烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

ヒトの進化

2006-12-27 20:29:22 | 本:自然科学

 『シリーズ進化学5 ヒトの進化』(斎藤成也、諏訪元、颯田葉子、山森哲雄、長谷川眞理子、岡ノ谷一夫著、岩波書店刊)を読む。
 昨年からシリーズで刊行されていたのは知っていたがどうだろうかと思いながらも買っていなかった本を購入した。科学的仮説としての「進化論」という地位に甘んずることなく、さらに厳然たる事実としての「進化学」と銘打ってのシリーズであるが、この巻の「ヒトの進化」となると仮説も多くなるのはいたしかたない。しかしながらたいへん面白く読める。早く読めばよかった。
 第一章の「化石からみた人類の進化」では、最近次々と発掘されたヒトの祖先の化石についてまとめてある。興味をひいたのは、コラム3の初期人類の「種」を考えるとういところで、その記述によると、

野外調査の進展に伴い、高等霊長類では、自然状態で近縁種間に雑種が形成されることが明らかにされてきた。高等霊長類においては、通常は種ごとの生殖生理に強い特色もなく、一般に生殖行動も柔軟であるため、交雑が頻繁に起こるのであろう。

とさらりと書かれてあるが、これにはいささか驚いた。その後にすぐゲラダヒヒとアヌビスヒヒは別属であり、形態特徴でも行動生態でもはっきりと区別されるにもかかわらず、自然状況下では交雑するばかりか、一見適応度の低下を伴わない子孫を残すと記載されている。

 第四章「人間の本性の進化を探る」では、自然選択の下に生き残ってきたヒトの本性は当然その影響を受けているとし、その背景も考慮にいれつつ検討していかねばならないと客観的に述べてある。現在のヒトが持っている「人間の本性」の中には進化の各段階において獲得された形質があるはずであり、

哺乳類の系統が爬虫類の系統と分かれたあとに獲得した形質(A)、霊長類の系統が哺乳類の中で分岐したあとで獲得した形質(B)、霊長類の中で類人猿が分岐したあとで獲得した性質(C)、そしてヒトの系統になってから獲得した形質(D)がある。
 たとえば、雌が妊娠、出産、授乳することに伴う諸形質は、Aの適応である。色覚をもつことなどはBの適応である。脳が大きく認知能力が高いことは、Cの適応である。おそらく言語はDの適応である。

と述べる。人間のもつ倫理や道徳といったこともこれらの系統的進化の各段階で獲得されてきた自然的性質が基盤になっているものもあるに違いなかろう。その点からも興味深いのは、第5節「殺人をめぐる進化心理学」と第6節「ヒトの協力行動」である。
 殺人は、ヒトのどの段階の歴史、どの地域にも見られる反社会的行動である。この行動は雌雄で比較すると圧倒的に雄に多く見られる行動であり、かつ若い固体に多い。このことから雌を巡って争うという雄の生殖戦略が関係していると考えられる。

男性の発達の過程において、性成熟とともに将来繁殖価が上昇し、加齢とともに繁殖価は下がる。そこで性成熟直前から成熟期にかけての男性間の競争がもっとも激しく、その後は加齢とともに競争が減少していくと考えられる。葛藤状況において、男性が他者に勝ちたい、他者よりも優位に立ちたいと感じる心理は、将来繁殖価と同様の年齢曲線を描くはずである。(中略)
 進化生物学は、殺人という行為そのものが男性の適応戦略だと主張しているのではない。そうではなくて、競争的な葛藤を強く感じ、その競争において負けたくないと感じる感情が適応なのである。葛藤状況において、そのような感情を持つ男性と持たない男性とでは、過去の進化において、持つ男性のほうが適応的であったということだ。

この後半の部分の記述が重要だ。さらに面白いのは日本において男性の年齢別殺人率の統計が掲げてあることで、これをみると確かに若い年齢(20代)は多いのであるが、年代が進むにつれてその高い年齢層においても殺人率は顕著に減少しているのである。つまり社会全体が豊かになり教育レベルがあがるという社会環境により殺人の発生は減るのである。最近若者の凶悪事件が増えてきたといい、その原因は愛国心を教えないからだという論を立てる人びとがいるが、このグラフを見る限りそれは間違いだ。殺人は減っているのであり、日本人男性の年齢別殺人率は、近年よりも1926年-1935年の集団が明らかに高いのである。この時期の年齢は今の教育基本法とはご縁がないのではなかろうか。

 第六節のヒトの協力行動のところでは、推論においてヒトは「非協力者の検出」というコンテキストがあると格段に推論能力が上がるという仮説が紹介されている。学校で解くような数学の問題でも人間どうしの利害関係が絡んでくるような場合には同じ論証でも鋭くなるということである。これは特に女性の場合そうではなかろうか。抽象的推論には弱くても夫婦関係に関係する虚実となると滅法推理が鋭くなる傾向がある。
 この節のコラムには、お互いに感じる公正さという感覚がヒトだけに見られる特徴ではなく、フサオマキザルという猿にも見られるのではないかという実験結果が紹介されており、これも興味深い。猿でも自分と他人を見比べて平等に扱われているかどうかを敏感に判断しているらしいのである。猿について真偽のほどはわからないが、ヒトは互いに利他的行動をとるというのは重要な点であると思う。ただ目先の利益ばかりに目の色をかえて争うだけではなく、互いに助け合っていく行動をとれるということはヒトという種の重要な形質ではなかろうか。最近の競争ばかりを煽り立てるような風潮は、その大切な形質を否定しているような気がする。