hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『都営荒川線電停を降りて散歩』④〜宮ノ前と荒川車庫

2021-11-20 05:00:00 | 日記
『都営荒川線電停からの散歩』その4。電車に乗り、荒川七丁目・町屋駅前・町屋二丁目・東尾久三丁目を通り、熊野前電停で下車。『熊野前』は日暮里舎人ライナーの同名の駅への乗換もできる。



それでは名前にある『熊野』神社はどこにと降りたが、ここには熊野神社はない。路線の開業は1913年なのだが、熊野神社そのものは明治初期に廃社、尾久八幡神社に合祀されていたのである。もちろん、当時も地名としては存在しなかった。



そこで隣の『宮ノ前』電停まで歩く。電停の名前になっている『宮』は尾久八幡神社のことだが、まさにその前に電停はある。



尾久八幡神社の縁起は1312年に尾久の地が鎌倉の鶴岡八幡宮に寄進された頃に遡ると言われ、1385年には社殿が建てられた記録がある。ちょうど七五三の時期で親子連れの参拝者がいた。



再び電車に乗り、荒川車庫前で下車する。本来ならば『荒川遊園地前』で下車するつもりだったが、現在は改装中のため、諦めた。



荒川車庫前で降りると目の前に車庫があり、さらに『都電思い出広場』があるが、閉園中のため、外から写メを撮る。



中には5500系電車と7500系電車が展示。5500系電車はPCCカーとも呼ばれ、アメリカのウエスティング社とGE社の技術を導入し、1953年にナニワ工機で製造された。防振防音に優れ、1系統(品川駅前〜銀座4丁目〜上野駅前)限定で運用された。
7500系は1962年に導入された新型車で当初は青山車庫に配属。荒川線の存続が決まり、ワンマンカーに改造されて7504は2001年12月まで活躍した。



また、営業所に行くと中には8両ほどの電車が整備中でこちらも眺めることができた。(以下次回)






洋食大吉〜浅草橋ランチグルメ

2021-11-19 05:00:00 | グルメ
下町には美味い洋食屋がつきものである。アド街でもやっていた洋食のお店が浅草橋駅近くにあることを知り、お邪魔することにした。

店の名前が『洋食大吉』、なんとなく縁起の良さそうな名前である。



浅草橋駅近くは表通りには全国チェーンの店がひしめき合っているが、地元の老舗は一本道を入ったあたりによくある。都営地下鉄の6番出口から出て次の道を右に曲がってしばらく歩くと店が出てくる。看板も黄色地の大きめのもののため、気づかない人はいないだろう。

入口は階段を降りた地下1階にある。扉を開けると広いフロアが拡がるが、11時45分というのに満席、少し立って待つが、奥のお座敷に案内される。

座敷も20人は入れる広さ、ここで4人掛けの机に座る。メニューが机の上にあるが、とにかく豊富。

おすすめはスペシャルセット(エビフライ2本、ハンバーグ、1680円)、岩中トンテキ200g(1350円)などである。私は悩んで昔風特大メンチカツ(920円)にした。

周りを見るとまだ注文したばかりなのか、誰も食べ始めていない。斜め右のカップルが最初に料理が到着、カニクリームコロッケとハンバーグのセットのようである。少し待たされるなあと思ったら5分程度でメンチカツ到着。

銀の皿に大きなメンチカツ、上にはトミグラがかかっていてキャベツ、トマト、マカロニサラダもついてくる。さらにご飯と味噌汁。まずは少し野菜を食べたあと、大きなメンチカツを箸で崩して一口。

美味い、そして懐かしい、これぞ正しい日本の洋食である。辛子をつけながら食べるが、ライスが進み過ぎて止まらない。

味噌汁は豆腐と油揚げが細かく切って入っている。箸休めにはもってこい。また、ご飯も味噌汁もちゃんと熱くてうまいのである。

左斜め前のトンテキがさらに5分くらいして到着、大きな肉をナイフで切って旨そうに食べている。こういう店でステーキ(牛肉)を取り、ワインを飲みながら宴会というのも楽しいかもしれない。大満足な一食、ご馳走様でした。


洋食大吉
台東区柳橋1ー30ー5 KYビルB1
0338667969

『都営荒川線電停からの散歩』③〜荒川区役所に行く

2021-11-18 05:00:00 | 区役所
『都営荒川線電停からの散歩』その3。相変わらず、電車は混んでいた。三ノ輪橋の次は荒川一中前、その次の『荒川区役所』の電停で降りて荒川区役所を目指す。



