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いま、そのとき、かんがえつつあること。

映画『ドッグヴィル』

2007-02-04 | 映画
いつものように週末にレンタルビデオ屋にいった。

ニコール・キッドマンは尊敬すべき人物に ちがいないと最近かんがえていて、『ドッグヴィル』という映画をえらんだ。尊敬すべきというのは、たとえば『めぐりあう時間たち』での演技などが頭に うかんでいた。ほかに じっくり みた映画といったら『白いカラス』ぐらいなもので、まだニコール・キッドマンの映画は あんまり みたことがないのだ。ちょっとまえまで魅惑的でセクシーな女優さんというイメージしかなかったんだが。ま、なにか感じるものがあったわけですね。

『ドッグヴィル』をみると、うひゃ このラース・フォン・トリアーという監督は すげえーという感想。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、『奇跡の海』の両方をみてみないとだわ。

3時間もある くそながい映画なんだが、最後にキャデラックのなかで ちょっとした問答が くりひろげられる。ニコール・キッドマンが演じる主人公が どのような決断をくだすかよりも、この問答のほうが示唆的。うおっと、なんだなんだ。どう かんがえれば いいんだ?みたいな。

内容としてはドイツ映画の『es』に にている。ある状況や関係性が どのように作用し、ひとは、どのような行動をとってしまうのか。だが、それだけで おわらなかった。

舞台はアメリカの孤立した村社会。住民23人だけ。そこにギャングから にげてきた女。全員の同意のもとに、かくまうことにした村人。そして…。

ひとりの男。小説をかこうとしている。村のことをかんがえて、村をよりよくしようと かんがえている。協力すること、ひとに寛大であることをまなぶべきだと おもっている。そこに、よそ者の女がきた。そして…。

女はいったい何者なのか。わからないうちに、村人たちは…。いや、村人たちは自分が だれであるのか、なにをしているのか、していたのかさえ わからないうちに、ただ、ひとつの結末をむかえた。

男のすがたが、もっとも象徴的。もっとも俗悪。そして、たぶん もっとも…。