現代の街道を行く その2。今回は五日市街道である。青梅街道の杉並区高円寺南が起点だが、昔の起点は少し荻窪寄りで信号の表示がなければ見逃しそうなほど狭かった。さらに分岐すると杉並区松の木や善福寺川の尾崎橋あたり(尾崎の七曲り)などは2車線ながら電信柱が道の内側に立っており、さらに道幅も狭く、くねくね曲がっており、信号も多いと渋滞の全ての要件を兼ね備える道であったが、道路拡幅が行われ、今の姿になった。かつては関東バスの姿が前に見えたら諦めるほど渋滞の激しい道路で今もその名残りでやたら信号が多いが、それでも環八までは道もかなり広くなり、運転しやすい。
環八を越えると西荻窪駅の入口や吉祥寺周辺はやや道幅が狭く、休日は渋滞しやすい。更に成蹊学園を越えると少し道幅が広くなり、武蔵野大学前で道は左に折れる。暫く道幅は広いが、千川・玉川上水の両側に道が広がる。
小平市で西武多摩湖線を越えた辺りで玉川上水と別れ、横田基地までは真っ直ぐ。拝島駅の横を通り、滝山街道と交わり、更に行くと武蔵五日市駅に達する。そして、ここから先は檜原街道になる。
元々は武蔵野や秩父の織物・木材を運搬するために江戸時代に作られた由緒正しい道で元は『伊奈道』とよばれた。伊奈とは五日市の東にあった石材を産出する場所の名前で江戸城修復のため、この道を使って石を運んだらしい。
沿線には昔の名残りを多くとどめ、古い寺や神社が多いが、生活道路として今の人々に貢献する逞しい街道である。