京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

しっかり歩いて鍛えていますー初冬の鴨川を歩く

2012年12月05日 | 健康

今夕に京都駅前で小学校の同窓生の食事会があります。それまで京都市内をウオーキングしようと北山通り堀川で妻の車から降りて北山通を東に,ひたすら歩いて目的地は岩倉の元早朝野球の仲間がやっている食堂きらくで昼食を食べるために。

昨日重いモノを片付けるのに無理をしたせいか?肩甲骨のあたりが痛くてピッチが上がらず。1時間歩いて叡電(もともとは京福電鉄叡山線)修学院駅あたりまでしか到達出来ず。このまま歩いて岩倉まで行ったら食堂は終わっているかも知れないので叡電に乗って岩倉へ、きらく食堂でいつものカツ鍋を注文する。今日のように寒い日は温かいカツ鍋にかぎります、と言いながら私は夏でも食っていますが。これに食後のコーヒーまで付いて880円、安いですね。

帰りは叡電で岩倉駅から終点出町柳駅まで、ここから鴨川左岸の遊歩道を歩き出す、鴨川には両岸に遊歩道があり何時もジョギングや散歩する人が絶えません。100万都市の中央部を流れる川にしては清流と言えるレベルの水が流れる川は日本には、世界でも鴨川だけではないでしょうか。

  白鷺と青鷺

水鳥も沢山見ることが出来ます

エサを撒く人に集まる

美しいこんな環境にもこんな小屋を建てて住む人もいます

昔に比べてこれでも水は汚くなっています。山紫水明の都に恥じない鴨川を取り戻して欲しいモノです。

昔、京都に都があった頃は鴨川の上流、雲ヶ畑の集落では人が亡くなったらその地に埋めないで峠を越えて遺体を埋葬したと伝えられています。

何故かと言えば峠を越せばその水は鴨川ではない桂川の支流保津川の上流に流れ込んで都を通り過ぎたところで鴨川と桂川は合流して淀川となります。都の人達、特に天皇様の使う水が穢れないために特に水源地である雲ヶ畑の人々は気を配ったのでしょう。

だから、遺体を担いで越えた峠の名前は今も「持ち越し峠」と言われています。

話しは脱線しましたが、鴨川の左岸を二条大橋まで下り、橋を渡り二条通りを西に、途中「新風」の京都事務所に寄って、近くの店にいる息子に会って、吉田銃砲店により、早朝野球仲間だった「スポーツ店きょうや」にも寄り、新京極の

たまる眼鏡店の同じく野球仲間だった高山さんとも話し、そこから四条通りに出て烏丸へ、地下鉄に乗って京都駅へ、京都駅前の料理店「宗平」が今日の食事会の場所、約束の5時半には少し早かったが妻も合流して始まりました。

残念なことに一人は入院のために欠席になりました。我々の同級生は、特に男はここ10年ほどの間に一人欠け,二人欠けてどんどん参加者が減ってきています。

今や元気に参加出来るのは私だけになってしまいました。やはり、女は強いですね、同窓会は未亡人会に名前を改めなければ、冗談です、私はまだ健在です。

迎えを兼ねて参加した妻がビールを飲んで、わたしは飲まずに,帰りの運転手をいつも勤めております。

京都北山山中に帰れる公共交通機関はありませんので車無しには市内に出てくるのは困難です。

しかし、そんな不便も気にならないくらいの悦びもあるのです、だからここに住み始めて30数年が過ぎてしまいました

今日の歩行数は19000歩を越えました。よく歩いた一日でした。

 


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