朝日新聞への投稿短歌・俳句で「原発」に関連して詠まれたものを抜き書きした(宮城版「みちのく歌壇、俳壇」を含む)。
朝日新聞を購読していて、ある日、投稿欄に原発事故やそれに関連したことがらを詠んだ短歌や俳句を見つけて、それを拾い上げてみようと思い立ったのは7月半ばだった。
まだその頃は、週1回掲載の「朝日俳壇・歌壇」には原発事故や反原発デモを詠んだ短歌が5,6首は選ばれていた。
俳句は今でも「花鳥風月」を取りあげる写生俳句が主流らしく、深刻な社会事象を扱わないようだ。もちろんまったく選ばれないわけではないが、さすがに金子兜太は取りあげることが多かった。
太平洋戦争の時代を俳人として生きた山口誓子も水原秋桜子も俳句の主題としては、ほとんど重大な社会的事象である戦争を取りあげてはいない。高浜虚子以来の俳句の宿命と言うべきだろう。
10月に入ったら原発関連の歌、句がほとんど掲載されなくなった。それを詠む投稿者が少なくなったことも理由にあるかもしれないが、短歌、俳句でありながら「新聞の投稿欄」という枠組もまた少なくなった理由であろう。選者としては、優秀な短歌、俳句を取りあげるということを旨としているだろうが、社会的なトピックスについても配慮せざるを得ないだろう。しかも、さまざまなトピックスのバランスを考えて。したがって、ある程度の数の原発やデモの歌、句を選んでしまえば次の社会的トピックに目が移るのだろう。
やむを得ない、といえばそうなのだが、福島だけではなく、原発事故によって苦しむ現実そのものは事故直後とほとんど変わっていない。にもかかわらず、新聞のある欄からは消えつつある。何か事件の後の新聞の社説は、しばしば「これを風化させてはならない」と主張していて、もちろん、私もそれに同意することが多い。原発事故に関しては(地震、津波の被害についてもだが)、私の周囲ではいまだに生々しい話題である。けれども、少なくとも「朝日歌壇、俳壇」ではその主題はほとんど取りあげられなくなった。その点に関していえば、私の周囲では、新聞が一番早く風化させているのである。ある程度までは事情を推察できるとはいうものの、残念ながら結果的にはそうである。
いずれ、朝日歌壇・俳壇で原発事故がどう詠まれたか、2011年3月11日から2012年7月半ばまでの分をまとめてみたいと思っている。それには図書館で縮刷版に当たることになる。勤勉さに欠ける私にはしんどいことだが。
さて、9月9日~10月31日のほぼ2ヶ月分を以下に示すが、これだけである。
カワセミが丸太の杭の年輪の上に止まりて線量計はその下
(奥州市)大松澤武哉 (9/9 佐佐木幸綱選)
ふるさとを語るとき原発を言わねばならず悲しかりけり
(郡山市)佐藤一成 (9/17 佐佐木幸綱選)
ゼッケンに原発阻止と墨書して独りのデモが炎天を行く
(堺市)梶田有紀子 (9/17 高野公彦選)
原発の海より風の吹く夕べ人居ぬ町にカナカナの鳴く
(青森三沢市)遠藤知夫 (9/19 桜井千恵子選)
ホームレス脱原発署名かきくれぬ住所のなきは無効といえり
(神戸市)北野中 (9/24 馬場あき子選)
なにげなく散歩に出でし真夏日のかげろふの中に原発の廃墟
(福島市)渡辺恭彦 (9/26 桜井千恵子選)
被災地より避難者最多の山形の「住んでみたい度」高くはあらず
(山形市)黒沼智 (9/26 桜井千恵子選)
サバンナなら数十キロは駆けたるか原発村を駝鳥出でざり
(横浜市)犬建雄志郎 (10/1 馬場あき子選)
二基だけが種火の如く囲われて古い基準で動き続ける
(福井市)佐々木博之 (10/22 永田和宏選)
セシウムの茸を食った鹿の群何事も無く足取り軽く
(前橋市)船戸菅男 (10/22 馬場あき子選)
兀兀(こつこつ)と人生きるなりふくしまの重いひき臼しずかにまわし
(福島市)青木崇郎 (10/22 佐佐木幸綱選
天の川汚染の空に仄白し
(座間市)斎藤敏昭 (9/17 長谷川櫂選)
みちのくに人は還らず秋刀魚焼く
(横浜市)永井良和 (10/1 金子兜太選)
人もまた絶滅危惧種露葎(つゆむぐら)
(川崎市)半澤博子 (10/1 金子兜太選)
放射能汚染国土を秋の風
(東京都)森川嘉子 (10/8 長谷川櫂選)
柿熟れて触れる人なし汚染の地
(須賀川市)佐藤国喜 (10/31 岩田諒選)