毎日、大津の中学校のいじめの話題で持ち切りだが、昔もいじめはあった。しかし、これほど陰湿でもなく、周りの先生やクラスメイトも気をつけてかばいあっていた。
中学2年生の頃、校舎の一番奥の被服室の掃除当番だった事がある。毎時間使う訳でもなく、昼休みは無人だった。
昼休み後の掃除時間に戸を開けると、隣のクラスのk達男の子達4,5人が入り込んでいた。
150cmに足らない小柄なGのパンツを脱がせて裁縫台に寝かせて押さえつけおもちゃにしていたみたいだった。一つの台を囲んで私達の姿を見ても驚かず、出て行きもしなかった。
「掃除の邪魔になるから、出て行って!」と、言っても動こうとしない、仕方ないので後ろから箒で叩いてユキちゃんと追っ払った。それが、ほとんど毎日続いていた。
追っ払うのは私とユキちゃん、他3人ほどいた女の子はよけて隅っこで黙々と掃除をしていた。
それでも、いたちごっこでだんだんずうずうしくなり横のミシン室に場所を移動して止めなかった。
其処も掃除の範囲である。また、そこで同じ事を繰り返し、止めないので後ろから
「出て行け~!」と言いながら お尻を蹴飛ばし箒を振り回して追っ払った事もあった。
そんな事を繰り返している内に来なくなったが、場所を替えてしていたのかどうかは分からない。
後年、小柄なGくんはK達よりも反対に背が高くなった。ふざけていたのか、いじめであったのかは分からないが、kの結婚式にその子は出席してなかったのでいじめだろう。
でも、金品の要求などはなかった。
3年生の頃、「ハレンチ学園」と言う漫画が人気で、まねてスカート捲りをするバカがいた。
ある時、カチンと来てユキちゃんとハナちゃんと「許さん。」と言って、逃げる男の子を追いかけると、その子は安全だと思って、あろう事か女子トイレの個室に逃げ込んだ。
私達3人は、一人が扉の下の隙間から棒たわしを入れて足を突き、あとの二人はその辺にある掃除用具やトイレットペーパーを上から投げ込んだ。
しかし、たわしや石鹸、せいぜいバケツなのですぐに投げるものは尽いてしまった。すると、ハナちゃんがホースの先を引っ張ってきた。私達は顔を見合わせ、水道の蛇口を全開にした。
すると扉の向こうで、
「うわぁ~!」と言う悲鳴。中でバタバタともがく音がした後、上の小窓から出てベランダを走って逃げて行く姿が見えた。
その日の午後の授業は担任だった。
先生はクラスを見回し、体操服になっているその子に目を留め、
「なぜ、○○くんだけ体操服なんだね。」と、質問した。
私達は笑いをこらえ、知らん振りをして先生を見ていた。
まさか、スカート捲りをして水を掛けられたとは、言えず、何を言ったかは覚えていないがごまかしたのだろう。黒の学生服を着ていたので10月の後半か11月頃だった。
しっかり効き目はあり、それ以来スカート捲りは無くなった。
社会人になってユキちゃんの知り合いのスナックでその子と偶然い出会い、少し話をして水割りか何かをおごってもらった。
その事をKに話すと、
「おい、おまえら、一緒によく飲んだの~。」
「あいつ、○○して捕まったんぞ。」と、言われ、「ひぇ~!」と、二人で驚いたが、○○が何の犯罪かは覚えていない。あの子ことだから、そんなに凶悪な犯罪では無いと思う。
そして、これはいじめではないが、すんごい変人がいた。彼とは、3年間ずっとクラス替えをしてもありがたくない事に一緒だった。
以前も書いた事があるが、1年生の頃 しょちゅう誰かと彼は喧嘩していた。彼は相手をいらだたせる屁理屈をこねる名人だった。ある日の放課後 おとなしいH君まで、顔を真っ赤にして涙目になって怒って殴りかかろうとしていたのを数人で止めた事があった。
彼は集団でなく、1対1で誰か相手を替えて喧嘩していたが、勝ったのは体格の良い彼に比べ、著しく小柄で軟弱な子ぐらいで 危なくなると職員室に駆け込んで行き、しらけさせた。
