hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

時刻表90周年

2015-04-10 05:00:35 | 日記

鉄道シリーズ その100。このシリーズも100回、ブログを書き始めたのが、2年前の5月だこらそろそろ680回を超えたあたりだが、その7分の1が鉄道の話だとは思わなかった。今回は時刻表90周年の話題。

2015年4月で時刻表が発行され始めて90周年となる。始めてJTB(当時、日本文化協会)が時刻表を発刊したのが1925年(大正14年)4月、実はそれ以前も時刻表はあったが、しっかりした国鉄監修のものはこれが嚆矢である。今回の発行で1071号、たいしたものである。

時刻表は当時時間表と言われ、最初は12時間制をとっており、ごごは太字で書かれていた。1932年(昭和7年)の85号からは表紙にモノクロ写真も登場。このころは日本の占領下にあった朝鮮・台湾・満洲の時刻も載っており、アジアから欧州までの時刻がかかれた国際列車の掲載もある。

戦後は1945年(昭和20年)9月の238号が最初、1952年頃からは電気機関車の表紙が続く。

1958年8月と10月の時刻表は持っているが、7月が中々手に入らない。(誕生月)というのはどうでもいい話。


1963年8月号は初めて、時刻表の表紙がカラー写真になったもの。そして1964年10月号は新幹線開業の時刻表で今もプレミアムがついているが、今月号表紙の右上にも載っている。

次によく覚えているのが1967年10月号ちょうど500号を迎え、今のB5サイズになった。表紙は世界初の電車寝台特急『月光』である。さらに1968年10月号、いわゆる白紙大改正があった月のもので黄色い表紙をよく覚えている。

さらに1975年3月号の589号からは表紙が一新されたが、実は新幹線が博多まで延伸した月のものである。

時代は飛んで2009年4月発行の999号は松本零士のイラスト、銀河鉄道999の書き下ろしである。この歴史のページが2ページついた今回の時刻表はお買い得である。
マニアにとっては垂涎の宝物だが、家族にとっては汚い古雑誌、だけどこの1冊でかなり楽しめる。因みに最新号は1183円(税込価格)である。
蛇足ながら、新しい時刻表で発見したのは、こと在来線に限ると富山県にはJRは城端線(高岡~城端 29.9km)、氷見線(高岡~氷見16.5km)、高山本線(富山~猪谷 36.6km)計83kmしかないことと、信越本線といいながら高崎~横川、直江津~宮内しか残されていないことは新たな発見であった。(登場する時刻表はマイコレクションで復刻版ではなく、実物ある。)

カラスノエンドウ・スズメノエンドウ

2015-04-09 05:00:21 | 日記

木に咲く花もいいが、道端にも春には可愛らしい花が咲く草がある。その中で面白いのはカラスノエンドウというピンク色の花をつけるエンドウをミニ型にしたような2年草。


日当たりの良い公園や線路際に多く咲く。花が咲き終わるとやはりエンドウ同様に小さな鞘をつけ、その中には小さな種子が10個くらい入っている。


実はもう少し小さな同種の植物にスズメノエンドウという種類がある。見た目はカラスノエンドウとよくにているが、少し花も葉も小さい。そのため、植物学者はカラスより小さなスズメノエンドウと名付けたらしい。


しかし、その後の観察でカラスノエンドウを大、スズメノエンドウを小とすると新たに『中』の類似品種が発見された。そこで困ったのがネーミング、カラスとスズメの間だからハトノエンドウと名付ける手もあったかも知れないが、結果はカラスノエンドウの『カ』とスズメノエンドウの『ス』を取り、カスマグサと名付けられた。このことは中学1年の理科で教わったことだが、何故か小生はよく覚えている。その際に合わせて学んだのが、道端に咲く花にもちゃんとこうして名前があることを忘れず、是非覚えて欲しいということ。

有名な昭和天皇の語録にある場所にお出かけになった昭和天皇がこの花は何という名前かと聞かれ、説明役が、『それは雑草です』と答えたところ『雑草という名前の草はありません』とお話になった記録があるが、まさにそうだと思う。
他にもハルジオンやホトケノザ、ナズナなど地味な草にも花が咲き。華やかな季節になってきた。


