Takekida's log

千里の道も一歩から

リーダの覚悟

2015-11-15 01:11:50 | Books
「ついていきたい」と思われるリーダーになる51の考え方
クリエーター情報なし
サンマーク出版


 隙間時間に中古で入手したリーダ論に関する本。筆者は日産からボディショップ、スタバのCEOを歴任した人物なのですが自信はリーダシップなどなかったと考えていたとのことでそういった中で周りから推されるリーダ像を記したものです。リーダというのは特別なものとして見られてしまいですが日常を考えれば自身がリーダになって引っ張るというのは旅行や飲み会の幹事、家族での外出など、局所的にでもあるはずでそういった意味では共通項の多い話。

 簡単に言ってしまうとリーダの行動(仕事)に注目するのでなく徳や人格、人間力を高めることをベースとしてしなければいけないという内容。 リーダというとカリスマがあり、自らがワンマンで切り開いていくイメージで日本人としてもそういったものにあこがれを持っているのが少なからずあると思います。ただこの本の目指すリーダというのはビジョナリーカンパニー2でも紹介されている「第5水準」のリーダ像でどっちかというと謙虚で人格的に優れた徳のあるリーダのことを指しています。ある意味こっちの方が日本でも受け入れられやすいのではと思います。 この本にも書かれていますが「自分を修められない人は他人を治めることはできない」という言葉。ドラッガーだと「自分をマネジメント出来ないものは他人をマネジメントできない」というのは本質を突いた言葉です。自分のために部下が死ねるかではなくまず自分が死ぬ覚悟があるかということなのでしょう。

 その他、リーダーというのは必ずしもカッコよくなくていいし、弱くてもいいし、饒舌でなくてもいい。リーダーは、あくまでもポジションのひとつ。部下に対しては、重要なことは何度でも繰り返す、わかりやすく伝える。自尊心を傷つけるような叱り方はしない。褒めてから指摘を行う。トイレにいくところまで部下に見られているというような意識を持つ。そして、究極のメッセージは人事。人前で喋るときには、まず準備をしっかりする。大きな志を持ち、課長や部長のうちから社長の視線で全体をとらえるようにする。中長期の目標はある程度は勘で決めていい、などなど。

 実際は経験しないとわからないことがいっぱいだと思います。そういった視点でも積極的に不快とも思われるような環境でもリーダを買って出ることは必要かと。人間力を高めるためにはそういった荒療治も利用して根底から考えをただしていくことも考えていきたいと思います。

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