烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

祖先の物語2

2006-09-13 20:17:35 | 本:自然科学

 『祖先の物語』下巻を続けて読む。第26章旧口動物の中で「バッタの物語」のところでは、近縁のバッタどうしが酷似しており人為的操作を加えれば交尾して繁殖力のある雑種ができることが述べられ、話は人種の問題に及ぶ。ドーキンスは私たち人間には人種というものが存在するが、すべて同じ種のメンバーであり、生物学的にも全然異論のないことであるのでに、私たちは人種という用語を放棄するのをためらうという矛盾を指摘する。黒人と白人はお互いに配偶者となり、さまざまな混血の程度の子孫を作る。肌の色からすれば黒い肌に限りなく近い子孫もいれば逆もおり、単純な皮膚の色だけからは白人と黒人を区別することは不可能である場合でも、顔全体の特徴などから白人と黒人を区別する。つまり人種的分類が客観的に無意味であるような場合にでも人種的分類を簡単には放棄しないのである。肌の色は、えんどう豆の丸さのように本当の優性形質ではないにもかかわらず、黒人と白人の間に生まれた子供は例外なく黒人と呼ばれる。生物学的には無意味であるにもかかわらず、こうした区別が存在することに対して、ドーキンスは社会的・人間的関係からみて反対であることに賛成しつつも人種分類に遺伝学的・分類学的価値がまったくないというもう一つの極端にも反対する。偏見は偏見として反対しながらも、情報としての価値(不確実性という事前の状態を低減させるという情報学的な意味)は認める。このことは非常に微妙な問題を含んでいるが、生物としての人間が視覚から得られる肌の色という情報をことのほか重要視しているという生物学的事実として認めるべきであろうと思われる。先天的遺伝的な特定の形質に対する感受性が賦与されているのだろう。社会学ではこうした前提はひどく嫌われるが、配偶者の選択という行動がこうした肌の色や文化的影響に強く影響されやすいという事実はきちんと認めなければならないだろう。


 その後にはショウジョウバエの項で有名なホメオボックス遺伝子の話が取り上げられ、ワムシの項では有性生殖は無性生殖に対して本当に進化論的に有利なのかどうか、ヒルガタワムシという例外的存在を取り上げ論じている。その後カンブリア紀の珍奇な生物の話、進化の速度について中立的遺伝子座に起こる突然変異率の話(木村資生、太田朋子の有名な研究が取り上げられる)など盛りだくさんの話題が続く。緩歩動物であるクマムシのことは、ドーキンスも可愛いと告白しており、先日読んだ『クマムシ?!』の著者の偏愛ぶりを思い出し思わず笑ってしまった。生き物を愛する人は皆こうなのだ。
 この辺を通りすぎると、ランデブーしていく生物に感情移入するのがだんだん困難になってくる。細菌類の章は生命の起源という核心に触れ、生命の出現が太陽に依存しているのではなく深海の中にその秘密があるのではないかという説が紹介される。


 最後の「主人の帰還」では、進化の偶然性を認めながらも特定の形態が収斂して進化することを取り上げ「価値」をもつ進化、「進歩」という要素もあることを故グールドに反対する形で述べている。それにしても何という壮大な巡礼の旅だろう。自然科学の本で、爽やかな読後感を与えてくれる稀な本である。ここでもう一度原点に帰って『利己的な遺伝子』を読みたくなってきた。