食べ物を使った慣用句

2015-04-08 05:00:00 | 日記

『改めて日本語を知る』その9。食べ物を使った慣用句は多い。例えばよく出てくるのが『餅』である。

『ヤキモチ焼き』『尻餅をつく』『餅屋は餅屋』『絵に描いた餅』これだけの表現を普通に使っている。特に仕事の時など『そのアイディアは絵餅だね』などと略しても皆理解している。

他にも『味噌』、『味噌もクソも』『手前味噌ですが、』『お前の歌を聴くと糠味噌が腐る』『味噌をつける』などなど。因みになぜ『味噌をつける』が『失敗して評判を落とす』意味なのか不思議と思ったことはないだろうか。

昔は火傷をすると患部に味噌を塗るという民間療法があり、味噌をつけなければならない状態になることイコール→失敗すること、と考えられる。もちろん、他の説もあるが。

また、『茶』もよく使われる。『お茶を濁す』『茶腹も一時』『お茶の子さいさい』『鬼も十八、番茶も出花』『茶々を入れる』『臍で茶を沸かす』。しかし、『お茶の子さいさい』など『簡単だ』という意味は分かるが、その語源は知っている人は少ない。

これには2つ説があり、『お茶の子』とはお茶受けの小さな菓子で簡単に食べることが出来るためという説。もう一つは朝食前に食べる茶粥をお茶の子と呼ぶ地方があり、朝飯前と同じ意味で簡単に出来ることを呼ぶようになったという説である。なんとなく、最初の説のように思うが、如何だろうか。

最後に『強飯(おこわ)』を使った表現で『強飯を掛ける』という意味はご存知だろうか。これは『人をだます、陥れる』という意味で使われるが、難易度は高い。これは落語の『居残り佐平次』という演目を知っている人ならばわかると思うが、最後の落ちのところで『廓の主人が若い衆から佐平次の図々しい様子を聴いて、「人をおこわに掛けて」と怒ると若い衆が「旦那の頭が胡麻塩ですから」という』(写真の左上にあるのが胡麻塩)下げで終わる。この場合の『おこわ→赤飯』の意味であり、白髪混じりの胡麻塩頭に引っ掛けた下げであることまではなかなか分からない、逆に解説すると身も蓋もないかも知れない。小生としては是非、亡くなった古今亭志ん朝の佐平次を聴いて貰いたいものだ。
それにしても日本語の表現の豊かさには驚くことばかりである。

長政~人形町グルメ

2015-04-07 05:00:07 | グルメ

先週は本格焼き鳥を三軒茶屋で食べたくせに、小生は焼き鳥は東京が最高などと耳に挟むと思わずやはり博多でしょうといってしまうほど博多の焼き鳥が好きである。博多でよく行ったのが大名にある『権兵衞』、皮の焼き鳥が一番好きなのは子供の頃からである。

しかし、なかなか博多の皮の焼鳥にはお目にかかれないと思っていたら、実は人形町には『長政』という店があることを発見。

店に着いたのは19時くらいで小生たちが座った2人席以外は満席。まずは焼酎(黒霧島ロック)と皮串5本を注文。すぐに焼酎が登場、ついで皮串がやって来る。皮串は意外に甘くなく、何本でも食べられそうだが、カリカリで香ばしい。


次いでズリ(砂ずり)とつくねが登場。ズリはまさに博多屋台の味、つくねも塩焼きは酒が進む。


さらにバラ(豚バラ)はこってりした味だが塩焼きのため、意外にあっさり食べられる。追加注文はナンコツのからあけ、塩味続きだが、美味い。この辺りで焼酎追加。


再度、皮焼を再度注文、さらに『ササミのシギ焼』を頼む。ササミのシギ焼は軽く焼いてわさび醤油に漬けたもの。ふわふわのササミにわさび醤油がよく絡み、中々美味い。この辺りで角のハイボールに。それにしても酢キャベツは酒によく合う。


今回は2次会のため、これでお開き。皮焼のタレが少し塩辛いが、全体としては満足。いや、美味い店は意外に近くにあった。


博多とりかわ 長政人形町店
中央区日本橋堀留町2ー1ー4
03036658686


電車とサクラ(高井戸~久我山)

2015-04-06 05:00:00 | 日記
鉄道シリーズ99。最近は井の頭線の写真を撮ることが多い。今年の桜は残念ながら3月末の週末に予定が立て込んだため、写真を取りに行くことができなかったが、さくらは年に1度くらいあるかないかの機会のため、曇天を承知で高井戸駅から久我山駅まで花と電車の写真を取りながら歩いてみた。神田川沿いには浜田山周辺から井の頭公園までところどころ切れるところはあるものの目黒川とはいかないが桜が咲き誇る。最初に行ったのは高井戸駅。浜田山方面には桜の並木のようになり、浜田山から上り坂を来る線路とほぼ平行に咲いている。


