以前、文化財の仕事に携わっていたとき、蔵を壊すので中を見てもらえないか、との問い合わせを受けて、よく拝見させていただいたものでした。いわゆる「おたから」が出ることはほとんどないものの、その家が辿ってきた歴史を示す資料が見つかり、みんなで手分けして調査をした経験があります。それらの多くは文書であり、私の専門である美術資料が出てきたのは2、3件程度。それでも、古い屏風に描かれた墨竹図などは谷文晁系の絵師が描いたもので、地域にゆかりのある作品として重要なものでした。
さて、数日前、とある家の地下から「あるもの」が出てきたので、見てもらいたいとの依頼がありました。出てきたのは、大量の版木。実は、この家に以前住んでいた人は、作家ではないものの学生時代に木版画を制作していることがわかっており、それは彼が制作した版画の版木だったのです。今からおよそ80年前のもの。状態は必ずしもいいものではなかったけれど、彫刻刀の彫り跡、版木に残された一部の色彩などは生々しいほどでした。これも「おたから」ではないものの、やはり郷土の人物を知る上での重要な資料になりそうです。
学芸員をしていると、ときどきこうした事案の仕事を手掛けることがあります。発見されたものを眺めていると、歴史と向き合っているような気持になりますし、それを制作した人と時間を越えて対話しているような気持にもなります。私にとっては至福の時間なのです。学芸員名利に尽きるというところでしょうか。ありがたいことです。
さて、数日前、とある家の地下から「あるもの」が出てきたので、見てもらいたいとの依頼がありました。出てきたのは、大量の版木。実は、この家に以前住んでいた人は、作家ではないものの学生時代に木版画を制作していることがわかっており、それは彼が制作した版画の版木だったのです。今からおよそ80年前のもの。状態は必ずしもいいものではなかったけれど、彫刻刀の彫り跡、版木に残された一部の色彩などは生々しいほどでした。これも「おたから」ではないものの、やはり郷土の人物を知る上での重要な資料になりそうです。
学芸員をしていると、ときどきこうした事案の仕事を手掛けることがあります。発見されたものを眺めていると、歴史と向き合っているような気持になりますし、それを制作した人と時間を越えて対話しているような気持にもなります。私にとっては至福の時間なのです。学芸員名利に尽きるというところでしょうか。ありがたいことです。