「日蓮大聖人の仏法は、『宿命転換の仏法』です。また、『人間革命の仏法』です。そして、『社会変革の仏法』であります。自己の、さらに、万人の崩れざる幸福境涯を確立し、恒久平和を築き上げるためには、この正法を弘め、広宣流布していく以外にない。その広宣流布が、日蓮大聖人の『誓願』であり、大聖人の御精神のままに前進する創価学会の『誓願』であります。
大聖人は、『開目抄』で、広宣流布の『誓願』を果たしゆく烈々たる御決意を、次のように述べられています。『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』(御書二三二ページ)」
“諸天善神が自分を捨てるのであれば、捨てればよい!多くの難に遭うというのであれば、遭おうではないか!わが生命をなげうって戦い抜くのみだ!”との叫びである。
この御文は、一九六〇年(昭和三十五年)の五月三日、伸一が第三代会長として広宣流布の指揮を執るにあたって、深く生命に刻んだ一節である。ここには、大聖人の透徹した信念の師子吼がある。一生成仏という自身の崩れざる幸福境涯を確立し、万人の幸福と平和の道を開くには、広宣流布の「誓願」に生き抜かなければならない。
だが、そこには、大難が待ち受けている。ゆえに、「不退の心」が不可欠となる。集った一人ひとりの女子学生の前途には、就職、結婚、出産など、さまざまな人生の転機や、環境の変化があろう。華やかな世界に目を奪われ、地道な仏道修行に嫌気が差すこともあるかもしれない。仕事などに追われ、気がつくと、学会活動から遠ざかっていることもあるかもしれない。夫や、その家族から、信心を反対されるかもしれない。さらに、組織での人間関係がうまくいかずに、悶々とすることもあろう。そこで負け、信心から離れてしまえば、退転の道に堕していってしまうことになる。
この「開目抄」では、舎利弗などの退転の事例があげられている。――過去世において、舎利弗が六十劫という長い長い間、菩薩道を修め、人に物を施す布施行に励んでいた時のことである。婆羅門(司祭階級)の一人が現れ、舎利弗に「眼をくれ」と乞うた。舎利弗は求めに応じて、自分の片方の眼を抜いて与えた。
婆羅門は、その臭いをかいだ。
「臭い。いやな臭いだ!」
そう言って、眼を投げ捨て、踏みつけた。
“こんな輩を救うことは無理だ!もう、自分の悟りだけを考えて生きよう” 舎利弗は、六十劫もの間、修行を重ねてきたにもかかわらず、菩薩道を捨てて、小乗の教えに堕したのだ。退転である。
婆羅門の行為が、あまりにも非道、傲慢であるだけに、世間の法では、舎利弗がそうしたのは、仕方がないと考えるかもしれない。しかし、自身の心の中に法があるととらえる仏法では、相手や周囲が良いか悪いかといった、相対的な関係では物事を見ない。常住不滅なる生命の法理のうえから、“自分は何をしたのか”“自己に勝ったのか。負けたのか”に、一切の尺度があるのだ。
「眼をくれ」と言っておきながら、それを捨てて、踏みつけた婆羅門によって、実は舎利弗の心は、試されていたのである。舎利弗は、せっかく長い長い修行を積み重ねてきたが、究極のところで、万人成仏の法を信じ抜くことができなかった。一切衆生に仏性が具わっているという、大仏法の法理を確信できなかった。悪縁に触れて、無明という迷いの生命が、自らの胸中にわき起こり、信心をかき乱されてしまったのである。結局、いざという時に、舎利弗は師の教えを忘れ、自分の心に敗れたのだ。
山本伸一は、言葉をついだ。
「大聖人は『開目抄』で、さらに『善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし』(御書二三二ページ)と仰せになっている。いかなる理由があろうが、信心を捨てれば敗北です。不幸です。地獄のような、厳しい苦悩の生命に堕ちていく。どうか、この御聖訓を、絶対に忘れないでいただきたい。
妙法は宇宙の根本法則です。それを曼荼羅として御図顕されたのが御本尊です。その御本尊を、信じ切っていくなかに、永遠の幸福の大道がある。そして、大聖人は、この御文の後、『大願を立てん』と宣言される。この御精神を受け継ぎ、末法の広宣流布のために出現したのが、わが創価学会です。皆さんも、その学会の後継者として、生涯、広宣流布の大願に生き抜いていただきたい」
皆、一言も聞き漏らすまいと、真剣な表情で耳を傾けていた。
「大聖人が『善に付け悪につけ』と仰せのように、魔は、“法華経を捨てれば国主の位を譲ろう”“念仏を称えなければ父母の首をはねるぞ”などと、誘惑と脅しを巧みに使い、アメとムチで責め立ててくる。しかし、『種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり』と大聖人は言われている。御自身の正義が智者によって破られない限り、いかなる大難にも、決して動ずることはないとの仰せです」
