
また、誕生日がやってくる。私も7月27日でついに67歳、歳を重ねるごとにめでたくもない、などと考えるようになってきた。

唐突だが、昭和33年は読売巨人軍にとっては大きな転換点であった。というのは3月に長嶋茂雄が入団、3打席3三振という派手なデビューをしたのが4月、8月には王貞治が入団、10月には川上哲治が日本シリーズを最後に引退、昭和35年には監督に就任している。その長嶋茂雄が亡くなったのは些かショックであった。

昭和33年当時の大きな話題となったもう一つのニュースは10月14日に竣工した東京タワーのことである。日本一の高さ(333m)を誇り、自立鉄塔では2020年に東京スカイツリーに抜かれるまではその地位にあった。


今回の誕生日特別寄稿は同い年生まれの東京タワーに久しぶりに登ったことを書いてみた。東京駅丸の内南口なら路線バスで行ったのだが、その道中記は後ほど改めて。今日は東京タワーバス停に着いたところからはじめたい。

東京タワーバス停はいくつかあるが、東京駅からのバスは第一京浜から行くため少し歩く。バス停からはタワーは見えなかったが、東京タワーという交差点で信号を渡ると大きな姿で見下ろすようにお出迎え。東京タワーは何しろ今までに2回しか行ったことがないので道がわからないのも致し方ない。


一階のチケット売り場に行き、『トップデッキツアー』(3500円)を購入、矢印に沿って右回りでエレベーター前まで行く。エレベーターはメインデッキ(150m)までしか行かないのだ。(Webチケットは200円安く買える)


この上へはチケットを買う際に時間指定(15分間)をされるが、殆どの人はさらに上に行くエレベーターでトップデッキ(250m)に向かう。

次のエレベーターは降りた地点のほぼ裏側にあり、この辺りからはなんとなくディズニーのアトラクションのようになる。まずは200mのところにある『紅葉館』まで行き、次のエレベーターに乗り継ぐ。因みに紅葉館は明治時代に開業した料亭でその跡にタワーは建設されたらしい。だんだんエレベーターのサイズは小さくなっていく。

3つのエレベーターを乗り継ぎ漸くトップデッキに到着。地上250mは流石に高く、レインボーブリッジや高速道路がはるかに下を通る。メインデッキからは見えない東京湾や羽田空港がよく見えた。ただ、残念ながら富士山は見えなかった。

(レインボーブリッジ)

(羽田空港)

(羽田空港)
東京には大きな建物が増えたおかげで遠くは皇居や新宿新都心、近くは三田の慶應義塾大学の校舎も端の部分が見えるだけ、国会議事堂に至っては全く見えない。

(皇居)

(慶應三田キャンパス)
芝増上寺はプラモデルのように見えるし、私立高校が屋上に自らの名前が書いてあるため芝高校や正則学園などはすぐにわかった。

(芝増上寺)

ただ、トップデッキには売店や飲食、自販機すらない(トイレはある)ため、外国人観光客を除くと長居する人は少ない。


私はひとしきり見た後メインデッキにおりる。トップデッキに比べてメインデッキはるかに広く、ところどころに地上が見えるようにガラス張りとなっているが、ここに乗ると不思議に怖く感じた。
メインデッキには喫茶コーナーやノベルティを売る売店、今までの東京タワーの歴史のビデオを見せるコーナー、神社など見るものは多い。


入口に『TOKYO TOWER since1958』というプレートもあり、同い年と実感し、1人で感動していた。

東京タワーは今は僅かにFM局の電波を出すほかは電波塔としての役割はスカイツリーに譲り、観光タワーとして生き残りを図る運命ではあるが、外国からの観光客のハートをがっちり掴んで今も現役で頑張っている姿を見て、大袈裟にいうと67年経っても頑張れる勇気をもらったような気がした。


昭和33年生まれの赤い塔は今もカッコいいです。