hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

五日市街道

2014-02-18 05:52:30 | 日記

現代の街道を行く その2。今回は五日市街道である。青梅街道の杉並区高円寺南が起点だが、昔の起点は少し荻窪寄りで信号の表示がなければ見逃しそうなほど狭かった。さらに分岐すると杉並区松の木や善福寺川の尾崎橋あたり(尾崎の七曲り)などは2車線ながら電信柱が道の内側に立っており、さらに道幅も狭く、くねくね曲がっており、信号も多いと渋滞の全ての要件を兼ね備える道であったが、道路拡幅が行われ、今の姿になった。かつては関東バスの姿が前に見えたら諦めるほど渋滞の激しい道路で今もその名残りでやたら信号が多いが、それでも環八までは道もかなり広くなり、運転しやすい。

環八を越えると西荻窪駅の入口や吉祥寺周辺はやや道幅が狭く、休日は渋滞しやすい。更に成蹊学園を越えると少し道幅が広くなり、武蔵野大学前で道は左に折れる。暫く道幅は広いが、千川・玉川上水の両側に道が広がる。

小平市で西武多摩湖線を越えた辺りで玉川上水と別れ、横田基地までは真っ直ぐ。拝島駅の横を通り、滝山街道と交わり、更に行くと武蔵五日市駅に達する。そして、ここから先は檜原街道になる。

元々は武蔵野や秩父の織物・木材を運搬するために江戸時代に作られた由緒正しい道で元は『伊奈道』とよばれた。伊奈とは五日市の東にあった石材を産出する場所の名前で江戸城修復のため、この道を使って石を運んだらしい。

沿線には昔の名残りを多くとどめ、古い寺や神社が多いが、生活道路として今の人々に貢献する逞しい街道である。


中央線快速物語

2014-02-17 05:20:15 | 日記

鉄道シリーズ その43。中央線の快速は意外に歴史が古く、1933年に急行の名前で運転を開始した。これはお茶の水~中野で運転を開始したもので、最初は平日のみの運転であった。

1934年9月の時間表には『朝夕混雑時には吉祥寺以西に発着する電車は中野・東京間急行として4分毎に運転す、途中新宿・四ツ谷・万世橋・神田のみに停車(東京・中野間所要時間21分)急行電車は日曜、祝祭日には運転停止』と書かれている。(原文カタカナ)その後、1944年に休日も運転されるようになり、1947年には婦人子供専用車も設定された。

そして今の電車の基礎となった101系が1957年に導入、1961年に急行料金を取る『急行アルプス』が運行開始となり、急行を今の快速と改称、1967年に国電区間が中野から高尾まで延長され、今のスタイルに変わった。

特別快速の運行が開始されたのは1967年7月で当時は東京、神田、お茶の水、四ツ谷、新宿、中野、三鷹、立川に止まり、それから先は各駅停車であった。その後国分寺駅にも止まるようにかわっている。

さらに1991年に座席定員制の通勤ライナーが運行、始めは『おはようライナー高尾・青梅』『ホームライナー高尾・青梅』だったが、2001年に『中央・青梅ライナー』となり、今に至る。


快速の種類はこれに通勤快速、ホリデー快速、むさしの号(今は普通電車、八王子発武蔵野線経由大宮行き)もあり、なかなかわかりづらい。


更に、中央線快速の行き先も東京駅で電車を待っていると多くの種類があるので驚かされる。中央線が終着なのが、大月、高尾、豊田、立川、国分寺、武蔵小金井、これ以外に富士急乗り入れの河口湖、青梅線の河辺、青梅、五日市線の武蔵五日市、八高線の高麗川、箱根ヶ崎とこれだけあって、東京在住の人でもこれがどこにあるか分からない終着駅もかなり多い。

快速の種類も行き先の種類も豊富で鉄道マニアには面白い線ではあるが。

前島密の切手

2014-02-16 07:55:17 | 日記

切手シリーズ その8。日本の郵便切手に出てくる人物で最も多いのは前島密である。彼の肖像が付いた切手で最も有名なものは今もほぼ同じ意匠の1円通常切手で第一次動植物国宝シリーズとして1950年に発行され、当時は銭単位でさらに安い80銭の切手があった。これはかなりのロングセラー、しかし、よくかんがえると動植物でも国宝でもない図案である。


