hokutoのきまぐれ散歩

ブログも11年目、遂に3900日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

日暮里から根岸の里を歩く②

2021-02-26 05:00:00 | 日記
根岸薬師の先にはいかにも『根岸の里』そのもののような日本建築があり、一瞬タイムスリップをしたかのような錯覚を覚える。

木戸には『古澤や 家居の中にも 水鶏なく』という子規の俳句が貼られていて雰囲気を盛り上げる。


『根岸三平堂』はすぐのところ。昭和の爆笑王と呼ばれた林家三平(初代)の記念館で息子の三平が館長を務める。しかし、残念ながらコロナ禍もあり、休館中である。



向かい側にはこじんまりとした洋館、これが書道博物館・中村不折旧居である。中村不折は1866年生まれの洋画家で書家としても名が知られている。その縁で1936年に書道博物館を開館、不折は1943年に亡くなるまでこの地に住んでいた。ただ、こちらもやはり休館であった。



向かい側には『子規庵』となっているが、子規は若い頃に結核を患い、東大を退学した翌年1894年にこの場所に転居、母と妹を呼び寄せて暮らした。翌年から腰痛に苦しみ、1896年には歩けなくなってしまう。この庵で暮らし、庭に見えるものなどを俳句に読むが、病気が悪化、1902年35歳で亡くなった。

その後、関東大震災で傾き、1926年に建て直したが、戦災で焼失。1950年に弟子たちの努力で再建されたものである。庭の風景などの写真は飾られていたが、ここも中には入ることはできなかった。

子規庵の先は鶯谷駅横のラブホテル街、かなりギャップがある。ただ、こちらも殆ど車の出入りもなく静かであった。
表通りに出て東京メトロ日比谷線下谷駅方向に歩く。表通りにも古い建物はまだ残っていてみるだけでも楽しい。

ウロウロしていると急に目の前に『御行の松不動尊』が現れた。御行の松は広重の錦絵にも書かれたほどの名所で高さは13.6mもあり、明治になってからは天然記念物にも指定された。



しかし1928年に枯死、樹齢は350年という記録が残されている。この初代の松の根を掘り起こし、不動明王像を彫り、この不動堂の本尊となっている。因みに今植えられているのは4代目である。

お参りした後、御行の松通りを歩く。不動尊の本院である西蔵院をはじめ、永称寺など立派なお寺が続く。



有名な手古奈せんべいの前を通り、小野照崎神社へ。ここには百人一首でも有名な歌人、小野篁が祀られている。また、境内には富士塚があり、その前には狛犬ならぬ、狛申がいる。



他にも境内に立派な庚申塚や稲荷神社、また、本殿正面のベンチには猫がゆったりと座っていて、人に慣れているのか、触られても全く逃げなかった。



神社から入谷駅まではすぐ、もう少し歩き、地下鉄で帰途に着きました。日暮里駅から大体2km、見所は多かったが、コロナのおかげか、寄り道もする事も叶わず、ひたすら歩くことができた。