鉄道シリーズその3。(駅名だけでなく鉄道全般の話にします。) 昔の時刻表(古くは時間表)を見ていると、色々な発見がある。自ら時刻表収集を小学生からの趣味の一つにしており、オリジナルは昭和16年2月号から昭和30年、33年、36年、39年など、復刻版は明治時代のものから揃っているが、なかなかゆっくり見る事がなかったので、見直すだけで時が経つのも忘れてしまう。
戦前の時刻表(昭和15年10月号)を見ているとその直後に戦時の不要不急線として廃止された国鉄有馬線(有馬~三田)や一畑電鉄一畑支線(小境灘【現在、一畑口】~一畑)、白棚線(白河~磐城棚倉)なども載っている。これは物資が不足して南方に線路を輸出するためや鉄を溶かして武器製造のために廃止され、戦後復活しなかったものである。
同じように廃止・休止を余儀無くされた鋼索路線(ケーブルカー、ロープウェイ)も数多くある。愛宕山鉄道(京都、清滝山~愛宕)、信貴山急行電鉄(奈良、信貴山口~高安山)はその後も復活しなかった。御岳や高尾山、大山のケーブルカーなど今は多くの人を集めているものも一旦休止に追い込まれていた。戦争に向かう時代だから止むを得なかったものらしい。
特に残念なのは、奈良にあった信貴山急行電鉄。大軌(現在の近鉄)の子会社で大軌の信貴山口駅から高安山駅までをケーブルカーで結び、そこから信貴山急行電鉄鉄道線で信貴山門駅まで結ぶというユニークなものだった。因みにこうした山上鉄道はスイスなどにはあるが、日本では唯一のもので今あったらさぞや楽しいだろうと思う。
また、 昭和15年10月号の時刻表には表紙に『国策輸送に協力、遊楽旅行禁止』という標語が出てきており、昭和19年のものには旅行中に敵からの攻撃を受けた際の対応マニュアルまで掲載されており、当時を偲ばせられる。現代の駅弁やビールと共に車窓を楽しむなどという贅沢な旅行が出来るのは平和ならばこそと思い、その大切さを実感。