2学期になる頃にはもう、男の子達はほとんど相手にしなくなっていて、同類の変人二人同士が胸ぐらをつかみ合いながら、「おい、お前の掴んだ面積の方が広い!掴み直させろ。」とどちらかが言い、あほらしい喧嘩をしていた。
彼はガリ勉で実技科目以外は優秀だったが、当然人望は全く無く、クラス委員どころか班長にもなれなかった。男の子が班長の所では嫌がられ、女の子の班長の所に何時も入っていた。
私の班にもいたが、下手にでて「ちょっと、これ分からん。教えて。」と言うと、
「こんなんも分からんのか?」と言いながら、気良く教えてくれ、男子といる時と違い案外素直だった。
ある時、将来の希望と言うのが後ろに張り出された。ほとんど、地元の高校へ進学と書かれていたが、彼だけは京大医学部となっていた。すかさず、誰かがボールペンで「産婦人科医志望」と付け足して男の子達は笑い、無視すればいい物を、またそれを上から黒く塗りつぶしたりしていた。
また、試験前に担任が「今度の試験の目標を言いなさい。」と言われ、誰かが、
「打倒!キヨシ」と言うと、体が大きいのに真ん中の一番前の席から後ろへ向き、
「バカ~ァ、お前らに負けるか~ぁ」と、怒鳴りそれに男の子達がまた反論し騒然となった。
彼は高校に進学したものの、3月に引いた風邪をこじらせ入院して1年遅れた。
ユキちゃんと、カメと3人でお見舞いに行ったが、同級生の見舞いは私達だけで大そうお母さんが喜ばれ、とても大きく切られたカステラを出された事を思い出す。
1年遅れたのが良かったらしく、中学時代の事を誰も知らないので、同性の友人が出来たと、おばさんが嬉しそうに話されるのを聞いた。
その後、彼は京大には行かなかったが、国立大に進み目標通り医者になった。
しかし、数年前 お母さんが亡くなられた時、葬式代は値切る、お坊さんには「自分で般若心経くらい上げるから、四十九の法要はいらない。」と言って断り、周りを呆れさせた。
それなのに、お骨もお位牌も無人の家におっぽり出したまま葬儀が済むとそそくさと帰ろうとして、近所の人に、
「せめて四十九が済むまではそばで供養しあげて。」と、窘められた。やっぱり、変わらん。変人だわ。
俺に子供がおるから代弁?します。子供も親もクズ。もちろん被害者側じゃないです。大人にクズが多すぎる。昔と比べて違うのも納得。何人もそんな親を見てきた。呆れかえる一部先生も。飛ばされた先生もいました。
子供は、改善の余地が多分にあるが、大人は改善の余地少ないように思う。もし、猛省できない親と先生が、周りなら子供も改善きびしいだろう。
俺も昔、いじめられた時代があったけど、いじめる側になったとしたら、俺も同じなんかなと考えたら、
誰がクズと同じやねん。アホか。クソと一緒にするなと、逆に見下すような考えになった。ちょっぴり鍛えたら、筋肉ついて、仕返ししたろかとも強気に(苦笑)
イジメは、クズだから、なるべくなら、関わらんほうがいいというより、近くにくるんじゃねえ、という気持ちが強かったかな。
あと、自分が鬼になれるように、鏡と睨みあい、気持ちをコントロールする練習したこともあった。そこそこ効果あったと思う。
でも、武道家とは、喧嘩にならないようにしたけど(苦笑)でも、強い奴は、意外と優しい奴が、多かった。
いじめられてる子は、いじめるクズより、はるかに価値があることに気づいて欲しい。気持ちは負けないで欲しいと思う。勉強できても、スポーツできても、優しさ思いやりが欠如してれば、それはクズだよ。
いじめっ子から、クズと言われたら、言葉に出す臆病者が、ほざいとれっ、と強気になって欲しい。間違っても自分がクズなんて、あり得ない。お前らよりましだからと考えて欲しい。
神様は、優しさ、勇気、子供が大好きなんだから。
ここは、ちょっとフォローが欲しいとこですね。
って、誰にコメントしてるんだかm(_ _)m
人のブログで、失礼しました。特別なブログだから、大丈夫かなって? m(_ _)m