hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

あさだ(移転後初訪問)〜八丁堀ランチグルメ

2021-07-11 05:00:00 | グルメ
日本橋から歩いて八丁堀に。以前、八丁堀の交差点に面したところにあった老舗の蕎麦屋さんが移転のため閉店してしまった。昨年場所を移して再開されたのを知り、お邪魔することにした。

お店の名前が『あさだ』、明治35年創業だから1902年、つまり119年の歴史がある。前の店からの行き方は昭和通りを渡り、亀島橋を越えて右折、その先を左に曲がったところに移転していた。

到着したのが11時40分、まだ先客はおらず、店の人が2人で昆布を鋏で切っているところに出くわす。

名物は天もり(900円)、エビとかき揚げが選べるのだが、この日は『小柱入荷』の張り紙もあり、こちらを注文。
少しして油で天ぷらをあげる音が厨房から。するとこのタイミングで新しいお客様が2組3人入店。1人は天ぷらそば(かき揚げ)、もう2人は天もり(かき揚げ)、やはりかき揚げ人気である。

少し経った頃に私の天もりが到着。蕎麦は茶そば、綺麗な黄緑色をしている。ツユには斜めにかき揚げが差し込むように入っていて少し浸かっている。別皿にわさびとネギ。



まずは茶そばのみをツユにつけて頂くが、お茶の香りがほんのり、季節感がある。さらにかき揚げを壊しながら頂くが、小柱の味が何とも江戸の香り、ごま油が香ばしい。ちなみにツユは私にはそれほど辛くないように感じた。



難点は蕎麦が少なめなこと、あっという間に完食。しかし、そばを食べ終わり、蕎麦湯を飲んだら満足できました。ご馳走さまでした。レジでお金を払いながら新しい店に初めてお邪魔しましたと言うと、わかりにくかったでしょう、わざわざありがとうございました、と言われた。相変わらず店は広くはないが、雰囲気の良い店である。



おかだ
中央区新川2ー8ー8
0335515284


白金台付近の坂道④

2021-07-10 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その141。蜀江坂をゆっくりと下るが、左側の煉瓦塀はかなり長い。聖心女子学院の通用の前を通り、坂を降り切るとパス通りに出る。

目の前には北里大学と病院、さらに左に曲がると白金ヶ丘学園がある。次の信号は三光坂下とあり、右の方に登って行くのが『三光坂』である。

名前の由来には色々な説があるが、説明板には『本来は坂下専心寺にあった三葉の松に基づき、三鈷坂(三鈷は仏具でさんこと読む)だったというが、日月星の三光などともいう』とある。

やや、言葉足らずの説明で補足すると『三代将軍家光が鷹狩の際に専心寺に立ち寄った際に寺の松が珍しい三葉だったので三葉の松と名付け、その前の坂道は三葉坂と読んだ。しかし、地元の人はこの松を三鈷の松と呼んでいたことから三鈷坂と呼ばれた。また、日月星の三光が由来という説もあるある。』と言ったことらしい。



まっすぐ伸びる急坂で両側には高級マンションや豪邸が立ち並び、その究極が左側にある旧服部金太郎邸であろう。この旧宅はGHQに接収されたりもしたが、現在は外国のファンドが保有している。また、周辺には名前はないがいい坂が結構ある。この坂道など服部邸の隣にあるから『服部坂』とでもつけたくなる。


また、右側には『聖心女子学院』と書かれた校門の柱が残されているが、ここが入口のようである。
坂上からそのまままっすぐ歩き、途中右に折れると東大研究所と聖心女子学院の境目の通りに出る。かなりの距離があり、さらに坂を降りた後上り坂となる厳しい地形で突き当たりを右に曲がる。その先は下り坂となっていて下まで下り、外苑西通りを渡る。



その先突き当たりは白金自然教育園だが、一本手前の右に降りていく坂道が『日東坂』である。説明板には『日東紡か日本精糖の用地であったため、日東坂もしくは日糖坂と呼ばれていた。大正初年に開通した坂道である。』とある。

坂を降りると白金トンネルの前に出る。

今回は4本の坂道を歩いたが、いずれも勾配が厳しく、さらに長い坂ばかりであった。

『駄目な隣人』で懐かしいラーメンをいただきました。

2021-07-09 05:00:00 | グルメ
コロナ禍で飲食店の閉店が相次ぐ一方で新たに開店する店もある。東京メトロ人形町駅のほぼ出口横という好立地にかつては小諸そばがあった。私は結構繁盛していると思っていたのだが昨年末(?)で閉店、その後なかなかテナントが決まらなかったが2月に今のラーメン店『駄目な隣人』がオープンした。



