ある日、釈尊が托鉢のために、舎衛城(サーヴァッティー)に入ると、一人のバラモンの男が、罵りの声をあげた。「止まれ、偽沙門め! 賎しいやつめ! お前など、ここに来るな」
釈尊は悠然として切り返した。
「あなたは、『賎しいやつ』と言われたが、賎しいとはどういうことですか。また、何によって、人は賎しくなると思うのか」
バラモンという座に安住し、人を見下すことへの、本質的な問いであった。男は、答えなかった . . . 本文を読む
さらに彼は、当初、学者の間では、寒冷の北海道では無理であると言われていた稲作が、道庁の役人の指導のもとで成功に導かれていった史実を紹介し、こう語った。
「私はここに、理論家と実践家の決定的な違いというものを見せつけられた思いがしたのであります。理論は大事なものであって、決して軽視すべきものではない。しかし、理論家たちが不可能と断定した稲作でも、実践家が立派に可能にしてしまった事実は、何を物語っ . . . 本文を読む
大聖人は、自らを「法華経の行者」と言われた。行者とは行動の人のことであり、行動してこそ、真実の仏法者であることを示している。
風が吹けば波が立つように、行動を起こせば状況は変化する。行動は壁を破り、自分の境涯を開く力である。
行動の人には、あきらめはない。行き詰まったように見えても、行動のなかから、常に新しき道が開かれるからだ。
(17巻・緑野) . . . 本文を読む