なお、通常切手に初めて登場したのは1946年11月発行の第一次新昭和切手で15銭、続いて第二次新昭和切手の1947年8月発行1円切手。それぞれ意匠が異なる。


ただし、記念切手となると戦前に話は遡る。1927年6月発行の『万国郵便連合加盟50周年』の記念切手2種(1 1/2銭、3銭)が最初。次に戦後初めて発行された1946年12月発行の『郵便創始75年』の30銭には銅像が描かれている。

さらに1961年4月発行の『郵便90年記念』の10円切手、これは1円通常切手と同じ意匠で色はオリーブ色。


4回目は1985年6月には『前島密生誕150年』の60円記念切手、1994年8月には『郵便切手の歩みシリーズ第一集』の80円記念切手、デザインは竜切手と前島密である。
つまり、5回も記念切手に登場しているが、こうした人物は日本には他にいない。


因みにお札の常連である聖徳太子の切手には登場はあるのだろうか。子供のころ、第一次昭和切手の5銭切手が聖徳太子だろうと思っていたが、これは藤原鎌足であった。まあ、肖像画なので間違えてもしょうがないか。ただ、2000年に出た『20世紀デザインシリーズ』に一万円札の肖像として一回登場してはいるが。

沿露目(ぞろめ)~門前仲町グルメ

2014-02-15 08:00:27 | グルメ

この雪の中、酔狂にと言われるかも. しれないが、今日もMくんと酒場放浪記ではないが、門前仲町に新たな飲み屋への誘いを受けて、飲みに行く。門前仲町駅を降りて3分、店の名前が『酒亭 沿露目』、これでゾロ目と読ませる。昨年開店した店だが、開店した日がゾロ目だったのが、その起源とか。

カウンターのみの一見バーのような造り。雪がひどく、いつもは金曜日で満員であろう店もゆったり、この雰囲気はなかなかよい。寒いため、ビールは飛ばして『飛露喜』(福島県)の冷やからスタート、お通しはニンジンのナムルの巻き寿司とウコン入り澄まし汁。最初に寿司が出てくるのは店主の大野さんが前にいた『市ヶ谷 あて』と同様、ただ野菜を活用したところが憎い。


あては、まずは『しめ鯖』、酢〆の鯖が酢の中にある、これに山葵と醤油を付けて食べる趣向。脂がのった鯖があっさりいただける。

さらに『湯豆腐』、出汁が張った中に適温の豆腐、上に載せたたっぷりのおぼろ昆布と柚子がいい相性。Mくんも自宅でやってみるとじっくり出汁を飲む。

次に『鰯の梅煮』、『あて』より味はいい気がする。酒は寒いので『群馬泉』の燗、程よい辛さがいい。


次に『クリームチーズの西京漬』『風呂吹き大根』『鮪のづけ』を注文。酒は『日置桜』(鳥取県)、これも燗だが、強力という米の旨さを味わう。


最後に『鯖の燻製』、マスタードが添えられているが、これもベストマッチ。酒は『王録 出雲麹屋(うすにごり)』、あまり甘くなく締めにはいい。これ以上呑むと帰れなくなりそうで止む無く後ろ髪を引かれる思いながら、早仕舞い。是非また、来たい店。因みに今月のduncyuに載ってます。


酒亭 沿露目(ぞろめ)
江東区富岡1ー12ー6
0358758382

梅蘭 渋谷店~渋谷グルメ

2014-02-14 00:17:39 | グルメ

久々に梅蘭の渋谷店に行く。この店の本店は中華街にあるが、渋谷店も本店に負けない旨さ。


梅蘭といえば、焼きそばが名物。初めて食べた際にその風変わりなビジュアルにビックリ。というのも、堅く焼いた焼きそばのみが、丸くちょうど竹のザルを伏せたようになって皿に乗って出される。

しかし、それを少し崩すと中から細切り豚肉、モヤシ、玉ねぎなどがたっぷり入った少し甘めの醤油味の餡が出てくる。そのトロッとした食感とカリカリに鍋肌で焼き、卵で固めたソバが見事にあってハフハフ言いながら食べる。好みで酢や醤油、ラー油などを少し足して変化をつけるのもいい。

