Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

2009年12月那智の滝と玉置神社

2011-07-12 16:57:20 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

2009年12月初旬、那智と玉置神社に行くようになった。当初はノワタリさんと妹夫婦、ハルちゃんの5名であったのが母方の叔父と急遽当日大阪の叔母夫婦が行く事になり田辺から2台に分散して行った。

何度も田辺から出発しているが、いつもその辺で軽く食事を済ませていたが、観光案内で貰った「田辺のうまい昼ごはん『あらが丼』が食べれるお店」のパンフレットに載っていただるま寿司と言うお店を探して行った。それには20件あまり地物の魚や肉を使った物が出ていた。まだ昼前だったので客は少なかったが、写真のメニュー以外に食後のデザートもあり、気の毒なくらいサービスした価格で美味しかった。みんな喜んだが、これからなのでは飲めない。

その後、清め用の塩、酒、お水を用意し、今回は海岸を走り那智へ向かった。

南紀の風景は12月なのに南国のような景色だった。すれ違う車も少なく、串本に近づくと奇岩が多く見えてきた。叔父は「ここは~くしもと~向かいは大島~」と上機嫌で歌いだし、飽きる事無く、車窓空の風景を楽しんだ。

那智の滝に着いた時には、冬の日は短く境内をお参りして、滝に向かってお清めし、ノワタリさんが祈り終わると薄暗くなりかけていた。前回来た時よりも水量はずっと多く豪快であった。

 翌朝早く玉置神社にお参りしたいので、今回は十津川村の下湯の一軒宿の山水と言う所にした。真っ暗な道を進んで行くと辺りには他に人家は無く宿の前には雪が薄く積もっていた。

お料理宿と書いてあっただけに大和牛のステーキ、鮎の塩焼きを始どの料理も美味しく頂いた。前回民宿だったのでブーたれていたハルちゃんも満足で上機嫌だった。ただし、今回私の親族ばかりでノワタリさんも出会った者ばかりだったが、居心地が悪かったのではと思った。

が出てもいつもなら静かであるのに、あまご酒が出て賑やかになりまるでどこかの会社の社員旅行のような有様になった。

は露天はとても広く、翌朝入っても周囲は山しかなく自然の開放感を楽しんだ。ただ、はつながり難く家に無事に着いたことを連絡しようとしても外に出て使用するしかなかった。

 翌朝も露天風呂にゆったり浸かり美味しい食事を堪能して8時頃出発した。町の中の宿でも仲居さん達が客を見送る光景を目にした。

朝早いので駐車場には他の車は無く、白い息を吐きながら神社へ向かった。お社にご挨拶をして今回はお払いをお頼みした。準備に結構時間が掛かり、帰路はみんなにしていたのであまりゆっくりは出来ないので内心はらはらした。

その間、稲荷社にお参りしたり、前回は止められていて汲めなかった御神水を汲んだりした。

途中でバッテリー切れになり、写真が取れなかったので残念

考えてみればこれが5度目のお参りであった。しかし、熊野古道が世界遺産になった事もあり、参拝者も多くなり来るたびに神社は変わっていった。宮司さんも以前の人と替わられ若い人になっていた。襖絵は見る事が出来たが、残念ながら今回も崇神天皇の像を拝顔する事は出来なかった。

お払いを受けた後、玉石社を清めご挨拶して山頂へ上がった。そこで神事をしていると叔父の様子がおかしくな倒れそうになった。先程頂いた御神水を渡すと落ち着いた。高血圧症で暖かい室内から寒い山頂まで一気に上がったのもあり、血圧が上がったみたいであった。

その時初めて山頂から駐車場への道を通った。駐車場には柿の葉寿司の屋台が出ていた。参拝者も多いのだろう。しかし、これが玉置への参拝も最後かもと思った。

田辺までで走り、其処からJRで帰ろうとしていたら、ハルちゃんは叔母夫婦のに乗り伊丹空港へ向かうようになったが、叔母がノワタリさんを離さず、ノワタリさんまで車で行く事になった。レンタカーを返却した後、脱力感がドット出て駅で私と妹は売店でパンやサンドイッチを買い込み電車に乗った。走り始めた直後、ノワタリさん達は高速が1000円なので渋滞するのではと思った。しかし、もうどうする事も出来ない。

フェリーで帰る叔父と別れ、妹夫婦と伊丹まで行き、そこで別れたが、一向にノワタリさんたちの姿が見当たらない。連絡をするとやはり渋滞に巻き込まれていた。しかし、ノワタリさんの事だから何とかするだろうとあまり心配はしなかったが、出会うことを考えてレストランへ入る訳にはいかなかった。

出発の15分前にあわただしく走り込んで来た。ちゃんにお頼みして間に合ったわ。」と言いながら搭乗口に消えた。

2009年の最後の旅はこのような形で終わった。

 


