品が開発されることがなければ、レトルトカレーどころか、レトルトパウチを使ったあらゆる商品も開発されていなかった(スーパーに行けば当たり前のようにおいてあるパスタソースやお鍋の素シリーズもここまでは普及していなかったでしょうね…)のだろうな…と考えると随分感慨深いものがあります。
ちなみに、今回100万食限定で発売される初代ボンカレーは、沖縄では今でもあの松山容子さんを表に出したあの味で売っているようで、今ではすっかり沖縄土産に定着しているそうで…。(買う側からすれば重たいけど安くついて助かりますね…^^)
世間にこれだけ数々の種類のレトルトカレーが出ている中、たまにボンカレーやククレカレーを食べるだけでも『あ~懐かしいなこの味は…』と思えるくらいですから、個人的には、この初代ボンカレーを定番シリーズに含めてもそこそこは売れると思うのですが、あえてそれをしないのも粋というものなのでしょうか…。