日蓮大聖人には、御自身の説く法門こそが、正法正義であるとの絶対の大確信があった。文証、理証、現証のうえからの、確かなる裏付けがあったのである。大聖人は、一切経を学び極めており、いかなる批判も、木っ端微塵に粉砕していった。まさに言論闘争の王者であられた。
山本伸一は、情熱を込めて訴えた。
「いかに最高の法を持っていても、論破されてしまえば、正法正義とは言えません。正義なればこそ、断じて勝たねばならない。ゆえに、言論の勇者となって、学会を守り、民衆を守っていくことは、最高学府に学んだ皆さんの責任であり、使命です。そのために、学びに学び、書きに書いていくんです。これからは、女性が言論の潮流を、世論をつくる時代です」
「はい!」
伸一は、その声に、若々しい魂の、決意の響きを感じた。
「さらに、『開目抄』で大聖人は、『其の外の大難・風の前の塵なるべし』(御書二三二ページ)と仰せになっている。身命に及ぶ、どんな大難であっても、風の前の塵のように吹き払っていく。何も恐れず、広宣流布という大願を果たしていくとの御断言です。創価学会は、その大聖人の御遺命のままに進んでいる団体です。今や学会は、日本一の大教団になりました。嫉妬されて、非難・中傷されるのは当然です。船が動けば波が立つようなものです。創価学会も、また私も、さらに攻撃され続けるでしょう。
戸田先生は、よく『社会が創価学会の真価をわかるまでには、二百年かかるだろう。学会は歴史上、かつてない団体だから、誰も、その本当のすばらしさがわからないのだ』と言われておりました。全く、その通りです。どうか、皆さんは、いかなる試練があったとしても、目先のことに一喜一憂するのではなく、もっと長い尺度で物事を見ながら、信念の人生を歩み抜いていただきたいのであります」
山本伸一の話は、「開目抄」を通しての信心の究極の指導であった。自身の生涯にわたる生き方が問われる、峻厳な内容であった。女子部学生局のメンバーは、それを、しっかりと生命で受けとめていた。伸一も、その手応えを感じながら、話を続けた。
「信心、学会活動は、若い時代に、“自分としてやるべきことは、すべてやった。ここまでやった。悔いはない”と言えるように、頑張ることです。 『所願満足』と言いますが、広宣流布のために戦い切ったという満足感が、人生の『所願満足』の土台となり、未来にわたる幸福、福運の、盤石な礎になっていくんです。また、今世の広宣流布に生き抜いた満足感が、来世を決定づけていきます。ゆえに、信心を離れては、未来の幸福も、来世の幸福もないことを知ってください」
大聖人は、『開目抄』で、広宣流布の『誓願』を果たしゆく烈々たる御決意を、次のように述べられています。『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』(御書二三二ページ)」
“諸天善神が自分を捨てるのであれば、捨てればよい!多くの難に遭うというのであれば、遭おうではないか!わが生命をなげうって戦い抜くのみだ!”との叫びである。
この御文は、一九六〇年(昭和三十五年)の五月三日、伸一が第三代会長として広宣流布の指揮を執るにあたって、深く生命に刻んだ一節である。ここには、大聖人の透徹した信念の師子吼がある。一生成仏という自身の崩れざる幸福境涯を確立し、万人の幸福と平和の道を開くには、広宣流布の「誓願」に生き抜かなければならない。
だが、そこには、大難が待ち受けている。ゆえに、「不退の心」が不可欠となる。集った一人ひとりの女子学生の前途には、就職、結婚、出産など、さまざまな人生の転機や、環境の変化があろう。華やかな世界に目を奪われ、地道な仏道修行に嫌気が差すこともあるかもしれない。仕事などに追われ、気がつくと、学会活動から遠ざかっていることもあるかもしれない。夫や、その家族から、信心を反対されるかもしれない。さらに、組織での人間関係がうまくいかずに、悶々とすることもあろう。そこで負け、信心から離れてしまえば、退転の道に堕していってしまうことになる。
この「開目抄」では、舎利弗などの退転の事例があげられている。――過去世において、舎利弗が六十劫という長い長い間、菩薩道を修め、人に物を施す布施行に励んでいた時のことである。婆羅門(司祭階級)の一人が現れ、舎利弗に「眼をくれ」と乞うた。舎利弗は求めに応じて、自分の片方の眼を抜いて与えた。
婆羅門は、その臭いをかいだ。
「臭い。いやな臭いだ!」
そう言って、眼を投げ捨て、踏みつけた。
“こんな輩を救うことは無理だ!もう、自分の悟りだけを考えて生きよう” 舎利弗は、六十劫もの間、修行を重ねてきたにもかかわらず、菩薩道を捨てて、小乗の教えに堕したのだ。退転である。