2009年10月三峰神社と南洋神社 埼玉 Ⅱ

2011-07-10 16:14:20 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

翌日は 日高市の高麗神社から周った。この神社は出世明神と呼ばれるのでハルちゃんは上機嫌。境内には政財界の有名人の植樹した名前が目に付いた。拝殿にお参りした後、高麗家の方には行かず山の上にある水天宮さんの方へお参りした。細い道を上ると鳥居の奥に小さな祠があり、そこでお清めし、お参りした。此処には他には人も居らず、静かでとても気が良かった。しかし、駐車場に行くと団子屋さんが店開きしていてハルちゃんと私のみ車で待ち、みんなアイスや団子を買ってきていた。車の中で姪がこの近くにお花見に来た事を思いだした。

書き落としていたが前日、富士浅間神社にもお参りした。

その足で近くにある野々宮神社を探して走ると、道の奥に黒鳥居を見つけた。そこで境内からお清めしてお参りしようとすると、管理している宮司さんが現れ拝殿の中に入れて説明をされたが、長くなり急いでいるので私は早く切り上げたいと思った。

その後、行田へ向かったが、ナビの高速道路は真っ赤で渋滞状態で下の道を走った。もう12時を過ぎているので何処かで昼食をと探しながら走った。しかしどこも国道沿いはチェーン店ばかりで入る気がしない。行田市内を走っていて1時を過ぎているのでもう此処が最後でどうでも昼食をと言っていると、「パンとパスタの店」と言う看板が在ったが駐車場が広くお店は目につかない。

を降りて進むと駐車場の奥の塀の奥に通路があった。驚いた事に築山のある和風の立派な屋敷であった。「オルトン」と言う店だった。私達は玄関横の床の間のある部屋に通された。中も外見とたがわず品の良い造りだった。残念ながらお庭は見えない。和室にテーブルと椅子でとても静かで、ランチメニューでお手ごろ価格だったが、数種類のパスタとデザートを選ぶ事が出来た。そしてサラダも普通の大きさの皿で松のみ実まで入っていた。みんな大喜びだった。それなのに料金はとても安く1500円もしなかったように思う。ノワタリさんとハヤシさんは美味しいと言って其処でパンを買い求めた。お庭が見れなかったのが残念だったので私達は外へ出て築山を歩いた。お庭側の部屋や縁側にも2時頃でも客の姿が多かった。近くにこんな店があればいいのにと思った。ノワタリさんは「ご褒美ですよ。」と言われた。話は逸れるが、帰宅してこの店の名前が思い出せず、グーグルの地図やイタリアンとか、レストランで探したが分からず、口コミの中にも見当たらず、「パンとパスタの店」で探すと素敵なホームページがあったが、今回はもう掲載されて無かったが、反対に店の名前だけは見つけた。其処の近くの町にも洋館の店があるらしい。

其処を出て常世岐姫神社を探した。すると其処は鳥居も無くお社だけが道に面して立っていたので始めは横を通り過ぎてしまった。改めてお参りしようとすると、軒に大きなスズメ蜂の巣がある。

お清め様のお酒に反応して飛んできそうなので静かにお参りだけして済ませた。其処から、越谷まで走った。

着いた頃にはもう日は傾きかけていたが、人は多かった。お社にお参りして裏手の南洋神社へ行くと囲いで覆われていて修復中だった。仕方なく囲いの外からお清めしてお参りし、戦争で亡くなられた方々の御魂に対して祈った。

霊水前にはやはり人が多く、順番待ちをしていると池のほとりでカラスとハトが餌を巡って争っているのを見ていた。ハトも多数だと一歩も引かず、カラスが飛び去って行った。

そこで今回のお参りは終わり、近くの駅まで送ってもらい私達は電車で池袋まで出た。

後日、ハンドルがニュートラルに為らないとハルちゃんが心配していたが、調べてもらうと前のボンネットの中は左に寄っていて良く無事に高速に乗って走れた事と整備の人が驚かれた。当然修理が必要となった。

普通であれば、そういう事は無理であるらしい。また、これも神のご守護のおかげだ。感謝

 


2009年10月三峰神社と南洋神社 埼玉

2011-07-09 15:43:20 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

その年の9月ノワタリさんは私の家に来られ、私の再出発と言われて、神事、先祖事を手伝ってくだされて地元の神社をお参りされた。

そして10月埼玉県の神社を周る事となった。きっかけは以前グアムの慰霊の旅を書いている時、南洋諸島の事を調べているとそれぞれの島にいくつもの神社が祀られていた。その中のパラオのコロール島に天照大神様を祀っていた南洋神社が先の埼玉県知事が越谷の久伊豆神社に祀られた事をノワタリさんに伝えた事からだった。