電停の前の道を左に歩き、次の角を右に曲がると先には公園が見えてくる。割に広い公園の向こう側に区役所の7階建の建物が見える。

公園はちょうど昼休み時ということもあり、ベンチでのんびりする人も多い。エントランスは車寄せのように緩い坂となっていて玄関も広い。反対側には立派な噴水も見える。

区役所は昭和43年(1968年)築、もう53年も経つ。前回お邪魔した中央区役所よりさらに1年古い。中に入ると『シュプリンゲン』というオブジェがお出迎え、他にも区内の伝統工芸品などが飾ってある。



エレベーターで最上階に向かうが7階は職員の休息スペース、もちろん中には入れず、外の様子も写真には納められなかった。食堂もないし、昔ながらというか、とにかく古い役所という感じである。



区役所の建物を出て、公園内の道を歩くと都電の踏切に出る。これをわたり、左の方に行く。薔薇が植えられ、美しいスカーレットレッドの花が咲き誇る。



三河島水再生センターのレンガ造りの建物が見えるが、1922年に稼働を開始した日本で最初の近代的下水処理場である。今でも荒川区、台東区ほかの下水処理を行なっている現役の処理場である。



すぐ前には荒川二丁目の電停、ここから再び電車に何とか滑り込んだ。(以下、次回)






プチバトー〜人形町ランチグルメ

2021-11-17 05:00:00 | グルメ
コロナ禍でランチに使っていた店が多数閉店した中で店の跡に7月に開店した店もある。多分賃料もかなり割安なのだろうが、随分と勇気のある出店である。前の店は『くわんかさん』というパスタの店だったが、今回の店もイタリアンである。

店の名前は『プチバトー』、プチは小さい、バトーは船という意味、つまり『小舟町』をイタリア読みにしたのだろう。

店は地下にあり、階段を降りるとゆったりとした席の配置であることを認識する。ランチメニューはパスタが4種類『野菜たっぷりのトマトソースのパスタ』は売り切れ、『イカと明太子のクリーム』『鴨ときのこのミートソース』『エビ味噌クリーム』。あとはジャンバラヤが2種類。この中から鴨とキノコのミートソース(1080円)をチョイス。スープ、サラダ、パンはいずれのメニューにも付いてくる。

店は広々としていてパスタメインだからか、若い人、特に女性のグループが多い。逆に我々は最年長のようだ。店の造りは夜はパブ(少し古いが)になるようでバーカウンターもある。


すぐにカップ入りのトマトスープ、野菜ざく切りのサラダ、フランスパンが登場。
まず、トマトスープ。中にはスープの液体のみ、少し酸味が効いている。

次にサラダ、葉物野菜がざく切りになっていて中には豆やレーズンなどが入っている。食べがいもあり、あっさりドレッシングだが、なかなか美味い。

こちらを頂いているうちに鴨とキノコのパスタ登場。パスタもたっぷりあるが、ソースがそれ以上にたっぷり。タバスコを掛けていただくが、鴨肉が粗く引いてあり、肉肉しくてボリュームがある。味付けも鴨肉の香りが引き立つようにそれほど濃い味ではない。

麺を食べ終わるとフランスパンにソースを付けていただくが、これも旨い。パンも含めて充分満腹になる。

気がつくと満席、ついこの間まではガラガラだったのに、緊急事態宣言の解除ということもあり、街は急速に元に戻りつつある。


プチバトー
中央区日本橋小舟町12ー7
0362311104

東京ステーションギャラリーで開催中の小早川秋聲展に行く

2021-11-16 05:00:00 | 日記
東京ステーションギャラリーで開催中(〜11.28)の小早川秋聲の展覧会を見に行く。場所は東京駅の建物の中、丸の内北口で改札を抜けると右手に入口がある。

小早川秋聲は1885年に鳥取県日野郡のお寺の長男として生まれた。9歳の時に東本願寺の衆徒として僧籍に入り、その後実家の寺に戻るも絵が忘れられず京都の絵画専門学校に入学、しかし、水墨画を学ぶためすぐに退学し、中国に渡る。1907年に陸軍に入隊している。大正に入り、1914年に文展に初入選、次々に力作を発表、また中国、欧州、エジプト、アメリカなど各地に出かけ、作品を制作している。日本が戦争に入ると従軍画家として終戦まで活躍した。しかし、その後体調を崩し、戦後は創作活動は減り、1974年に亡くなった。

作品展は殆どが個人蔵ながら112点もの作品が展示され、海外でのスケッチや小品も出展されている。若い頃の作品は歴史上の人物などが中心。その後は中国の風景から始まり、エジプトカイロの砂漠やインドのタジマハール、グリーンランドの氷山など当時の人としてはかなり珍しいモチーフの作品も多い。

