
『東海七福神と旧東海道を巡る』⑤。再び旧東海道に戻り、先を急ぐ。青物横丁を越えると急に寂しくなってくる。

途中の都道420号線(通称環状6.5号線)を右に曲がると鮫洲運動公園、埋立地にある公園としては珍しく真ん中に小山が作られていて小さな子供から小学生程度の子供たちが盛んに遊んでいる。

他には鮫洲付近も白玉稲荷神社があるくらい。コンクリートの壁に囲まれたこじんまりとした稲荷社。元は清伝寺という廃仏毀釈で廃寺となったお寺の境内にあったが、この稲荷社のみが残っている。


青物横丁あたりまでは東海道と書いた街灯が左右にあったが、鮫洲に入るとこれもなくなる。普通の商店街同様の『鮫洲商店街』という暗い小さな街灯のみ、旧街道のイメージは全くなくなる。


街道から少し奥にあるのが『鮫洲八幡神社』、緑の屋根が路地の奥に一部見える。旧御林町の総鎮守で江戸時代に創建されたようである。1929年に合祀され、白山神社、稲荷・漁呉玉・厳島・鮫祠神社の末社も鎮座している。

ただ、それまでの観光仕様と違い、住民御用達の居酒屋や角打ち、町中華の店などが点在している。


立会川が近くなると街道沿いに古い商家が並んでいて、皆現役。店の前にAmazonの段ボールが積まれているのが今昔取り混ぜた風景でこれも面白い。


また、渋い大きめのお蕎麦屋『立会川吉田家』が出てくる。広めの駐車場も完備していて興味がある。ただ、この日は営業時間外で中に入ることは出来なかった。



立会川(河川)に架かる橋が浜川橋、別名なみだ橋である。涙橋と呼ばれているのは江戸時代にこの先にある鈴ヶ森刑場で処刑をされる罪人がはだか馬に乗せられ、江戸から護送された。その際に密かに親族がその姿を一目みんと見送りに来て、橋の袂で涙を流して見送ったことから付けられた悲しい歴史を持つ名前である。


橋を渡るとすぐ右手に鎮守天祖神社という石柱が現れた。ここに東海七福神6番目、福禄寿が祀られている。

参道を行くと『天祖諏訪神社』となる。天祖神社・諏訪神社は古くはそれぞれ神明宮・諏訪社と称していた。

ここはかつては東京湾に面していて、立会川を挟んで並び祀られていたのである。この2つの社を1965年に合祀したものである。(この地は元は天祖神社のあった場所である。)天祖神社は12世紀、諏訪神社は1631年頃の創建と言われている。(以下、次回)