青年よ,大志を抱け(Boys be anbitious) 子供の頃(終戦時)クラーク博士が残していったこの言葉をよく聞きました。
何時から日本の子供たちは大志を持たなくなったのでしょうね? 良い学校に入学したら良い就職ができる。
と、錯覚し始めてからですね。子供の頃の大きな志を一流(と言われる)学校に入学することだと錯覚し始めてからですね。
子供たちの夢が「末は博士か、大臣か」戦時中は「大将か」でしたが、当時の子供達は目標が高かった(?)
昔は中国の悪しき習慣である「科挙の制度」と「纏足」は取り入れなかったのが日本人の見識だったのですね。
それが戦後しばらくして国が落ち着いてくると学歴偏重の世の中になり子供の頃から受験術の習得だけが目標になり、
一流大学に入ったことだけで志は遂げられたと錯覚して先の目標を失っている若者が増えてきたようですね。
人生これからという時にもうこの人は目標がないのです。生活すべてを親に依存してきていますから生活力もゼロ。
人間も動物です、親の役目はライオンや猿と変わるはずがありません。自分で餌を取ることを教え、自立さすことです。
生活の術を教えずに餌だけ与え、成人したら本人の人格だけを尊重したとして口出しせずに多くの引き篭もりを作っています。
さいわい引こもらなかった若者はアルバイトに専念して、アルバイトでのその日暮らしが習性になり、非雇傭のまま人生を送る。
そんないい加減な男には嫁の来てもなく、没頭できる冒険や趣味もなく、飲酒喫煙で体を壊して死ぬまで独りで医者通い。
「わびしいのう」って、こんな人いませんか? 嫌味たっぷりな文章ですが、今ほど若者にとって可能性のある時代はないと思っています。
戦前生まれ、終戦を、戦後を、バブルを、バブルの崩壊を、見てきた私としては、早く生まれすぎて損をしたと思っています。
それでも先人の言葉を信じて志を高く持ってジタバタしてきました。若い頃は金もない、親も裕福ではない、銀行にも信用がない。
世間にもダブツイテイルカネがない、そんな時代でも志を持つものには少しずつですが応援してくれる人や神様仏様ご先祖様が出てきたのです。
今は世間には多くの金がダブついています。計画さえしっかりしていたら公的資金も借りることが出来ます。
補助金や奨励金などもあります。クラウドファンディングなどという資金調達できるものも出来てきています。
私の若い頃は広告手段が少なかったが今や無料で多くの人に呼びかける手段が特に若い人らには用意されています。
昔は「若者よ大志を抱け」でした、大志を抱いて、頑張っている姿を見せて応援を期待することしか出来ませんでした。
今は「若者よ、大志を語れ」です。引きこもっていては人は応援してくれません。志を大いに発信してみてください。
私は、若い頃、大いに志を語って多くの応援を得てきました。中には「社長は風呂の釜だ」(中身は湯だけだ)と言われたこともあります。
しかし、志は胸に秘めているだけでは実現しません。人に知ってもらうことで応援が得られるのです。
「社長は風呂の釜だ」(言うだけ)と言った人が「10年前に言っていたことがみんな実現しているな」と言われた事があります。
口に出して云えば「神さま仏さまご先祖さま、周囲の皆さん」が聞いてくれて応援してくれるのです。
黙っているのは単なる引き篭もりで一生を終わってしまいます。口から出したものは自分の責任で実現に努力するようになります。
コロナ騒ぎで世の中、閉塞感で覆われています。今こそ発信するチャンス到来です。チャンスは到来した時に利用するものです。
若い人たちにとってこんなチャンスは、コロナ騒ぎが終わってからではもう来ませんよ。(このチャンスは年寄りでも使えますね?)