『パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト』を観る。上映時間2時間31分という大作ながら退屈することなく楽しめた。前作同様痛快な映画だった。鑑賞してから知ったが、今回の作品は第2部ということで、来年完結編が公開されるという。興行収入が上がれば、続編、続々編を作成するという方法が定着している。制作会社も俳優も鑑賞者もヒットすればそれで文句なしというところであろう。
世界のいたるところできな臭い戦火が絶えないが、すでに滅びてしまった戦闘は、映画で観ても生々しさがないので、安心して堪能できるのがいいのかもしれない。カリブの海賊や古代ギリシャの戦士や中世の騎士などがこれに当たる。現代の戦闘シーンでは、こうはいかないだろう。
カリブの海賊が主人公となっているので、昔読んだ(したがって内容はほとんど忘れた)『イギリス海賊史』(チャールズ・ジョンソン著、朝比奈一郎訳、リブロポート社刊)という本を思い出した(上下二分冊で計800頁余りになる大著だが、今手に入るだろうか。当時は一冊1800円ほどだった)。この本は、1724年初版で、十八世紀初頭の、主として西インド諸島とマダガスカル島を中心に海賊行為をしていた兵達の列伝である。著者の正体も詳らかでなく、自身海賊であったともいう。またあの『ロビンソン・クルーソー』の著者であるダニエル・デフォーではないかという説もあるそうだ。
この本によれば当初西インド諸島は、海賊たちが我が物顔に略奪をしていた海域であったという。その理由として、この海域には船の修理などをする港に恵まれた無人島などが無数にあり、フランス、スペイン、オランダ、イギリスなどの貿易航路として多数の物資が交易されていたこと、そして軍艦からの追跡を逃れるのに恰好の地理的条件であったことを著者は挙げている。それに次のような政治的状況もあったようだ。
ユトレヒト講和条約(1713)以降の海賊の興隆、少なくとも彼らの甚だしい増大は、西インド諸島のスペイン植民地のせいだと言ってよい。これら植民地の総督たちは本国で零落した廷臣で、身代をたてなおすかひと財産をつくるためにこの地に送られてきた連中であることが多く、儲かることならどんなことでも奨励するのである。彼らは、密貿易の取り締まりを口実にして多くの船に私掠船の許可を与え、植民地沿岸から五リーグ以内に立ち入った船はすべて拿捕するように命じている。
映画に描かれた姿を見ると、一見無法者たちの集団のように思えてしまうが、実際はそれぞれの国家を後ろ盾に掠奪をしていた非公式な軍隊組織のようなものだったのだろう。映画でも随所にパーレイ(交渉)やネゴシエイトという言葉が使われており、海賊稼業もかなり計算高い経済行為であったのではなかろうか。戦争にはいつも損得勘定がしっかり働いていており、どの時代も例外はなかったのだと考えていると、鑑賞後の気楽さもやや醒めてしまった。