話は逸れるが、その時サイパンの戦いをウイキペディアで読むと戦と言えどもとても惨くなぜ女性達が崖から飛び降りたかが分かるような気がする。日本軍が残虐な事をしたと言われるが南洋諸島に住んでいた日本人はとても惨い殺され方をされている。それを田中徳祐さんと言う人が本を出版して発表しているがほとんど無視されている。興味のある方はぜひ読んで知って欲しいと思う。

 話は逸れたがその近くで行く神社をと言われ調べて、三峰神社、高麗神社、野々宮神社(日高市)そして飯能市の水天宮、秋葉三座稲荷神社、富士浅間神社、秩父市の秩父神社そして常世岐姫神社(日高市荒木)そして時間があれば氷川神社と言うことになった。

しかし、私は四国の人間で埼玉の事に関しては全く分からない。大方日程を決め、出発する2,3日前に長瀞神社の事をノワタリさんが言われた。もう宿も押さえているので今回は残念ながら、諦める事にした。なぜかネットで調べた埼玉県の神社のカテゴリーには出ていなかったのだ。反対に飯能市の神社は多く出ていた。

今回の旅は残念ながら、私もノワタリさんも撮ったはずなのに写真を消したり、無くしたりして掲載できない。

10月10日11日の2日間で動いた。10日の朝5時出発で動いたが高速料金が1000円という事もあり、もう6時過ぎには渋滞になり、運転をしていたハルちゃんはナビを見ながら道路を一般道にしたり高速にしたが秩父まで行くと電車で来た妹と姪の方が早かった。

まず最初に三峰神社へ行った。ノワタリさんの娘さんの7人乗りので従兄弟のハルちゃんの運転で妹親子とハヤシさんも加わり合計6人であった。

三峰神社はまだ塗り替えて日が浅いらしく、神門も綺麗で手水舎も拝殿も彫刻が凝っており極彩色で大変華麗だった。写真を無くしたのが残念!

しかし、道中は厳しくロープウェイは無くなっており、片側通行の細い洞窟のようなトンネルを抜けダムの堰堤を通って秩父湖沿いの道を上った。私の運転だったら心細い。

を下りると少しヒンヤリとした。三輪鳥居の前には珍しく狛犬ならぬ狛狼が座っていた。

拝殿からお参りし、境内の神社をすべてお清めしながらお参りした後、皆居なくなったと思っていたら縁結びの木の所にいた。お清め用のお酒などが切れたので車に取りに返り傾斜地を登り木の根元をお清めた。しかし、今更縁結びと言う事もない。男女の縁でなく、人との縁の事かと思った。この神社には宿泊施設と温泉もあり又来ることがあれば利用したいと思った。 

 神社で頂いた案内書より

 こんな山奥にと思ったが、ヤマトタケルの命がイザナギ、イザナミの命を祀られたのが始まりだという。昔の人は健脚だった?小雨の中を山頂に立てられているヤマトタケルの命の像をお参りした。それは結構大きく、山頂から下界を見下ろすように立っていた。その後、遥拝殿で妙法ヶ岳山頂の奥宮に向かいご挨拶をして出た。駐車場近くのお店でお蕎麦や田楽、焼き魚を昼食にし、秩父神社へ向かった。

おおかた山道を下り、三峰口からそう遠くない所で 朝早かった事もあり、皆うとうととまどろんでいた。突然、ガタン!と衝撃を受け助手席に座っていた私は窓に押しやられた。皆一斉に目を覚まし、何が起きたのだろうと緊張した。ハルちゃんも一瞬だが居眠りをしてしまったらしかった。幸い縁石にタイヤが当ったくらいで済み、安堵した。縁石がなければ道沿いの家に突っ込んでしまう所だった。しかし、ハンドルがニュートラルにならないとハルちゃんは気にしていた。

その後はみんな眠る事も無く秩父神社に無事着いた。神社の境内での施設で何か催し物があり、駐車場は満杯で神社の外を1週してから駐車場を探して入った。

この神社も崇神天皇の時代に開かれていた。この天皇の時代に何かあったのだろうか?このお名前を目にする事が多い。

その後飯能市へ向かい、水天宮、秋葉三座稲荷神社と薄暗くなるまでお参りしてその日の宿である民宿へ向かった。ハルちゃんは不服だった。「飯能なら、プリンスもあるよ。」と言ったが、プリンスは満室、幾つかのホテルや駅近くの宿もあったが、翌日動く事を考えて高麗神社に近い民宿にした。宿に入ってもずっと不満だらけだったみたいだった。私達は暖かいお風呂と食事があれば充分だ。後で聞くと自分のグレードが落ちたみたいで惨めだと言う。それをノワタリさんがハルちゃんの心情をキャッチした。

夕飯にバーべキューを頂き、寒いからと言って部屋には石油ストーブを用意して頂いた。しかし、唯一の男性であるハルちゃんは別室でその夜一度も出て来なかった。