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野球少年達の活躍状況と日ごろの暮らし

亡き母との約束果たす・花巻東千田京平君

2015-07-26 08:38:35 | 高校野球
 今年は朝顔が中々咲かなかったが、ようやく赤と青の二輪の花が咲きました。あさがおは、もともと奈良時代に中国から来た花で、当時は種を薬用として珍重した。育て方は、まず、種を一昼夜水につける。はじめは無肥料に近い土にまき、芽が出たら水はけの良い土に植え替える。あとは日当たりが良く風通しのいい高い場所で水をあまり与えずに育てる。

  高校野球岩手県大会で優勝した花巻東の千田京平君のアクセスが多いことから昨年岩手日報乗った≪「今を生きる」なき母と「再開」を信じ≫ と今年の記事「亡き母との約束果たす」 (サンケイスポーツ)を紹介します。

【≪「今を生きる」なき母と「再開」を信じ≫ 「岩手日報より】

「3番ファースト、千田君」-。球場に響くアナウンス、スタンドの大声援が誇らしい。天国の母は聞いているだろうか。
 花巻市の花巻東高硬式野球部の千田京平君(2年)は生後すぐに父宰平(さいへい)さんが急逝し、女手一つで育ててくれた母博美さんは東日本大震災で亡くなった。
 当時は陸前高田市の一中1年生で卒業式の練習中だった。生徒約100人が親の迎えを待ち教室で夜を明かしたが、朝には自分一人だった。目を閉じれば、母の生存を信じてがれきの街をあてもなく歩いた日々が思い浮かぶ。食品加工会社で働いた母が苦労して新築した自宅は全壊。一人で4時間近く避難所を捜し回った。
 高田高を卒業したばかりで、大船渡市内で被災した兄晃平さん(21)とは1週間後に再会できたが、「諦めと諦められない思い」で待ち続けた母は数カ月後、遺体で見つかった。「不安がずっと続くこともつらかった。区切りをつけて頑張るしかない。自分でも思い出さないようにしていた」と明かした。
 震災後は大船渡市内の親類宅に身を寄せ、高校進学は迷った末に花巻東高の寮生活を選んだ。決断の背景には2009年に菊池雄星投手を擁したチームの鮮烈な記憶があった。「甲子園のテレビ中継を見ていて、母が『甲子園に出たら応援に行きたい』と話していたのを思い出したんです。亡くなったけれど、連れていってあげたい。母との約束です」と力強く語った。
 一般入試で飛び込んだ野球部。授業が終わると、部活と自主練習が夜遅くまで続き、野球日誌や洗濯を済ませて午前0時すぎに寝る生活だ。「朝練習もあり午前5時半起床。思った以上にきついが、好きな野球に集中できる環境がありがたい。ここで頑張らなければ、支えてくれた方々に申し訳ない。裏切るわけにはいかない」と話す。
 入学当初は佐々木洋監督に「父親だと思って生活で困ったら相談しろ。でもグラウンドに来たら特別扱いしないぞ。ついて来れるか」と心配されたが、打撃力で頭角を現し1年秋からベンチ入り。被災者と言われたくないという反骨心と覚悟でチームに欠かせない選手に成長した。指揮官は「複雑な思いを抱えて一般入学した選手が今や3番打者。まさに全力で今を生きている」と感心する。
 震災から3年7カ月-。被災者対象の奨学金制度などで金銭的な不安を感じることなく生活はできている。「仲間に恵まれ、監督やスタッフも親身になってくれて本当にありがたい。もう寂しさはない」とはにかんだ。
 全てを忘れて白球を追う。今はそれだけで幸せだ。母は見ているだろうか。甲子園での「再会」を信じる16歳は決して諦めない。
4年後の自分へ
 大学に進み20歳の成人式を迎えていたい。震災後にいろいろ助けてもらった方々に立派な姿で成人のあいさつをして恩返しをしていく。大学でも野球を続けようと考えているが、将来の夢は消防士か、花巻東高のトレーナーになること。どちらも誰かを支える仕事で、この夢を貫きたい。今からしっかり決めておかないと目標は達成できない。どこかで変えてしまうことは考えていないし、夢に向かってコツコツ準備を進めていきたい



