山本伸一は、さらに、「私の信ずるところでは、人間の触れ合いの究極の機軸は、師弟という関係にも求められると思います」と記した。
「教え」「教わる」という師弟の関係は、人生という人間の営みのすべての場面にあり、友好も、この師弟関係を意識する時、最も理想的な形になるのだ。
「つまり、お互いに師であると共に弟子であるといった、深い人間関係への洞察をもって人間の触れ合いがなされる時、友好は最も実り豊か . . . 本文を読む
子どもたちの表情を見ていた峯子が、伸一につぶやいた。「天使のようですね」
伸一は、この子たちと日本の子どもたちが、自由に遊びやスポーツに興ずる姿を思い描いた。
“それが地球家族だ。人類の本当の姿だ。きっと、そういう時代をつくるからね”
彼は心に誓った。子どもの未来のために道を開くことは、大人の使命である。 . . . 本文を読む
「タン能生存、我当然仍要学習……」(もし私が生きていくことができるならば、もちろん、私は学び続けていく)
その文字に、山本伸一の目は釘付けになった。
魯迅が亡くなる二カ月前に書いた手紙の一節である。
伸一の一行は、メッキ工場の視察に続いて、魯迅の故居を見学した。石畳の道に面して、その家はあった。
魯迅が上海での九年間のうち、晩年の三年半を過ごした住まいである。
レンガ造りの三階建ての家で . . . 本文を読む
車中、中日友好協会の二人の青年との語らいが弾んだ。伸一は、車窓から見える木々や花々に始まり、中国の主要都市の特徴や歴史などを、細かく尋ねていった。
「謂う勿れ、今日学ばずして来日有りと」とは、南宋の朱子学の祖・朱熹の戒めである。「『今日学ばなくとも明日がある』と言ってはならない」というのである。
伸一は、常にその決意で、瞬間、瞬間、何かを学び、何かを吸収しようと必死であった。その向学の心を失っ . . . 本文を読む