一般的な新しいラーメン屋の特徴はしばらくは列ができるが、3ヶ月もすると潮が引くように空いていく。しかし、この店は6月になっても12時前には列ができている。





外出から戻ったのが11時40分、この店を見るとまだ空いているのですぐに入店。手を消毒して席に着くとチェックシートに記入をお願いされる。

(チェックシート)
それにはラーメンの種類、麺の太さ、サイドメニューの要否、来店回数をチェックすることになっている。取り敢えず、醤油ラーメン、細麺、大盛として紙を店員さんに渡すとここでお勘定というシステム。

その際にテーブルにある生卵、海苔など食べ放題、ニラと唐辛子のトッピング、醤油、胡椒、鰹節などの説明がある。


待つこと5分くらい、醤油ラーメン到着。丼は深いタイプ、細麺の縮れ麺がやや多め、その上に柔らかそうなチャーシュー、穂先のメンマ、ネギなどが乗っている。



まずはスープから。小ぶりのレンゲで一口、懐かしげな醤油ラーメンで多少脂は浮いてちるが、穏やかな野菜のスープの味、生姜の香りがするが、飲み飽きない味である。



麺は普通の縮れ麺、喉越しがいい。私は生卵が苦手のため、海苔を2枚。海苔箱に入った山本海苔店のもので香りがすばらしい。途中でニラ+唐辛子のスパイスを投入、味が一気に引き締まり、かなり辛くなる。
店内は打ちっぱなしでアメリカ風の装飾、店員さんも黒づくめ、ブルース・プラザーズを彷彿させた。食べ飽きない味、空いていたらまた来たい店である。なお、この変わった店の名前の由来は一度行った位ではわからない。ご馳走さまでした。

駄目な隣人
中央区日本橋人形町3ー7ー13


つくば霞ヶ浦リンリンロード(新土浦駅跡〜小田城址)

2021-07-08 05:00:00 | 日記
『ほたて』で昼食を取った後、再びリンリンロードに向けてペダルを踏んだ。先程と同じように関鉄本社前のバス停まで行き、今回は左折する。目的地は14.2km先の小田城址である。つくば霞ヶ浦リンリンロードがいいのは殆どフラットなところ、足に負担がかからない。ただ、あまり自転車に乗り慣れていないため、他のサイクリストにどんどん抜かれてしまう。



田んぼが広がる中を走ると左側に昔の踏切に置かれていたと思われるコンクリートの塊、やはり廃線跡である。旧筑波鉄道の次の駅は虫掛、スタートから4kmだが、26分もかかってしまった。



虫掛駅は二面二線のホームであったが、現在は向かって右側のホームのみが残されている。



相変わらず田んぼの中を行くが、少しずつ湿地が増えてきてガマの穂が出ていたり、シラサギが魚を捕まえていたりする。



よく見るとまだ子供のシラサギが10羽以上同じ田んぼでせっせと餌を啄んでいる。最初は右手に見えた筑波山も段々と正面、しかも姿が大きくなってきた。



次の坂田駅跡はどこにあるか分からず通過、旧常陸藤沢駅跡(藤沢休憩所)まで3.8kmを20分で走る。二面二線のホームはそのまま残されていて屋根も一部ある。日差しが強い中で走っているため、日を遮る屋根は有難い。この休憩所には自販機もあり、水分補給をする。



次の田土部(たとべ)駅跡にも一面一線のホームが残されている。元々ホームに生えていた木もそのまま、この駅の過去を知っている人にとっては懐かしいのであろう。



つくば市に入り、少し行くと目的地。藤沢休憩所から小田城址までは6.4kmあるが、これを38分で走る。サイクリングロードが初めて左にカーブするが、この突き当たりに小田城址がある。城址は『小田城址歴史広場案内所』となっているため、ホームのみ残されている。



ここまで14.2kmを1時間26分でようやく走り終えた。それにしてもまっすぐでアップダウンの少ない鉄道だったようである。ここで一旦自転車を置き、城址探訪をする。

白金台付近の坂道③

2021-07-07 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その140。渋谷川の橋めぐりの後、天現寺橋まで来たら白金周辺で行き残した坂道があることを思い出し、歩くことにした。前回この辺りを歩いたのが2016年7月、気がつけば5年も経過していた。

