『鉄道シリーズ』その251。今年のGWは外出することもなく家の中の整理に追われた。天井裏からは時刻表の復刻本や数多くの写真、古いゴルフクラブ、阪神タイガース優勝時のスポーツ紙など出るわ出るわ。その中で中学生の頃から集め始めた駅のスタンプ帳が28冊も出てきたのである。今回はこの歴史と印影について何回かにわたり、触れてみたい。
戦前から駅スタンプはあったようだが、一般的になったのは1970年からスタートした国鉄のDiscoverJapanキャンペーンで設置されたスタンプ。
全国1400駅にスタンプが設置され、さらに赤くて丸いスタンプ押印台も併せて設置された。私が初めて国鉄監修と書かれたスタンプ帳(弘済出版、スタンプノートの名称でキオスクで販売された)を買ったのが1971年12月(残念ながら第二版)、当時の売価が200円である。ということは私はかれこれ49年もスタンプを押していることになる。
最初の頃のスタンプには統一性がなく、色も駅毎に勝手なスタンプパッドを置いていて、それ以前のスタンプの周りに『DISCOVER ➡︎JAPAN』というデザインを加えたものが多かった。また、当時は全国の主要駅に置かれていてスタンプを集めると記念品が貰えるキャンペーンもあった。
私が初めて押したのは1972年4月2日東京駅のスタンプである。ただ、本格的にはまったのは1972年10月東京駅構内・大丸デパート・八重洲地下街で行われた鉄道100年記念イベントの全国駅スタンプ大会(詳細な名称は不明)でたくさんのスタンプが会場にあり、3日間通い詰めたことが思い出される。(この時のスタンプは下に『鉄道100年記念 1972.10』と入っていた。)
ディスカバージャパンのキャンペーンは約6年にわたり続いたのだが、途中からはロゴが変わり、また、『美しい日本とわたし』というフレーズが追加になった。
後継キャンペーンは『一枚のキップから』で1977年2月から硬券の切符にM字型の改札鋏を入れたデザインがスタートした。
この頃はまだディスカバージャパンのスタンプも併用している駅も多く、スタンプが2つも3つもある駅があった。
また、九州のみであったが、『太陽とみどりの国 九州』と題して、シャチハタの2色スタンプが使われていた時期がある。なお、このキャンペーンの頃のスタンプ帳は残念ながらなかった。(以下、次回)