曳舟駅からの散歩で鳩の街商店街を歩いてきたが、銅板貼りのレトロな家屋や商店はあるが、かつての赤線地帯の名残はあまり発見出来なかった。時折、路地に入ったり、細い分かれ道を行ったりしたが、現在は改築や新築の家屋の増加で探すことは難しい。1kmほどの商店街は墨堤通りまで続く。
これをL字に曲がり、さらに行く。大きな民家で銅板貼りの家を発見。もちろん、今も現役である。
その先にあるのが墨田区立露伴児童遊園。露伴とは文豪・幸田露伴のことである。露伴はこの地に3回住んだことがある。ここは1906年に自らが設計して作った『第二蝸牛庵』と名付けた家があった場所である。
その後、関東大震災により井戸の水が汚れたため、1924年に小石川に転居するまで16年に渡り生活した。娘で作家の幸田文が小説『みそっかす』などで描いているのもここの家のことである。
『蝸牛庵』の蝸牛はかたつむりのことで、貸家を転々とする自らをなぞらえ、号を蝸牛としたところからきている。
児童公園の向かいに思わぬ自販機を発見。冷凍餃子やラーメンを扱っているが、いずれも名店のもの。なぜここにあるかは不明だが、雷神餃子やつじ田のつけ麺など気になる商品もあった。
そのまままっすぐ行くと突き当たるが、これを右に少し行き、さらに左に行くと『向島百花園』のところに出る。園に沿って歩くが、予め登録をしないと入場できないことに気づき、看板のところで写メを撮る。
向かい側に渡り、さらに5分ほど歩くと東武線の高架が見えてくるが、ここが東向島駅である。現在のホームの駅名板にはないが、駅の入口の看板には(旧、玉乃井)と書かれていた。まさに永井荷風も通っていた街なのである。