天現寺橋から慶應幼稚舎の前を通って首都高速の方に歩く。シロガネーゼという言葉があるくらいお洒落な店が軒を並べている。

しかし、首都高速を潜ると八百屋さん、外苑西通りを三田方向に少し行くが五軒長屋、洋食屋さんの名前が『ハチロー』と庶民的である。2つ目の路地を右に曲がると『明治坂』の下にちょうど出る。

明治坂は坂下あたりは細く、うねりながらやや広くなる坂道で長くやや急な坂道である。名前は木製の説明板に『昔から存続した坂であるが、明治坂と呼ばれたのは大正初年と言われている』とある。両側は住宅地で子供がしゃがみ込んで遊んでいた。

坂の頂上あたりを左に曲がるが、道が分かりにくく、さらに広い邸宅を細切れにしたようなミニ開発により作られた細い道がよりわかりにくくする。

途中、興禅寺という寺院を右に見ながらまっすぐ歩くと急に左に降りていく坂道が現れた。右側は聖心女子学院の煉瓦塀、左は無理矢理崖地に建てたような家が並び、その間からは下が見渡せる。

この坂道が『蜀江坂』である。周辺は『江戸時代に坂の上を紅葉の美しい中国の蜀江にちなんで蜀江台呼んだところからつけられた』と説明板にはあった。全く同じ名前の坂が新宿区にあり、名前の由来もほぼ同じ。



坂を降りていくと左側に家はなかった頃には高台から遠くが見下ろせたであろうと思われる場所である。(以下次回)






ほたて〜土浦ランチグルメ

2021-07-06 05:00:00 | グルメ
土浦市の名物と言えばうなぎ、蓮根、常陸牛、霞ヶ浦のワカサギなどを挙げる人が多いが、今日のランチは旧水戸街道の桜橋にある『ほたて』という天ぷら屋にお邪魔した。

ほたては明治2年創業の老舗で創業時の建物を修復しながら今に至る。外観もかなり歴史を感じさせるが、店内もやや薄暗く、タイムスリップしたようである。贔屓筋なのか大相撲の高安の手形がいくつも貼ってある。


天ぷらがメインで刺身定食なども出すが、本日は平日サービス品のかき揚げ丼(780円、税込)にしてみた。なお、主なメニューは天ぷら定食980円、刺身定食920円、上天丼1230円となっている。



お店を取り仕切るのはおかみさんと若夫婦のような取り合わせで厨房には男性が1人。注文を受けるとすぐに天ぷらに取り掛かる。店には先客が1人、テレビに熱中しながら天ぷら定食を食べている。私の次に来た人はかき揚げ丼、次の幼い子供連れは座敷で天ぷら定食を注文していた。


待つこと8分、丼、魚のあら汁、漬物がお盆に乗って運ばれてきた。丼の蓋を取るとその大きさと同じかき揚げの乗った丼である。

丼のタレは色が濃く、辛そうに見えるが実はそうでもなく、やや甘めのいい感じ。胡麻油の香りもよく、かき揚げの中には海老、イカが刻んだものが入っていて、しっかりサクサク感も残っていて美味。

一方、あら汁は豆腐と魚のアラの具沢山。生臭さは感じないが、アラの骨が多く食べにくい。子供の頃にあら汁を飲んで喉に骨が刺さる経験があるため、お汁だけいただきました。

漬物はしっかりぬか味噌に浸かった胡瓜とカブ、味がしっかり、程よく酸っぱく、こちらは大変美味しゅうございました。



店はそれなりに広く、女性2人で切り回しているが、テキパキ動いていて感じがいい。店を出る際も皆様からありがとうございます、またよろしくお願い申し上げます、と声が。気持ちの良いお店でした。ご馳走さま。

因みに『ほたて』という店名は帆立貝とは無関係、ご主人の苗字の保立さんから来ているとのこと。
ほたて
土浦市中央1ー2ー13
0298210151

つくば霞ヶ浦リンリンロード(新土浦駅跡〜土浦)

2021-07-05 05:00:00 | 鉄道
晴天のもと、サイクリングで旧筑波鉄道筑波線の跡に作られた『つくば霞ヶ浦りんりんロード』の一部を走って見ることにした。まずは『新土浦駅〜土浦駅』区間。土浦まちかど蔵で自転車を借り(1日500円)、旧新土浦駅を目指す。

