『東京の坂、日本の坂』その239。野毛山付近の坂巡り③、丘友坂を下り切ると細い道があり、これを右に曲がる。道なりに右の方に緩い坂道を登ると『植勘』という植木屋さんが出てくる。


その先はこちらも急坂となるが、先ほどの植木屋さんの名前を取って『植勘坂』という。丘友坂とほぼ並行の坂道でやはり狭い。この案内板はのぼれども中々出てこない。ようやっと坂の頂上で発見した。


再び植勘坂を降りて元来た道を左のほうに歩く。だんだん足が痛くなってきたので少し休んでいると駐車場にキジ猫がいて、こちらを振り返っていた。

右に曲がると広い道に出る。藤棚海舟通りだが、かつてはここに横浜市電久保山線が走っていた。霞橋というアーチ橋を右手にある階段で上がるのだが、昔の基礎に使われていたレンガも残されていて風格がある。


階段を上り切った霞橋には案内板があり、下を走る市電の写真も描かれていた。


(霞橋)
横浜市電はピークは13系統が走っていて、霞橋の下を走っていたのは7系統(中央市場〜横浜駅前〜浜松町〜阪東橋〜浦舟町)と9系統(東神奈川駅前〜洪福寺前〜浜松町〜浦舟町)が走っていたようだ。ただ、モータリゼーションの中、1969年に廃止、1972年には全廃されてしまった。



案内板から左に行くとつい先日まで郵便局だった建物、これを左に下る坂が『霞坂』である。名前の由来は町名の霞台に由来する。


再び橋の階段を降り、元の道に戻るのだが、坂を降りながら見ると左手の崖の上にはソメイヨシノが並んで植えてられてあり、満開であった。右手の前方には関東学院の特徴のある建物、なかなかいい風景である。