また、偉人を描いた(聖徳太子、山中鹿之介など)ものや富士など風景画も出展されていたが、その画力には驚かされる。

満州事変(1931年)以降は従軍画家として陸軍の委嘱を受け、戦地に度々派遣されている。ただ、洋画家の藤田嗣治とは違い、華々しい戦闘場面や勇敢な日本兵を描いた絵画より戦火の中厳しい行軍で苦労する兵隊や戦争で亡くなった者への畏敬を感じさせる作品が多く、『護国』『御旗』などは英霊を忘れまいとする作品である。
一方で戦前の教科書の挿絵に用いられた『日本刀』のように日本兵の威厳を描いた作品もある。

今回の展覧会の中で私が注目したのは『國ノ楯』(151×208cm)という作品。横たわる日本兵の遺骸の頭には国旗をかけられ、手を胸の前で組んだモチーフである。当初の作品には遺骸の上に桜の花が描かれていたと言われている。ただ、この作品は陸軍から唯一買上げにならなかったため、彼自身で保有していたもの。戦争が終わり、花の部分を黒く塗り潰し、改作した作品である。この絵を見て何を感じるのか。
陸軍がなぜ買い取らなかったかは不明だが、厭戦感を引き起こす作品として買い取らなかったようである。それだけではなく、陸軍もそのインパクトの大きさに圧倒されたものと思われる。



また、この作品のそばに『合掌』と題した戦争未亡人を描いた作品を見て、単に従軍画家として戦意高揚を狙うわけではなく、戦争の現実を描こうとした姿勢も見てとれた。
一方で戦後は戦争に加担しつつも人の死を前にどう伝えるのかを悩んだ小早川秋聲が見えてくる展覧会であった。私は戦争はこういうものと伝えたかったのではないのか、と思った。



また、このギャラリーは東京駅の中にあり、階段の昇降の際にもすぐ横に赤煉瓦がある。ギャラリーから出ると2階のバルコニーのような廊下に出るが、上から東京駅のコンコースを眺めることもあまりない。



また、コテ細工の十二支も飾ってある。絵画鑑賞の趣味はなくとも歴代の東京駅の模型も見ることができ、鉄道ファンでも楽しめるギャラリーである。






生駒軒〜三ノ輪橋ランチグルメ

2021-11-15 05:00:00 | グルメ
三ノ輪橋付近でランチとなったが、予想外の南千住砂場の休業のため、違う店を探すことになった。食べログを見ると焼肉屋かラーメン屋しか載っていない。一軒ずつ見ていくと何と日本橋で探した『生駒軒』がここにもあるではないか。もちろん、ラーメン屋ではあるが。

早速、店を探すが、国道沿いでみずほ銀行三ノ輪支店の向かいにある商店街の中にあるようだ。歩いて5分ほどで店を発見、やはり街中華そのもののような店である。



赤い暖簾をくぐると左側には2人席が3つ、あとはカウンター。どこでもとは言われたが、カウンターに座り、やはりラーメン+小チャーハン(750円)のセットをお願いする。

70歳以上のおじさんとおばさんの2人が切り盛りする店、テレビは昼のワイドショー、この雰囲気が大好きである。奥ではおじさんがウーロンハイと餃子、餡掛け系のラーメンを食べながらTVを見ている。私の次に入ってきた青年は私と同じメニューを頼む。

おじさんが中華鍋を振ってチャーハンを作るとほぼ同時におばさんがラーメンを出してくる。カウンターに置かれたラーメン鉢が重い。

胡椒を振ってまずはラーメンからいただく。懐かしいスープの味、縮れ麺、まさに東京ラーメンである。中にはチャーシュー1枚、メンマ、ネギ、ワカメ、余計なものは何もない。

小チャーハンに取り掛かるが、ナルトが入っていないため、地味な茶色。中にはネギ、角切りのチャーシュー、卵のみ。一見脂っこく見えるが、パラパラの仕上がりである。

来る客も食べ終わるとすぐに帰る。奥のウーロンハイ氏を除いてはであるが。メニューを見てふと気づいた。というのはセットメニューもチャーハン・中華丼のセットは『ラーメン』とカタカナ、しかし、マーボ丼・カツ丼・ピー肉丼・焼き肉丼は『らーめん』とひらがなと表記の仕方が違うのである。

お勘定を払う際におじさんに『日本橋に数店舗ある生駒軒さんとは暖簾分けの御関係ですか?』と尋ねると『そうです。昔はもっとあったけど、店主が歳を取って減る一方でね』と答え、『それじゃ日本蕎麦の藪とか砂場と同じですね』と言ったら『歴史が違うよ、怒られちゃう』とのことでした。ご馳走さまでした。