亀城公園の前を通過し、常陽銀行を右折、一般道を走る。とはいうものの、ちゃんと自転車通行帯が設けてあり、アップダウンもないので快適。

5分くらいで『関鉄本社前』のバス停を右に曲がる。蛇足ながら、私が仕事で土浦に来ていた1995年頃はまだ『新土浦駅前』というバス停だった。



曲がるとすぐ右側にかつてのホームがそのまま残されている。すぐ前には関東鉄道本社、その裏は今はバスの車庫となっているが、元は車両の車庫であった。

そのまま進んでいくが、サイクリングロードとして整備され、左右には桜並木が続く。少し行くと新川に到達、川に降りることができるようになっている。



国体道路を右に曲がり、神天橋をわたり、その先を再び左に行くとJR常磐線と並行して道が作られている。そのまま500m走ると土浦高架橋の下に出るが、ここがサイクリングロードの起点、また、元筑波鉄道の起点でもある。



ここまで戻ると再び土浦まちかど蔵まで向かいランチにしようと主に高架道路の下を通過する。テナントは変わっているが、ショッピングビルがある。




かつてはこの向かいあたりに小網屋という地元百貨店があったが今は大きなマンションが立ち、跡形も無くなっていた。そういえば土浦京成百貨店、西友、丸井、イトーヨーカドーと市内中心部にあった大型商業施設は全て無くなってしまっていた。

活毛蟹をいただく

2021-07-04 05:00:00 | グルメ
『緊急事態宣言』がようやく終了したものの、『再びまんえん防止策』再発動と相変わらず外食もままならない中で、せっかくボーナスもらったしと『ふるさと納税』を使ってお礼に今時期の毛蟹でもと思い、ふるさとチョイスをチェック。

すると一般には茹でた毛蟹の急速冷凍しかないが、北海道豊浦町の活カニがもらえるコースを発見。早速、寄付をした。すると6月下旬に7月上旬には届けられるとのメールがあり、本日これを受け取った。

宅配で届いたのは大きな冷蔵と書かれた発泡スチロール。中を開けると大きなビニールの中に空気と水が入り、しっかり毛蟹が2杯生きたまま入っている。

長く見ていると里心が湧きそうだったので家では最も大きいパスタ用の鍋に4リットルの真水と80gの食塩を投入、グツグツと沸かす。しかし、これがなかなか湧かないのである。

ようやく10分後に沸騰、付いている説明紙にはカニが暴れるから軍手で持つように書いてあるが、カニはひっくり返すと大人しくなる。これを鍋に入れ、吹きこぼれないように15分間茹でる。

やり始めて思うのは急速冷凍ならば解凍するだけだったということ、業者が茹でて、急速冷凍したものの方が間違いないとの文言をみて、連れ合いはご機嫌斜めに。しかし、もう後戻りできずやるしかない。実はもう一杯は別の鍋で茹でているため、燃料費もばかにならず。

ようやく茹で上がり、少しの間水を掛けて粗熱を取り、ジップロックに入れて冷蔵庫にて保管する。

ここまでが下作業、食事の1時間前から毛蟹の解体を始める。まずは甲羅を外し、味噌を甲羅に入れて、お腹の肉をほじくりながら甲羅に詰める。

次に脚を全て切り取り、脚の身が食べやすいようにサイドに鋏を入れていく。この方法はズワイガニで毎冬行っているため、慣れたものだが、毛蟹には尖った棘が関節にあるため、気をつけないと痛い思いをする。この作業を1杯あたり8本の脚と2つの鋏に対し行なう。1杯あたり25分ほど、2杯で50分、黙々と行なう。この作業はしなくても食べる際に行えば良いのだが、私は食べながらではいっぺんに沢山食べられず、イライラするため、必ず予めこの作業をやっている。

そして夕食前には完了し、毛蟹を三杯酢で頂く。特に毛蟹の脚の身は甘く、思わず声を上げてしまいそうになる。たまにはこんな贅沢もお家時間の中ではいいのかなあ。

しかし、下処理に1時間弱、解体に25分も掛けたが、食べるのはあっという間。こんなものである。ただ、皆様は急速冷凍の方を買うことをお勧め致します。ひまな雨の土曜日でした。ご馳走さまでした。