さらに浜田山駅よりの踏切からも桜が入るポイントがある。ここの桜はやや散りかけていたが、一枚撮る。

さらに川沿いからもなんとか電車が見えるところがある。

今度は富士見ヶ丘駅方向に向かって川沿いを歩くが、団地の建物が邪魔になり思うようには取れない。踏切の横の木は日当たりが良すぎるのか完全に葉桜となっている。富士見ヶ丘駅からしばらくは桜がないが、検車区あたりかたは桜がいくつも咲いていて電車はないがなかなか美しい。


つい最近までつくしを見ることができた線路際もすっかりスギナに覆われてしまっている。
さらに久我山駅を越えて2つ目の跨線橋からは桜ならぬ桃が満開で美しい。


ただ、惜しむらくは天気の悪さ、来年こそもっと素晴らしい写真を問いたいものだ。

桜坂~多摩川駅付近の坂道(2)

2015-04-05 05:00:26 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その33。坂道の話はこのブログでの評価が一部で低いようである。だから今回は桜が満開の桜坂を取り上げる訳ではないが、やはり桜は日本人のこころにはもっとも響く花なのかも知れない。

前回の多摩川駅近くの2つの坂を後に田園調布から田園調布本町方向に旧中原街道を目指し歩く。

因みに『さくら坂』『桜坂』は東京にはいくつかある。一つが赤坂サカスの中にある『さくら坂』、六本木ヒルズの中にある『さくら坂』、足立区のハートアイランドshindenの中にある『さくら坂』、しかし、これらの坂道は平成以降に新たに作られた坂ばかりである。


しかし、今回ご紹介する『桜坂』は旧中原街道が昭和初期に改修工事がなされ、今の切通しのような形になったが、1930年に桜が約20本植えられて、桜坂と呼ばれるようになったそれなりに歴史のある坂道である。もちろん、全国区になったのは福山雅治が2000年に『桜坂』を歌ってからで桜の季節以外も沢山の人がこの辺りにやってくる。


今回訪れた際にも桜もかなり咲いていて、切通しの上の部分にかかる橋(歩道橋・さくらばし)から花見をしようと多くの人が出ていた。坂の下には旧中原街道の道について書いた標識も付いていて、小生はこの標識を見て、初めて『中原』が『平塚市中原』であることを知った。因みにこの街道は塩の道ならぬ酢の道であったようだ。

混雑する桜坂を後に沼部駅方面に歩くと寺院(東光院)の向かいあたりを右に上がって行く坂道があるが、これが『おいと坂』がある。


この坂の由来は『鎌倉時代に北条時頼が中原に来たが、病となり難治であった。しかし、井戸水があり、使用した所ほどなく全治した。その井戸を沼部に移し、雌井・雄井と呼んだが、おいととは雄井戸のことではないか』と言われている。しかし、井戸をどうやって平塚から沼部に移したのかは不思議であるが。


坂を下り、先ほどの寺院の先着くが、この辺りには見事な桜の道が出来ており、週末にはかなりの人が押し寄せるであろう。小生は沼部駅から電車に乗ったが。



それにしても桜坂は中々見事なお花見スポットである。

床島~三軒茶屋グルメ

2015-04-04 05:00:09 | グルメ

最近、三軒茶屋の店を開拓しようと色々と巡っているが、飲み友のTくんが以前から注目している(ただし、彼は行ったことはない)焼き鳥の床島にお邪魔する。

なかなか、予約の取れない店だが、ようやく20時半スタートで予約。店はいつもの赤鬼の横を抜けて2本目を左に曲がった所にある。入口には酒林があり、その横から入店すると広いカウンターのみのお店。


特色はメニューに値段がないことだが、気にもせず、まず生ビールを頼む。相方が少し遅れたため、お通しをつまみながら飲み始めるが、お通しは鶏の西京漬、鳥もつ煮、漬物の3品。特に鳥もつ煮は別に注文したいくらいの味。