生駒軒
荒川区南千住5ー3ー3
0338012435

『都営荒川線電停からの散歩』②〜三ノ輪橋はどこに。

2021-11-14 05:00:00 | 日記
『都営荒川線電停からの散歩』その2。ジョイフル三ノ輪という商店街はその先がT字路になっている。右に曲がるとすぐに国道4号線となるため、左に曲がる。



寂れた商店街かと思っていたが、大違い。肉屋さん、八百屋さん、パン屋さん、珍しいどころでは刃物屋さんなどが並び、昼というのに人通りは多い。




特にお肉屋さん、鶏肉屋さん、八百屋さんは間口も広く、商品も多い。私が目指したのは『南千住砂場』という老舗蕎麦屋さん。



商店街の右側にクラシカルなお店が出てきたのだが、コロナ禍のために臨時休業と書いてある。ぜひにと思っていたが、また、次回のチャンスにお邪魔することにした。



商店街はまだ続くが、きた道を戻り、国道4号線に出る。向かい側に渡ると大きな『餃子屋』の看板。店の規模からしてもかなり大きなものである。



常磐線のガードをくぐり、左を見ると『三ノ輪橋』の由来の案内板、それには『石神井川の支流である音無川にかかった日光街道に掛けられた橋で長さ10m、幅6mの木製橋であった。しかし、農業用水としての役目を終えて明治41年に暗渠となる。今は都電の停留所として名前がのこされている』と言った趣旨が書かれていた。つまり、三ノ輪橋は明治41年に姿を消していたのである。



大関横丁の交差点を左に曲がると永久寺。この寺には江戸五不動のうち、目黄不動尊が祀られている。





その先を左に回り込むとまたお寺。浄閑寺、投げ込み寺として有名である。1855年の安政大地震で多数亡くなった遊女たちが投込同様に葬られたことからこの名前で呼ばれるようになった。また、遊女たちの悲しい生涯に思いを馳せて永井荷風が度々訪れたことでも有名である。私もその後参拝した。



再び、三ノ輪橋電停まで戻る。国道から三ノ輪橋までは旧王電ビルを貫くような形で三ノ輪橋商店街と言っても商店は数店しかないのだが。そして早稲田方面の電車に乗ることにした。(以下、次回)






『都営荒川線電停からの散歩』①〜三ノ輪橋電停で降りて

2021-11-13 05:00:00 | 日記
『都営荒川線電停からの散歩』その1。都営荒川線の停留所の名前の成り立ちを中心に停留所周辺を散策してみたい。都営荒川線の成り立ちは元々王子電気鉄道が運営した路線を東京都が買収したもの。それゆえ専用軌道部分が多い。

今の荒川線となったのは都電32系統(早稲田〜荒川車庫)と都電27系統(三ノ輪橋〜赤羽駅)のうち早稲田〜三ノ輪橋のみを引き継いだもので、1974年より今の運行形態となった。



今日はまずJR王子駅まで行き、王子駅前電停で1日乗車券を購入する。前に訪れた際には確か電停に切符を売る人がいたはずと探すとおじさんが機械を前に改札をしていた。1日乗車券はPASMOに入れることにしてが、機械にタッチすると480円引き去る。停まっていた電車に間に合った。それにしても乗客の平均年齢が高い。



動き始めると左右に揺れる。栄町、梶原と停まるがその度に3人、4人と乗ってくる。電車で久しぶりに会ったおばあさんがお互いに席を譲りあったり、そのおしゃべりを聞いて車内は静かにと隣のおじさんがたしなめたりと、いかにも下町の風景である。さらに乗客は増えたが、地下鉄千代田線や京成線の乗換駅の町屋駅前でかなりの人が降りた。

その先4駅は全て『荒川』が付く駅、専用線区間ということもあり、急にスピードが上がり、気がつくともう『三ノ輪橋』電停に到着する。



電停からすぐのところには三ノ輪橋想い出館。民家を改装して都交通局がやっている施設。小さなジオラマや昔の都電の系統図など、古くなった吊り革も売られていた。



左に曲がると『ジョイフル三ノ輪』という商店街となる。すぐ右手に都電喫茶なる店があり、お茶が飲めるようだ。私が興味を持ったのは入口に飾ってあった王子電気鉄道時代の路線図。



路面電車の駅も書いてあるが、当時バス(乗合自動車)の路線も併記されてある珍しいものでつい凝視してしまっていた。(以下、次回)