【≪「亡き母との約束果たす」≫ 「サンケイスポーツより】

 第97回全国高校野球選手権大会岩手大会決勝(24日、花巻東9-8一関学院=延長十三回、県営野球場)花巻東が延長十三回の末、9-8で一関学院を振り切り、2年ぶり8度目の夏の甲子園切符をつかんだ。試合は約3時間半に及び、両チーム合わせて34本のヒットが飛び交う熱戦だった。
 「お母さん、行ってくるよ」。写真の母はいつもと同じ笑顔を浮かべていた。花巻東・千田京平外野手は陸前高田市の第一中学1年のときに東日本大震災が起きた。食品加工会社で働いていた母、博美さんは数カ月後、遺体で見つかった。生まれてすぐに急逝した父に代わり、女手一つで育ててくれたかけがえのない母だった。
 震災後は大船渡市内の親類宅に身を寄せ、岐路を迎える。高校進学で迷ったときに思いだしたのはやはり母だった。かつて母は「甲子園に応援に行きたい」と話していた。母の願いをかなえるため、強豪の花巻東を選び、一般入学で野球部の門をたたいた。特待生らに混じり、レギュラーの座をつかもうと必死で得意の打撃を磨いた。練習は嘘をつかなかった。決勝で放った3安打はいずれも、狙いすました流し打ち。右方向に鋭い打球が飛んだ。
 一関学院の野々村力外野手は同じ中学のチームメート。試合終了のあいさつのあと、「がんばれよ」と声をかけられた。もう一つ被災地の思いを背負った。
 「きっと母も見守っていてくれたと思う。母さん、約束通り、連れて行くよ」
 少年は静かに空を見上げた。


  また、その花巻東の登録メンバー20人を見ると東日本大震災で被災した沿岸の市町村出身が12名と内陸部を上回りオール岩手での代表のようです。決勝戦の沿岸出身選手をポジション別に見るとバッテリー高橋樹也投手(花巻市西南中)と福島圭斗捕手(盛岡市巻堀中)を覗いて、佐藤唯斗一塁手(岩泉町岩泉中)、熊谷星南二塁手(気仙沼市岩松中)、小松悠哉三塁手(宮古市宮古西中)、田老麗希遊撃手(宮古市崎山中)、千田京平右翼手(大船渡市赤崎中)、佐々木勇哉中堅手(大船渡市大船渡一中)、佐藤汰郎右翼手(釜石市釜石中)の7名が沿岸出身でした。このほかにも菊池真弥(久慈市夏井中)、千葉大輔(大船度市綾里中)、浦島大樹(釜石市釜石東中)、熊谷一晃(大船度市綾里中)、加藤三範(山田町山田中)の5名を含め12名が沿岸出身選手でした、
4年4ヶ月前は小学6年生と中学1年生の思春期で成長期に家族が亡くなったり、家屋が流されたり、運動場は仮設住宅となって、野球が出来る環境ではなかったと思うが、2009年の菊池雄星投手(現西武)を要したチームの熾烈な甲子園のテレビ中継と2012年の大谷翔平投手(現日本ハム)の最速160キロの快投に憧れて被災地での運動でガマン強さを身につけ粘り強くなったものと思う。


  我がジャイアンツ高木勇、粘投7勝5割復帰!
巨人が広島に競り勝ち、2連勝で勝率5割に復帰した。先発のルーキー・高木勇は6回6安打2失点の粘投。5月24日以来、2か月ぶりの白星となる7勝目を挙げた。打線は初回、坂本の8号2ランで先制し、5回には長野の犠飛で加点。7回からは山口、マシソン、沢村の「勝利の方程式」が決まり、1点差で逃げ切った。
長かった。高木勇がやっとトンネルを抜け出した。試合後のヒーローインタビュー。試行錯誤した2か月間が、脳裏に浮かんだ。「もう2か月たったかな、という気持ちです。早く感じました。あっという間でした」。がむしゃらに、出口を探してきた。苦悩がようやく報われ、声を弾ませた。




◆  盛岡南リトルシニアのホームページ


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