山本伸一は、海外メンバーに、次々と声をかけ、レイを贈るなどして励ましていった。メンバーのなかに、ウルグアイから来日した四人の青年がいた。男性二人、女性二人である。
同行の幹部が、伸一にメンバーを紹介した。四人のうち、一人は、日系人の男性で、あとの三人は、スペイン・イタリア系などのウルグアイ人であった。ウルグアイは南米の南東部にあり、ブラジルとアルゼンチンに隣接する国である。日本とは、ほぼ地球の . . . 本文を読む
後年、伸一と対談集を編んだブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁も、こう語っていたことがある。
「私は十代の終わりから、働き抜いてきました。しかし、苦労したなどと思ったことはありません。ただただ命がけで仕事をしてきただけです」
自身を完全燃焼させ、その時々の自らの課題に懸命に取り組む人にとっては“苦闘”などという思いはない。あえて言えば、それは“歓闘”といえるかもしれない。 . . . 本文を読む
伸一が「これまでの半生で、最も苦労し、心身を削られたという、苦闘の人生史の一ページを、お話しいただければ」との質問をすると、意外な答えが返ってきた。
「実はこの種のご質問が一番お答え申し上げにくいのです。と申しますのは、正直のところ、自分の歩みを、今静かに振り返ってみて、あの時は非常に苦しかった、大変な苦闘であったという感じがあまりしないのです。他人からみて苦闘と思われることはあっても、自分で . . . 本文を読む