これと杏仁豆腐がセットで1280円、生ビールが550円で2000円で十分お釣りがくる。


さらに、ピリ辛で牛肉が入った焼きそばやエビチリが餡の焼きそば、海鮮が沢山入った焼きそばなどかなりバリエーションはあるが、つい食べたくなるのはシンプルな焼きそばである。メニューも豊富だが、セット以外では量が多くてもう一皿はいけないのが残念。アサリラーメンなど是非挑戦したいメニューは数多いが、結局悩んでいつも同じものを食べてしまう。

梅蘭 渋谷店
渋谷区道玄坂2ー9ー10
0354890866

中央本線&中央本線

2014-02-13 06:47:15 | 日記

鉄道シリーズ その42。京浜東北線、山の手線とくれば、つぎは中央線。ヨドバシカメラではないが、『まあるいミドリの山の手線、真ん中通るは中央線~』である。

中央本線は東京から長野県塩尻市を経由して名古屋まで結ぶ鉄道路線で、普段通勤電車として『中央線』と言っているのはそのほんのスタート部分だけである。

中央本線の元々は1889年に甲武鉄道が新宿~立川を開業したものが最初。因みに当時は中野、境(武蔵境)、国分寺しか途中に駅はなかった。その後、翌年に立川~日野、1894年には新宿~牛込、さらに翌年、飯田橋。1904年にお茶の水と伸びていった。

八王子から先は官営鉄道が1901年に八王子~上野原を開業、その後順次伸ばしていき、1903年には甲府まで、さらに1906年には篠ノ井まで延伸された。
そして1906年に甲武鉄道が国有化されることになるのだが、お茶の水から先であるが、1912年に万世橋まで、さらに1919年に東京駅までようやく開業した。因みに西に向かっては名古屋まで開通したのが1911年であるから、東京駅まで乗り入れるより古いことになる。

当時は日本全国に長い各駅停車が結構あった話はかつてこのブログでとりあげたが、『新宿発名古屋行または名古屋発新宿行の中央本線周り直通列車があったのか』が鉄道ファンにとっては気になるところである。調べてみるとはじめはその後貨物駅となった飯田町駅~名古屋間の普通列車701、702列車(その後は名古屋発の場合、途中で塩尻までは813列車→塩尻からは410列車に変更して新宿まで運行)が1938年までは運転されていた。手持ちの1934年12月の時間表で調べると名古屋発5時48分で塩尻着10時35分、甲府着14時24分、新宿着17時50分と約12時間もかかっていた。

戦後も1965年~1974年は『準急きそ』の一部がが新宿~名古屋を直通運転していた記録がある。これは名古屋発長野行の『準急きそ』のうち一部が塩尻で切り離され、列車番号は変わりながらも半荷物客車が新宿まで各駅停車で運転していたものである。

なお、今日は長くなったので『中央線快速』については次回また改めて書くこととしたい。

つらら&ひょう

2014-02-12 06:38:03 | 日記

ようやく先週の土曜日に降った雪も道路に降り積もった部分は溶けて、雪かきで積まれた日陰の山積みになった部分以外はなくなりつつある。駅に向かう道すがら屋根の雪はどうかなと見上げると東京では珍しい『つらら』が屋根の雪から繋がって下がっている。先からポタポタと水滴が落ちているのでそれ程寿命は長くないだろうが、珍しいものを発見。雪国などでは見飽きた存在で氷柱で怪我をすることもあるらしいが、東京のそれは可愛いもの。

そんなことを考えながらプールに行くが、帰り道に今度は空から何やら白いものが落ちててきている。また、雪かとよく見ると霰である。霰(あられ)は2種類あって、雪の周りに水の粒が付いて氷になったもの(雪あられ)と、雹(ひょう)と同様に作られて積乱雲から落ちてきたもの(氷あられ)とがある。また、雹とは大さで区別され、5mm以下が霰で、それを超えると雹と呼ぶらしい。


今日のは雪あられでコートについている白い粒が霰である。
東京の雪も珍しいが、今年は寒いだけに色々なものに出会えて楽しい。



建国記念の日

2014-02-11 07:53:24 | 日記

2月11日は建国記念の日でお休みになるのはありがたいが、その日に何があったかを知っている人は意外に少ない。実はその歴史は古いようで新しい。もともとは戦前にあった祝祭日の『紀元節』がそのオリジンで、日本書紀の中で初代天皇の神武天皇が即位した日と伝えられ、明治5年に制定された。
しかし、昭和23年に制定された国民の祝日に関する法律の付則で『休日に関する件』(昭和2年勅令)が廃止されたのに伴い、この祝祭日も廃止となった。

