さらに、伸一は、めざすべき人間教育とは何かについて、論じていった。
「人間教育の理想は、『知』『情』『意』の円満と調和にあります。つまり『知性』と『感情』と『意志』という三種の精神作用を、一個の人間のうちに、いかに開花させていくかが課題であります」
「知」は、ものを知る能力一般を意味し、理性や悟性も、そのなかに含まれる。さらには、情報洪水といわれる現代にあって、与えられた情報という素材を、自分で考え、処理する、高度な認識能力、すなわち思考力といえよう。
また、「情」は、快・不快を示す気分をはじめ、情緒、情操、激情などであり、いわば、精神の情的側面を意味している。
「意」は、欲望や本能といった自然的要求に基づくものではなく、明らかな意図に基づいて自己を決定し、なんらかの目的を追求するバネ(発条)となるものをいう。
「知」「情」「意」という精神作用を十全に開花させていくには、何が必要か――山本伸一の話は、いよいよ核心に迫っていった。
「それは、『自己の人間としての向上、完成をめざす主体性』であり、また『すべての人に対する慈悲の精神』であります」 この二つの支えがあってこそ、「知」「情」「意」は、現にある人間の生活、社会環境を切り開いていく源泉となるのである。
「人間教育の理想は、『知』『情』『意』の円満と調和にあります。つまり『知性』と『感情』と『意志』という三種の精神作用を、一個の人間のうちに、いかに開花させていくかが課題であります」
「知」は、ものを知る能力一般を意味し、理性や悟性も、そのなかに含まれる。さらには、情報洪水といわれる現代にあって、与えられた情報という素材を、自分で考え、処理する、高度な認識能力、すなわち思考力といえよう。
また、「情」は、快・不快を示す気分をはじめ、情緒、情操、激情などであり、いわば、精神の情的側面を意味している。
「意」は、欲望や本能といった自然的要求に基づくものではなく、明らかな意図に基づいて自己を決定し、なんらかの目的を追求するバネ(発条)となるものをいう。
「知」「情」「意」という精神作用を十全に開花させていくには、何が必要か――山本伸一の話は、いよいよ核心に迫っていった。
「それは、『自己の人間としての向上、完成をめざす主体性』であり、また『すべての人に対する慈悲の精神』であります」 この二つの支えがあってこそ、「知」「情」「意」は、現にある人間の生活、社会環境を切り開いていく源泉となるのである。
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