hokutoのきまぐれ散歩

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泉岳寺駅付近の坂④

2024-02-21 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その200。泉岳寺駅付近の坂④、再び伊皿子交差点まで戻り、そのまま二本榎通りをまっすぐ行く。交差点を越えると左側に大きな門が現れるが、これが旧高松宮邸だが、2004年に喜久子妃が亡くなると絶家となる。

高輪皇族邸として宮内庁が管理するが、2019年に天皇明仁が退位し、上皇となった際に仙洞御所の改修が完成するまでの仮住まいとして仙洞仮御所として使われ、2022年に仙洞御所に移られ、今に至っている。

都営アパートの前には大石良雄等自刃跡がある。大石良雄らは討ち入りの後、肥後熊本藩細川氏下屋敷にお預けとなり、1703年2月に邸内で自刃した。ただ、この碑は厳密には細川屋敷から少し離れたところに大正時代に建てられたものである。



この辺りは昔ながらの建物が多い。お寺や医院など風格を感じさせる物が多い。



都営アパートの先を右に曲がり、しばらく歩くと下り坂となる。この坂道が『葭見坂(よしみさか)』、くの字に曲がる短い坂で途中からは半分の道幅となる。



これは坂道から見下ろす白金村の畑地がかつては葦原だったことから付けられた名前である。

葭見坂は最後は左に曲がり、国道1号線にぶつかる。これを左に曲がると左からくる坂道の下に出るが、この坂道が『天神坂』。案内板によると坂の南側に菅原道真の祠があったため、この名前がつけられた』とある。なお、この坂道が葭見坂という説もある。




国道1号線を向かい側に渡ると清正公(覚林寺)の前に出る。加藤清正の位牌や像が置かれていて勝負祈願の寺として信仰を集めている。なお、額には破魔軍とあるが、これを揮毫したのは秩父宮熾仁親王である。



目黒通りを左に曲がり、まっすぐ行く。長くて勾配のきつい上り坂だが、これが『日吉坂』、説明板によると『能役者日吉喜兵衛がそばに住んでいたため、この名前になった』とある。



ほぼ登り切ったあたりで左側に八芳園が現れる。左に曲がると下り坂となるが、これが『桑原坂』である。桑原とは今里村の地名の一つでここからついたものと思われる。



すぐのところに地下鉄南北線白金台駅が現れたのでここから帰ることにした。



この辺りは坂ばかりではなく、江戸時代に付けられた『二本榎』『伊皿子』など面白い名前がかつてあり、今も交差点や通りの名前として残っている由緒のある町であった。