取り敢えず、つまみの『ササミスモーク』『鶏皮ポン酢』を注文。生ビールは保温のジョッキで泡も滑らか。ようやく相方が登場して6本串を注文。まずは『ササミスモーク』、当たり前だが、宮崎のアンテナショップで売ってるのと違い、中はふんわりしており、程よくスモークが効いて美味い。

焼き鳥のスタートはハツ、焼き加減も絶妙で塩でさっぱり頂く。

次は『膝軟骨』、かすかにニンニクの香りがする。この辺りで日本酒を注文。最初は『風の森 山田錦』(奈良県)最初はこういった風味の良い酒が嬉しい。酒はメニュー3枚分、数えていないが、40種類の銘酒が揃う。これを錫の片口と猪口で頂く。


さらに『ボンジリ』、処理が良いのか、骨は感じない。脂も嫌味なく、かりっとする食感もいい。

そして『手羽先』かなり大きく、ボリューム満点。シンプルに塩で焼いてあり、食べでがある。酒は屋守(おくのかみ・東京都東村山市)、いつも愛飲しているこの酒は食中酒としてレベルが高い?

ここで鶏皮ポン酢が登場するも、皮が柔らかく、小生の好みとは違い、残念。

次の串は『血肝』、これはタレ焼き。血管の処理が良く、臭みなど全く感じないばかりか、柔らかさに感動。本日の串では一番好きな味。もし、レバーが嫌いな人でも食べられると思う。
次の酒は花浴陽(はなあび・神奈川県)、名前の通り華やかな味がいい。


最後の串はつくね、これもタレ焼きだが、タレが甘すぎず美味い。また、猪口の底には『たのし』の文字が。確かに楽しである。

もう少しとは頭で思うが、腹は結構一杯のため、諦めて鶏スープ(麺入り)と漬物を注文。注文後、少し時間はかかるが、その味は中々コクがある。ただ、麺入りにしたせいか、やや薄まった点が画龍点睛かも。

とにかくトータルでかなりの高得点、やはり三軒茶屋にはいい店が集まる気がする。焼き鳥屋は往々にしてがさつな店が多いが、接客もそつなく、サービスの良さにも満足、コスパも悪くない。これは再訪必須の店。

床島
世田谷区三軒茶屋2ー8ー10
0354863318

長崎飯店麹町~麹町ランチグルメ

2015-04-03 05:00:13 | グルメ

『東京で食べるチャンポン・皿うどん』その4。今回は『長崎飯店麹町』にお邪魔する。長崎飯店というチャンポンを名物にする店が高田馬場・渋谷・虎ノ門と多くあるが、関係はあるのだろうか。

半蔵門線半蔵門駅と有楽町線麹町駅の中間、新宿通り沿い、クッキーで有名な泉屋の隣辺りを地下に降りた所に店はある。

なぜかチャンポンが売りの店は狭いところが多いが、ここは比較的に広々していてメニューもチャンポン・皿うどん以外にも色々ある。

12時少し前に入ったが、パラパラ人がいる程度。6~8人のテーブルに相席になることが多いが、それほど混んでいないため、ゆったり。注文は迷ったが、チャンポンとミニチャーハンのセット(1050円)をお願いする。周りを見渡すと殆どの人がチャンポンを食べている。

それほど待たされずチャンポン到着。ミニチャーハンにはザーサイも付いている。まず、胡椒を掛けてスープを一口。長崎の地元の味でコクがあって美味い。野菜はキャベツ・玉ねぎ・モヤシ・ニンジンなど比較的細かく刻まれている。海鮮はイカゲソ・エビ・干した牡蠣、さらに豚肉と紅白蒲鉾、薩摩揚げも入っている。さすがにこれだけ入るとスープも複雑な味がして美味いはずだ。

チャーハンもまだ作ってそれほど経っていないため、いい味である。隣の人は麻婆丼を食べていたがそれもウマそうである。

量は普通だが、大盛りにすると丼が深くなる。値段はそこそこだが、十分満足。次は太麺皿うどんにしたい。


長崎飯店麹町
千代田区麹町3ー1ー8 B1
0332386370



東急多摩川駅周辺の坂道(1)

2015-04-02 05:00:17 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その32。東急多摩川駅から沼部駅まで歩く。

東京多摩川駅は1923年に多摩川駅として目黒蒲田電鉄(現在の目黒線)が延長した際に開設された駅だが、何と4回も名前を変えている変わり種。1926年には現在の東横線が開業するのに合わせ駅を目黒寄りに移転し、丸子多摩川駅とした。その後、1931年に近くに多摩川園という遊園地を開設し、多摩川園前駅に改称、さらに1977年に多摩川園駅に改称したが、1979年に遊園地が閉園、2000年に再び元の多摩川駅に戻した。