渋谷川沿いの橋を巡る④

2021-07-03 05:00:00 | 川と橋
『ぶらり橋めぐり』その106。渋谷川沿いの橋を巡って歩いているが、川沿いの道がないので右へ左へ振られながら歩く。



すぐに『山下橋』、名前の由来は町の旧称。つまり、1966年の新住居表示の際に恵比寿1丁目に組み入れられたのが『山下町、新橋町、恵比寿通2丁目、下通2、3丁目、恵比寿東2、3丁目』であり、このあたりは山下町だったからである。



次の橋が『新豊沢橋』、ということは豊沢橋は何処へとなるのだが、そばに豊沢橋は実際に存在した。しかし、道路拡張に伴い、この橋が作られ、区画整理で豊沢橋が廃橋となったため、新豊沢橋』のみが現存する。



ここからは一旦明治通りに出てしばらく行く。バス停の先に左に細い道が出てくるが、都立広尾病院に続く。



その上にかかる橋が『回生橋』、名前の由来ははっきりはしないが、病気から回復して帰っていく思いを込めた名前のようである。



続いて『天現寺橋』。渋谷川はここまででこの先の『たぬき橋』からは古川になる。渋谷橋同様の歩道橋があり、渡って降りたあたりに青山墓地あたりからくる笄川(こうがいがわ、暗渠)と古川、渋谷川が合流している。



(笄川、渋谷川、古川の合流部)




全くの余談だが、1924年5月当時の玉川電気鉄道は渋谷橋〜天現寺橋を延伸させて天現寺で東京市電と繋がった。さらに1927年3月にはこの線の支線として渋谷橋〜中目黒を開通。



(大正14年4月号時間表)

玉電は山手線の内側まで延伸、ここを起点にしたのである。その後、渋谷駅の玉電ビルの開業など紆余曲折があり、天現寺線の運行を東京市電に委託、さらに1948年に東京都に譲渡した。1969年に廃止された時は都電34系統であった。もちろん今はその面影さえないのだが。





竹とんぼ〜人形町ランチグルメ

2021-07-02 05:00:00 | グルメ
蔓延防止措置の下でも中小企業は在宅勤務とばかりはいかない。毎日通勤しているとよくわかるのだが、行き帰りの電車もそれほど空いておらず、ゆったり通勤などとてもとても。さらに最近はランチで店に行ってもかなり混雑している。もちろん、閉店や休業している店が多いからかもしれないが。

人形町から小伝馬町に行く途中にいつも繁盛して中々入れなかった定食屋さんがある。コロナ禍なら空いているかと11時45分に入店した。店の名前は『竹とんぼ』、ビルの2階と立地もあまりよくない。店に入ると小さな水槽の中にいる真鯛が迎えてくれる。店内はまだ1人のみ、入口のお弁当は売れているようだが。

メニューは日替わり、サバ塩、赤魚粕漬け、ホッケ、ネギトロとろろ、ローストビーフ丼と色々。日替わりは味噌カツと聞いてついつい選択してしまう。(すべて950円)

店内は広いがフロアはおばさん3人、厨房は見える範囲で4人と手厚い。しかし、私が入店した後は次々とお客さんが入ってきて、とにかく日替わりが人気である。

少し待たされて出てきた日替わり定食はメインの味噌カツ、小鉢、漬物、味噌汁。まずは味噌汁から行くがこれが美味い。単なるワカメの味噌汁だが、出汁がいい。


味噌カツだが、名古屋風の濃い色の八丁味噌ダレではなく信州味噌風の色合い。カリッと揚げたてのカツに甘めの味噌ダレ、とにかくご飯が進んでいけない。味にアクセントと思えば、辛子をつけるのもいい。



ふと入口を見ると立って待つ人が、時計を見ると12時。小鉢はこんにゃくの煮物、箸休めにいい。ゆっくり食べても良いのだが、カツの時はどうしても早食いが加速してしまう。あっという間に完食。お茶を飲んでお勘定。

その際に水槽にいる真鯛の話をしたら、この鯛はペットだから食べないらしい。餌を食べて大きくなったようだ。それほ残酷な話ではないようで安心する。降りようと階段まで進みびっくり、一番下まで待つ人がいる。これは人が戻ってきたのか、この店が美味いのか、その両方なのか。とにかくご馳走さまでした。

竹とんぼ
中央区日本橋堀留町1ー5ー7
0332494194