「相手の話を理解するということ」という記事をかいた つぎの日、本屋で『なぜ「話」は通じないのか-コミュニケーションの不自由論』という本をみつけた。著者は仲正昌樹(なかまさ・まさき)さん。仲正さんの本をよむのは『「不自由」論-「なんでも自己決定」の限界』(ちくま新書)に つづいて2冊目。
つくづく あつい人なんだなーと感じながら よんだ。とても参考になるし、反省も させられた。結論部分の253ページから256ページが印象的だ。一部だけを引用しても誤解のもとになるかもしれないので、まぁ気になる人は よんでみてください。
暗闇に たたずみ、すがれるものは ない。心もとなく もどかしい気もちで不安になる。そこで、心の中に光や杖をつくりだす。その光や杖で、なんとか いきていく。でも、他人との おりあいのなかで、その光や杖が意図せざる問題になっていることもある。そこで自分の光と杖を、この世の中で どのように つかっていくのかが とわれてくる。もどかしいことだけれども、それが今をいきる わたしたちの課題なのでしょう。
文章が あいまいなのは、いろんな話を無理に むすびつけようとしたからです。
グーグル:「おりあい」
つくづく あつい人なんだなーと感じながら よんだ。とても参考になるし、反省も させられた。結論部分の253ページから256ページが印象的だ。一部だけを引用しても誤解のもとになるかもしれないので、まぁ気になる人は よんでみてください。
暗闇に たたずみ、すがれるものは ない。心もとなく もどかしい気もちで不安になる。そこで、心の中に光や杖をつくりだす。その光や杖で、なんとか いきていく。でも、他人との おりあいのなかで、その光や杖が意図せざる問題になっていることもある。そこで自分の光と杖を、この世の中で どのように つかっていくのかが とわれてくる。もどかしいことだけれども、それが今をいきる わたしたちの課題なのでしょう。
文章が あいまいなのは、いろんな話を無理に むすびつけようとしたからです。
グーグル:「おりあい」