『未必の故意』とはなんだろう

2021-11-12 05:00:00 | 日記
『改めて日本語を考える』その35。今回は『未必の故意』について考えてみた。11月10日の夕刊に先日発生した熱海の崩落事故で土地所有者を刑事告訴する記事が出ていたが、ここで久しぶりに『未必の故意』という言葉き出会った。一般的な言葉としてはあまり馴染みのない『未必』、ただ、刑法を学んだことがある者ならば法律用語として避けては通れない言葉である。

『未必』とは必ずしもそうなるものではない、といった意味合いだが、このニュアンスが分かりにくい。『未必(みひつ)の故意』の対義語として使われているのが『認識ある過失』である。
少し難しくなるが、刑法では①『構成要件』、つまり刑法の条文に書かれてる犯罪が成立する要件、②『因果関係』、ある行為があったため、その結果が生じたと言えるのかどうか。③『故意』、簡単に言うとわざとやった、認識してやった行為と言えるかである。(例えば傘をコンビニの傘立てから持ち去ったとしても自分の傘と思い込んだ場合には故意ではない)この3つの要素から罪になるかを考える。
元に戻って『未必の故意』により故意を認識する場合は『必ずしもそうなるとは思わないがなるかもしれない』という場合であり、『認識ある過失』は『多分大丈夫であろう』と思っていた場合である。

では具体的にはどんな場合をいうのか。よく例えられるのが、混雑している場所でのキャッチボールで球が当たって怪我をした事例である。『未必の故意』と思われるの場合は『人に球が当たる可能性はあるかもしれない』と思い、球を投げたことを指す。一方、『認識ある過失』は『人は多いが腕に自信があるので多分大丈夫だろう』ということになる。

口角泡を飛ばして学生時代に議論をしたことがあるが、この2つの事例は客観的に見ると殆ど差がない。普通の故意、例えば人のものを奪う、人を殺す、人の家を壊すなどとはかなり異なる。崖を放っておくと山崩れを起こす危険な状態になるかもしれないと意識していたのだから故意がある、というかなり苦しい法理から『故意』を認識して土地所有者を告訴したというものである。

ただ、この記事を見た一般人が何を言っているのかを理解するのは難しいのではないか。

高級『海苔弁』をいただく

2021-11-11 05:00:00 | グルメ
『海苔弁』というと何を思い浮かべるだろう。母親が学校に行く頃に作ってくれたお弁当、ご飯の上に醤油を付けた海苔を引き、漬物や前日残ったおかず、焼いた塩鮭などを載せたものもある。

私は単身赴任の際にほっかほか亭で炊きたてのご飯の上に味付けのおかかを振り、さらに海苔、その上にごぼうのきんぴら、魚のフライ、ちくわの磯辺揚げ、漬物などを乗せ、ソースを掛けて食べるタイプを思い浮かべてしまう。



その『海苔弁』一本(季節バージョンを入れると2種類)で勝負する店が人形町にオープンした。店の名前は『いちのや』、本店は神保町にあるとのこと。

店に入ると既に季節の海苔弁(1500円)は売り切れたあとのため、海苔弁しかない。ただ、ほかに豚の角煮、明太子、茄子の揚げ浸し、高級梅干しなどのトッピングも追加できる。ただ、海苔弁のみでも1080円するのでこちらだけにする。出てきたサイズは思いの外小さい、しかし、持って見るとズシリと重いのである。



家に帰って早速オープン。出てきた弁当には海苔が敷き詰められ、上には野沢菜、きんぴら、ちくわの磯辺揚げ、魚フライ、鶏の焼き物が乗っている。醤油は金色の魚の形をした入れ物に入っているので、これを魚フライにかける。

まずは魚フライから。カリッと香ばしく中々美味い。次にご飯だが、海苔がぴったり付いて食べにくい。もち麦が混ぜてあり、冷えているのでご飯はボソボソしている。

鶏を食べるが、口上に極上松坂鶏を味噌だれて漬け焼きしたもので噛むと味わいがある。次にちくわの磯辺揚げ、宮城県産らしいが、その差はあまり伝わらない。

食べ進めるとご飯の裏から秘伝のタレで漬け込んだ半熟卵が半分登場。これは中々味わいがあり、酒のつまみにもよさそうである。店のお姉さんが言う通り、完食すれば満腹になる。

しかし、昔、食べたほっかほか亭の海苔弁はご飯がほかほかでフライやちくわも熱く、こちらの方が270円だが美味かったように思えた。もちろん、この高級海苔弁もすぐ食べればかなりいい線だったかもしれないが。ともかく、ご馳走様でした。

海苔弁いちのや
中央区日本橋人形町1ー18ー8
0368200611