烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

THE 有頂天ホテル

2006-09-15 23:59:06 | 映画のこと
 公開当時見そびれてしまった『THE 有頂天ホテル』をDVDで観る。年の瀬のホテルを舞台にしてさまざまな人物が交錯して悲喜劇が生まれる。若い頃の夢を捨てて現在の仕事に情熱を抱けない副支配人、夢を捨て故郷に帰ろうとするベルボーイ、贈賄で政治生命が危機に瀕している政治家とその秘書、その政治家の前妻だった客室係、娼婦とのスキャンダルの暴露に戦々兢々としながらも授賞式に望む男とその夫婦関係に疲れてきた妻、ホテルに入るたびにつまみ出される娼婦、名声はあるが自身のない演歌歌手、売れない芸能プロダクションの社長とその芸人たち、富豪の父親とその愛人にその仲を清算させようとする息子、型にはまった仕事しかできない筆耕係などなど。
 この喜劇も劇中さまざまなことが起こるのだが、皆それぞれ何かをつかんで結局元の鞘に収まる。そしてそれが楽しく爽やかな印象をもたらす。
 注目すべき登場人物はたくさんいるが、ここではベルボーイ只野憲二(香取慎吾)に注目したい。冒頭歌手の夢を捨てて故郷に帰ろうとするベルボーイが、ギターとともに同僚に捨てるように与えてしまう「幸運の」緑のマスコットが出てくる。それを持ちながら八年歌って幸運は来なかったのだから、受け取る同僚もそれが「幸運の」マスコットなどとは信じない。劇中このマスコットは、いわばどうでもいいものとして登場人物に次から次に手渡されていく。この実体の伴っていない小さな象徴が、最後に悪徳政治家の手から感謝をこめて元のベルボーイに手渡される。やがてバンダナとギターも彼の手に戻ってくる。今までの「歌手を目指していた」彼を支えていた物たちが円環を描いてもとに戻ったとき、彼はそこに自分の運命を読み取るのである。これらの小道具は、彼以外の人にとってはさしたる意味もないものだが、彼にはその意味が十分分かっている。これらのものは結局彼の手に戻るのだから、この劇の初めと終わりを単純に比較してみると、物理的にはまったく等価な状態である。にもかかわらずそこには新たな意味が生まれ、彼は希望を燃やしてもう一度歌手を目指すのである。
 希望は突然やって来て単線的に進む時間に別な輝きを与える。その光はそれを見ようとする人にしか見えない。その輝きの中では時間がその航路を外れるのであるが、私たちはそれを言祝ぐ。先の保証のない新年の到来を祝うように。
 劇の中ではそれぞれが自分の航路からわずかに外れる。結局もとには戻るのだが、その顔は輝いている。笑いと時間、笑いと希望についての楽しい映画だった。