『宿場町を歩く』その13。幸手宿③、アベ洋品店の向かい側には幸手観音堂看板。荏柄山満福寺、子育て安産の観音様のようである。境内に入ると寺の説明板はあるが、字が消えかけて殆ど読むことができない。
後で調べると真言宗の寺院で開山は1489年、本尊は不動明王、左手の観音堂には聖観世音菩薩が祀られている。
少し戻り、左に曲がる。左側に『ときわや』という食堂が見えてくる。残念ながら昼の営業が終わったところで中には入れなかったが、100年以上続く割烹料理屋で幸手宿で8代将軍吉宗が食した料理を再現した『吉宗弁当』が名物。
ときわやを右に曲がり、路地を抜ける。左側に由緒正しい門、門柱には『電話三番』と書かれたホーローの板が残されていた。お宅は新築し、門だけは残されたのだろう。
日光街道に出て少し戻る。飯村医院は今も現役のクリニック。ただ、外から見ると普通の古民家のようである。大阪屋の屋号があり、1923年の建物である。
そのお隣に面白い洋館。NOGCHIDOという店名が掲げられていたのだろうが、今はロゴのIが落ちてしまっている。窓の右二つは割れたのかタキロン波板で塞がれていた。今は廃屋になってしまったのかもしれない。
そのお隣にも古民家、こちらも今は使われていないようだが、保存状態はいい。
関口家店舗は薬屋さん、店の部分もりっぱだが、周囲は黒塀に覆われていて風格がある。角田屋の屋号を持ち、1880年頃の蔵造り建築である。
高浜商事は今も現役の肥料商、1934年建築の立派な商家である。(以下、次回)