婆羅門の行為が、あまりにも非道、傲慢であるだけに、世間の法では、舎利弗がそうしたのは、仕方がないと考えるかもしれない。しかし、自身の心の中に法があるととらえる仏法では、相手や周囲が良いか悪いかといった、相対的な関係では物事を見ない。常住不滅なる生命の法理のうえから、“自分は何をしたのか”“自己に勝ったのか。負けたのか”に、一切の尺度があるのだ。
「眼をくれ」と言っておきながら、それを捨てて、踏みつけた婆羅門によって、実は舎利弗の心は、試されていたのである。舎利弗は、せっかく長い長い修行を積み重ねてきたが、究極のところで、万人成仏の法を信じ抜くことができなかった。一切衆生に仏性が具わっているという、大仏法の法理を確信できなかった。悪縁に触れて、無明という迷いの生命が、自らの胸中にわき起こり、信心をかき乱されてしまったのである。結局、いざという時に、舎利弗は師の教えを忘れ、自分の心に敗れたのだ。
山本伸一は、言葉をついだ。
「大聖人は『開目抄』で、さらに『善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし』(御書二三二ページ)と仰せになっている。いかなる理由があろうが、信心を捨てれば敗北です。不幸です。地獄のような、厳しい苦悩の生命に堕ちていく。どうか、この御聖訓を、絶対に忘れないでいただきたい。
妙法は宇宙の根本法則です。それを曼荼羅として御図顕されたのが御本尊です。その御本尊を、信じ切っていくなかに、永遠の幸福の大道がある。そして、大聖人は、この御文の後、『大願を立てん』と宣言される。この御精神を受け継ぎ、末法の広宣流布のために出現したのが、わが創価学会です。皆さんも、その学会の後継者として、生涯、広宣流布の大願に生き抜いていただきたい」
皆、一言も聞き漏らすまいと、真剣な表情で耳を傾けていた。
「大聖人が『善に付け悪につけ』と仰せのように、魔は、“法華経を捨てれば国主の位を譲ろう”“念仏を称えなければ父母の首をはねるぞ”などと、誘惑と脅しを巧みに使い、アメとムチで責め立ててくる。しかし、『種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり』と大聖人は言われている。御自身の正義が智者によって破られない限り、いかなる大難にも、決して動ずることはないとの仰せです」
日蓮大聖人には、御自身の説く法門こそが、正法正義であるとの絶対の大確信があった。文証、理証、現証のうえからの、確かなる裏付けがあったのである。大聖人は、一切経を学び極めており、いかなる批判も、木っ端微塵に粉砕していった。まさに言論闘争の王者であられた。
山本伸一は、情熱を込めて訴えた。
「いかに最高の法を持っていても、論破されてしまえば、正法正義とは言えません。正義なればこそ、断じて勝たねばならない。ゆえに、言論の勇者となって、学会を守り、民衆を守っていくことは、最高学府に学んだ皆さんの責任であり、使命です。そのために、学びに学び、書きに書いていくんです。これからは、女性が言論の潮流を、世論をつくる時代です」
「はい!」
伸一は、その声に、若々しい魂の、決意の響きを感じた。
「さらに、『開目抄』で大聖人は、『其の外の大難・風の前の塵なるべし』(御書二三二ページ)と仰せになっている。身命に及ぶ、どんな大難であっても、風の前の塵のように吹き払っていく。何も恐れず、広宣流布という大願を果たしていくとの御断言です。創価学会は、その大聖人の御遺命のままに進んでいる団体です。今や学会は、日本一の大教団になりました。嫉妬されて、非難・中傷されるのは当然です。船が動けば波が立つようなものです。創価学会も、また私も、さらに攻撃され続けるでしょう。
戸田先生は、よく『社会が創価学会の真価をわかるまでには、二百年かかるだろう。学会は歴史上、かつてない団体だから、誰も、その本当のすばらしさがわからないのだ』と言われておりました。全く、その通りです。どうか、皆さんは、いかなる試練があったとしても、目先のことに一喜一憂するのではなく、もっと長い尺度で物事を見ながら、信念の人生を歩み抜いていただきたいのであります」
山本伸一の話は、「開目抄」を通しての信心の究極の指導であった。自身の生涯にわたる生き方が問われる、峻厳な内容であった。女子部学生局のメンバーは、それを、しっかりと生命で受けとめていた。伸一も、その手応えを感じながら、話を続けた。
「信心、学会活動は、若い時代に、“自分としてやるべきことは、すべてやった。ここまでやった。悔いはない”と言えるように、頑張ることです。 『所願満足』と言いますが、広宣流布のために戦い切ったという満足感が、人生の『所願満足』の土台となり、未来にわたる幸福、福運の、盤石な礎になっていくんです。また、今世の広宣流布に生き抜いた満足感が、来世を決定づけていきます。ゆえに、信心を離れては、未来の幸福も、来世の幸福もないことを知ってください」
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