成長の原動力は、自分が一切の責任を担おうと決めることだ。主体者となることだ。それが師弟ということだよ。 . . . 本文を読む
師への賞讃は、弟子の勝利である。伸一は“戸田先生の正義を世に示し、師匠を宣揚するために、書いて書いて書きまくろう!”と決意していた。 学会が、どんなに高く評価されようが、師匠が正しく理解され、讃えられなければ、そこには師の精神の継承はない。学会精神とは、牧口常三郎の、そして、戸田城聖の生き方のなかに脈動しているものであるからだ。いや、仏法そのものが、人の生き方のなかにあるといえよう。ゆえに、日蓮大 . . . 本文を読む
伸一は入り口に立ち、最敬礼しながら、一人ひとりと握手を交わした。自らマイクを握って司会・進行役も務めた。質問会を行い、ピアノも弾いた。汗まみれになりながらの、体当たりの激励であった。柯文隆は、その伸一の振る舞いを生命に焼き付けるように見ていた。“先生は、まさに命を削って私たちを励ましてくださる。これが仏法指導者の在り方なのか!この精神を受け継がなくては!” . . . 本文を読む
「良心」を、そして、「勇気」を呼び覚ましてくれるのが師である。だから、正しい師をもつ人は、正義の道を歩み抜くことができる。強く勇敢に生き抜くことができる。人生の師をもつ人は幸福である――。 . . . 本文を読む
『諫暁八幡抄』には『月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり』(御書五八八ページ)と仰せであります。
仏法西還、東洋広布は御本仏たる日蓮大聖人の御予言であり、御確信であります。
しかし、それは、決して自然にそうなっていくものではない。断じて『そうするのだ』という、弟子の決意と敢闘があってこそ、大願の成就がある。私どもが立たなければ、大聖 . . . 本文を読む
三台の撮影台を使って写真撮影が行われたが、長野研修道場は長蛇の列が途切れることはなかった。飯山、長野、上田から、穂高、松本から、塩尻、諏訪から、飯田、伊那から、続々と同志は集って来た。
山本伸一は、記念撮影が終わるたび、皆に声をかけ、語り合い、何十人、何百人もの人と握手を交わした。
記念撮影も終盤に入った時、日焼けした精悍な顔の青年が、感極まった声で語った。
「先生! ありがとうございま . . . 本文を読む
幹部の話は、確信にあふれ、〝なるほど〟と頷けるものがあり、歓喜と感動を呼び起こすものでなければならない。
「てきぱきした対話のない単調な長話は、鈍感を示す」(注)とは、イギリスの哲学者ベーコンの警句である。
会合で、何を、どう話すか――山本伸一も、青年時代から、真剣に悩み、考えてきた。
新鮮で説得力のある話をしようと、懸命に読書を重ね、新しい知識や先人の格言などを通して、信心の在り方を訴える . . . 本文を読む