その後、復活を求める気運が昭和26年頃から盛り上がり、法案が出されるも9回廃案になった。ようやく『建国記念日』に『の』をくわえ、審議会の諮問を経て『政令で定める日』とした上で昭和40年12月に答申され、政令で2月11日とした。そして晴れて昭和41年2月11日が第一回の『建国記念の日』となった。

世界各国にもほぼナショナルデーはあり、アメリカは独立記念日(7月4日)、フランスはパリ祭(7月14日~フランス革命の始まった日)、ドイツはドイツ統一の日(10月3日)と制定の理由が、わかりやすいものが多い。

一方、イギリスには聖ジョージの日(4月23日)が宗教的なナショナルデーだが、法定祝日ではなく、日本のように神話の中の日を法定祝日にしている例は珍しい。ちなみに2月11日はイラン(イスラム革命記念日)のナショナルデーでもある。


東京の雪かき

2014-02-10 06:40:57 | 日記

東京に住んでいる期間は地方勤務などを除くと合計40年になるが、これほど質のよい軽いパウダースノーが降った記憶はない。また、26cmの積雪(うちの周りはあと10cmは積もった気がするが、)というのも1969年(当時は小生11歳)杉並区下井草に住んでいた際に30cm降った記憶くらいしかない。当時は近所の子供と家の前にオバQの雪だるまをつくり、並んで写真を得意げに撮ったが、後で現像すると暗い上に真っ白で自分しかよく確認できずがっかりしたくらいのことしか覚えていない。

ところで雪の翌日は晴れという昔からの言い伝え通り、2月9日は良い天気となった。さて雪かきと思い作業を始めたが、狭い東京のこと、雪かきと言っても雪を捨てるところがない事に気づく。よく、雪国では雪を自分の家の前に捨てて血の雨が降るという話をテレビニュースなどで聴くが、実際にやってみるとよくわかる。特に日当たりの良し悪しから雪が解ける時間も違うので余計にそうなる。結局、自転車一台通れる幅で雪をかき、ゴミ置き場の雪を南面に雪を除ける程度しかやりようがなかった。

さらに困るのが、ベランダの雪、やむなく庭に落とすも下に植えた木や植物の鉢が雪に埋もれて二次災害となる。車庫は北側にあり、上に乗った雪だけ下ろしたが、車の前はかいた雪が積もる雪山状態。さていつになったら車は動かせるのやら。屋根の雪も落ちたら車の天井も凹みそうだし。

それにつけてもマンホールの上だけは雪はあまり積もらない、なぜなのかを考え始めて随分になる。

ともかく、東京の雪で喜ぶのは犬と子供だけのようである。今は明日の朝、氷つかないことを祈るだけである。

『日の丸』を描いた切手

2014-02-09 08:33:05 | 切手

切手シリーズ その7。記念切手の中の日の丸。オリンピックになると日本人は『日の丸』と『君が代』が急に好きになるような気がする。そうした中で記念切手に描かれた日の丸を追ってみたい。

最初は1921年(大正10)4月に発行された『郵便創始50年』の11/2銭と3銭の2種類。当初の郵便旗、日の丸、当時の郵便旗が並んで描かれているが、日の丸の扱いは小さい。

戦後最初に日の丸の切手が出たのは、1951年(昭和26)9月の『(サンフランシスコ)平和条約調印』の8円切手。濃い青の中にはためく日の丸が大きく描かれている。因みに2円と24円は菊の花が描かれている。

次は1964年10月発行の『東京オリンピック』の小型シートだが、切手ではなく周りに描かれているのみである。
よく見ないと日の丸と分からないのが1965年(昭和40)9月の『第10回国勢調査』の10円切手で日の丸の中に人を表すコケシが並んでいるのだが、言われないと日の丸が分からない。

次は1975年(昭和50)10月の『昭和天皇訪米』の20円切手。緑の地に日の丸とハナミズキ。もう一枚は星条旗に桜という大胆な構図である。
1986年(昭和61)10月日本の歌シリーズ第6集でズバリ『日の丸』の50円切手が出されている。

他にも例えばオリンピック記念の切手などをよくみれば日の丸はあるかも知れないが、小生が認識しているのはこの程度。切手の中では『富士山』『地球』『日本地図』『世界地図』などに比べると少ししか出ていない気がする。