幸福維新の志士となれ <幸福の科学>

国難打破から、いざ、未来創造へ

原発事故と戦後レジーム

2011年06月08日 | 災害・事故
産経新聞 6月8日(水)15時43分配信

 東京電力福島第1原発の事故を機に「原発はこりごりだ」「十分な安全対策を講じなかったのは許せない」と感じている国民は今、多い。確かに相次ぐ失態に、「何とかならないのか」という気持ちは私にもある。だが、一方で電力は貴重な国力源でもある。このことを頭から忘れた批判があまりに多すぎないか。

 政府、東電はこれまで原子力発電の危険性を正面から口にしてこなかった。危険だとわかっていながら伏せてきた、だからけしからんといいたいのではない。この点について言えば、公言するのをはばかる空気がこれまで存在したからだ。

 仮にわが国で今回起こった事態を想定した対策があらかじめ打ち出されていたらどうなっていただろうか。恐らく「それ見たことか」「やっぱり危険だ」と反原発団体が一斉に騒ぎ「政府が危険性を認めた」とメディアの総攻撃にあっていたに違いない。「想定外」への防潮対策にしても、八ツ場(やんば)ダム同様、「税金の無駄遣い」と批判が起きたかもしれない。

 政治家も東電も「批判回避」が主な行動原理だった。終始当たり障りなく過ごすのを好んだ。寝た子は起こすまいと、原発立地先には巨額な交付金がばらまかれた。エネルギーに乏しいわが国ではたとえ原発が危険性を秘めていても、どう立ち向かうのかを考えるべきだ、といった健全な議論は敬遠された。先送りのなか皆で既得権を謳歌(おうか)したすえ崩壊したのだ。

 似たような構図は至るところに存在する。中国が触手を伸ばそうとしている尖閣諸島もそうだ。憲法9条や国防、もっと言えば、55年体制や戦後レジームと呼ばれる遺物の多くにも見いだせる。わが国最西端の与那国島には警察官が2人いるだけだ。拳銃2丁で一朝有事に臨むそうである。自衛隊の誘致話も遅々として進まない。沖縄の在日米軍基地をめぐる交付金にも通じる点がある。わが国の安全保障の一角を担う在日米軍の必要性をめぐり、巨額の交付金がどれだけ本質的議論を先送りさせ、障害になっただろうか。

 韓国の国会議員によるわが国固有の領土、北方領土への初訪問にも共通点がある。菅直人首相は来日した李明博大統領と一緒に被災地でサクランボをほおばったが、直接抗議はしなかったそうだ。脅威や危機を直視しない政治家とそれを漫然ととがめずに済ませている世論。それこそがわが国一番の危機ではないかと思えてならない。(東京社会部編集委員 安藤慶太)

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