駅の北側には遊園地、そしてその後のテニスコートの跡地が現在は田園調布せせらぎ公園となり、広がる。


駅を降りて公園に沿って戻るように歩くと『どりこの坂』の下に出る。かなり、変わった名前だが、『どりこの』とは戦前に爆発的に売れた濃縮した清涼飲料水の商品名。


少し詳しく書くと1927年に医学博士高橋孝太郎が5年の歳月を費やして『どりこの』という含糖栄養剤を開発したが、その評判が立ち、求める人が増え、やむなく一部販売を開始。その後1929年に講談社社長野間清治が試飲したところ大変気に入り、講談社が独占販売権を取得し、全社をあげて販売をしたもの。なんと1931年には年間販売本数が230万本にもなった大ヒット商品だったが、太平洋戦争に入り、原材料が調達出来なくなったことから製造中止を余儀なくされた。戦後、高橋が復活させたが、1970年の高橋の死を機会に消えてしまう。今では幻の飲料で当時の記録では黄金色の液体を希釈して飲んだらしい。

この高橋博士が坂の中腹向かって左側にに住んでいたため、いつの間にかどりこの坂と呼ばれるようになった。元は池山の坂と言われたらしい。坂の周りには桜が咲き誇り、大変美しい。


坂を登りきった辺りを右に曲がり、公園に沿って行くと交差点に出る。これを右折すると『富士見坂』となる。坂を降りるとかつてのテニスコート跡に出る。

どこを歩いても桜が満開、次回はさくら坂を目指す。

久々の八高線

2015-04-01 05:00:21 | 日記

鉄道シリーズ その98。八高線に久々の乗車をしたのでそのレポート。
八高線は1934年10月に高崎(倉賀野)・八王子から建設されてきた八高北線と八高南線が小川町~寄居が開通することにより全通、昨年10月に80周年になる。戦後すぐにはいわゆる買出し列車として都会から地方に食料を買出しに行く人たちに利用されたが、1945年8月に列車同士の正面衝突(小宮~拝島)、1947年2月に脱線転覆時刻表(高麗川~東飯能)の二つの大きな事故を起こし、約300人の人が亡くなった悲しい歴史がある。

文字通り八王子と高崎を結んだ線であるが、実は高麗川以北と以南ではその様相がまるで変わる。高麗川以南は利用者の増加に伴い、1996年に電化され、川越線との直通運転をしており、15~20分おきに八王子~川越間で運転。また、朝6時台には高麗川発東京行きの直通電車も2本運行されている。

しかし、高麗川以北は非電化のままで、埼玉県内電車非電化のまま唯一残されている。しかも、運転本数も少なく、通常は1時間に1本しかない。

ゴルフの帰りにローカル線部分の毛呂駅~高麗川駅を乗り、さらに乗り換えて高麗川~拝島を乗ることになった。

乗車した毛呂駅は首都圏には少なくなった有人のローカル駅では8角屋根が懐かしい。待合室の椅子には座布団がしかれ、入口には八高線80周年と書かれた看板があり、なかなかいい雰囲気。Suicaは使えるが、構内に入ると『高崎方面』のホーロー製の案内板や白く塗装された駅舎など兎に角子供の頃の記憶がよみがえる。さらに駅のスタンプもあり、懐かしい。

18時43分の高麗川行きに乗ろうと跨線橋を通り、反対ホームで気動車(キハ110)を待つ。ローカル線の雰囲気を残す駅で中々いい写真が撮れた。

車両は2両連結のディーゼル車両はほぼ満員、さらに高麗川までは一駅だが、なかなか着かない。何しろ駅間が5.8kmもあり、都内ならば1~2つくらいの中間駅があってもおかしくない。
高麗川からは電化されており、川越線からの電車が八王子まで直通運転がなされている。4両連結の車両に乗り換えだが、2両編成から4両編成なのでゆったり座る。ここからは郊外を走る普通の電車、拝島で降りたが、最初のディーゼルカーとのギャップを感じた。

さすがに都内から一番近くのローカル線は旅情を感じさせる期待を裏切らない路線で、次回はこの気動車に乗り、小川町までうなぎでも食べに行きたくなった。