ここのところTVでの特集がやけに多いなーと思ったら、
オウムの地下鉄サリン事件から今日で20年だそうです。
もう20年も経つのか…
今でもあの日私が見た景色は昨日のことのように覚えてる。
私は、丸ノ内線の赤坂見附駅構内で、ガスマスクをかぶった警官?の人たちをみかけました。
バタバタと走り去るガスマスクの人たち。
「あれー?ボヤか何かあったのかなぁ?」
まだ携帯も持っていない私には、事件のことなど知る由もなく、
会社に出勤して間もなく、夫の母からの電話で事件のことを知りました。
聖路加病院の映像などがTVニュースでわんわん放映されているのを見て、
私が通勤途中ではないかと心配で、会社にかけてきてくれたお義母さん。
「私なら大丈夫よ」と母に言い、
上司に「築地の方で大惨事が起きてるらしいです」と伝え、
みんなでラジオを聞いたんだっけな?
インターネットができたんだっけな?
20年の間に、人々のネット環境、情報伝達の速さは劇的に変わりました。
ツイートすれば瞬く間に情報は流布し、みんなが小さいTVを持ち歩いている時代。
けれど、まだ何も変わらずに信仰を続けている人がいる…
都合のいい解釈、都合の悪いことには目を背けた
ある意味”世捨て人”のような人たち。
それは信仰という名の逃避です。
今でも、電車の中にビニール袋や濡れた漫画雑誌などを見ると、
反射的に「こわい」と感じます。
あれから20年間、それ以前も以後も変わらず地下鉄を使っているからね。
あの日見たガスマスクの風景が脳裏に鮮明なの。
少し前まで私が勤めていたビール会社の、直属の上司だった人はその日被害に合いました。
出勤してから体調が悪くなり病院へ行ったという彼は、今も後遺症があるのかしら?
20年ってあっという間。
それはきっと私が平穏だったからだ。
あの日を境にずっと苦しんでる人がいる。
そう思うと心が痛くなります。
風化してはいけない真実。
許してはいけない事件。
監視を緩めてはいけない団体。
20年目の今日。
20年前のあの日…
私に何ができるのか、答え探しは続きます。
オウムの地下鉄サリン事件から今日で20年だそうです。
もう20年も経つのか…
今でもあの日私が見た景色は昨日のことのように覚えてる。
私は、丸ノ内線の赤坂見附駅構内で、ガスマスクをかぶった警官?の人たちをみかけました。
バタバタと走り去るガスマスクの人たち。
「あれー?ボヤか何かあったのかなぁ?」
まだ携帯も持っていない私には、事件のことなど知る由もなく、
会社に出勤して間もなく、夫の母からの電話で事件のことを知りました。
聖路加病院の映像などがTVニュースでわんわん放映されているのを見て、
私が通勤途中ではないかと心配で、会社にかけてきてくれたお義母さん。
「私なら大丈夫よ」と母に言い、
上司に「築地の方で大惨事が起きてるらしいです」と伝え、
みんなでラジオを聞いたんだっけな?
インターネットができたんだっけな?
20年の間に、人々のネット環境、情報伝達の速さは劇的に変わりました。
ツイートすれば瞬く間に情報は流布し、みんなが小さいTVを持ち歩いている時代。
けれど、まだ何も変わらずに信仰を続けている人がいる…
都合のいい解釈、都合の悪いことには目を背けた
ある意味”世捨て人”のような人たち。
それは信仰という名の逃避です。
今でも、電車の中にビニール袋や濡れた漫画雑誌などを見ると、
反射的に「こわい」と感じます。
あれから20年間、それ以前も以後も変わらず地下鉄を使っているからね。
あの日見たガスマスクの風景が脳裏に鮮明なの。
少し前まで私が勤めていたビール会社の、直属の上司だった人はその日被害に合いました。
出勤してから体調が悪くなり病院へ行ったという彼は、今も後遺症があるのかしら?
20年ってあっという間。
それはきっと私が平穏だったからだ。
あの日を境にずっと苦しんでる人がいる。
そう思うと心が痛くなります。
風化してはいけない真実。
許してはいけない事件。
監視を緩めてはいけない団体。
20年目の今日。
20年前のあの日…
私に何ができるのか、答え探しは続きます。
あれから20年
一口にそう言えるのは
平和に暮らして来たからですね
今も苦しむ方は たくさんいらっしゃるでしょう
忘れてはなりません
テレビで三女のアーチャリーの様子には 哀しくなりました
自分の父が連行された事には 涙が出ても
その父が犯した罪で 何人もの人が苦しみを抱えている事には きづかないんだなぁ、、、と 謝罪の気持ちもないんだと
あの事実は 何処に行ってしまったのでしょう? 人を殺めた事実は? 苦しませた事実は?
家族を失ったり 今も後遺症で苦しむ方にとっては、20年経とうが 現実は 今なんです