アクセント

アクセントとイントネーション。

よく混同される。専門用語でもあり一般語でもあるので、それは当然なんだけど、言語にかかわる研究者でも とりちがえていることが けっこうある。

アクセントは、その単語のどこをつよく はなすか、どこが あがって、どこが さがるか、みたいな強調(つよい/よわい)や高低(たかい/ひくい)のこと。

イントネーションは、「わかった? うん、わかった」のように高低の抑揚をつけて ことばのニュアンスをつたえるものをいう。

こんな てきとーな説明よりは、ウィキペディアみてちょ。

アクセント / イントネーション

岩波書店から でてる本でね、ジョン・ハニー『言葉にこだわるイギリス社会』てのが あるの。もとの題は、『Does Accent Matter?』なの。『アクセントって問題になる?』ぐらいの意味でさーね。たぶん。この「アクセント」の意味は、「ある地域や社会階層に固有の発音のしかた」ですって(viii)。

岩波の紹介ページには つぎのようにある。
“正しい”発音でしゃべれなければ就職もできない.TVキャスターの地方訛りにはたちまちクレームの嵐.発音しだいで政治家の人気にも明暗が…….イギリス社会は言葉,とりわけ発音にじつにやかましい.生まれ育った言葉の違いで人生が左右されてしまうのだ.著者はメディアの世界から政界や芸能界,さらに王室に至るまで,豊富な実例をもとに,他人の言葉づかいに過剰なまでのきびしさを示すイギリス社会の姿を描きだす.長年タブー視されてきた問題に真正面から挑み,大きな反響を巻きおこした話題の書.
もくじをみるとおもしろい。「非標準アクセントは連帯感の象徴」というのは よくわかる。朝鮮半島の南東に位置するキョンサンドのひとと はなしているところで だれかがソウル弁のアクセントで はなそうものなら、「きしょい」「うざい」などと いうわけです。わたしも「ソウル弁のためくちアクセント」は、ちょっと いやなわけです(笑)。これまでは、「ソウル弁の恐怖」におそわれたことは なかったのです。でも最近、ソウル弁話者の「アクセント意識」に ふれることが ちょっと あったわけです。けっこう気になるんだなあと実感しました。わたしがソウル弁の ためくちアクセントをあんまり このまないように、反対もあるのだなと。あたりまえなんですけどね。それは。

でもなんだか、非ソウル弁アクセントが つよくて仕事に採用されない、というケースもありそうだなとも感じられるわけです。すくなくとも、複数の応募者から ひとりをえらぶとき、判断材料には されそうだなと。

キョンサンドのひとがソウル弁のアクセントをあからさまに きらうのは、じっさいにソウル弁話者をまえにしてのことでないかぎり、なんでもないことでしょう。内心で うざいと おもっていたり、自分では そうは発音しないなんてことは なんら問題ではありません。あたりまえです。しかしながら、ソウル人は いいます。なまってますねと。この非対称性。

アクセントの高低をうまく あやつらなければ意味が通じないケースというのは、たしかにあります。たとえばペキン語で はなしているとき、アクセントが不明瞭であったために通じないことは ありうることです。日本語でも、相手のアクセントが自分のものとは ことなっているために ぱっと わからないということが、たまにはあります。朝鮮語でもあります。だが、わたしたちがアクセントを「気にしてしまう」理由は、「それだから」ではないのです。

ただ、このみの問題なのです。

だれしも いろんな このみをもっています。しばしば、それに もとづいて毎日の行動を選択しています。

アクセントが どのようであるかによって、したしみを感じたり、なつかしくなったり、おかしく感じたり、いやだったり、わらってしまったり。

コミュニケーションに かかわることだからこそ、アクセントが問題になります。いえ、正確には、アクセントにこだわってしまうことが問題になるのです。いつも対等な関係において たんなる「すき/きらい」の問題ですんでしまうなら、べつにいいのです。だけども、現実には すべてのひとが対等なんかじゃない。すきだ、きらいだという表明だけで おわるわけではない。しかし、そこをなんとか対等な関係をつくっていく努力をつづける必要があると おもうのです。
ペキン語の声調や日本語の高低アクセントなどを総称する用語に、「音調」というのがあります。

この音調を学術的に研究した本に、早田輝洋(はやた・てるひろ)『音調のタイポロジー』大修館書店というのがあるようです。

『言葉にこだわるイギリス社会』をよみながら日本語や朝鮮語、ペキン語のケースについて おもいをはせながら、『音調のタイポロジー』をつまみぐいするのも わるくないかもしれません。

と、週末にむけて かんがえた。というオチにする。
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柴田淳(しばた・じゅん)『月夜の雨』

いつも てきとーなことをだらだらと かいて、あとで題をつけてます。タイトルに そそられて とんできてしまったひとには もうしわけござーい(反省してない)。


で、表題の件なのですが。

柴田淳(しばた・じゅん)さんのあたらしいアルバム。柴田さんのアルバムは、発売と同時に かうのって これが はじめてなのですよ。すでに でてたシングルは3枚とも かってあるし。「新曲」としては、13曲中の10曲。

成熟していくものなのですね。洗練されてる。最後の曲のね、「私の物語」の うたいかたが すごくいい。「花吹雪」のイントロのピアノは やっぱりいい。「紅蓮の月[ぐれんの つき]」の ふんいきは、今回のアルバムに とけこんでいる。「プロローグ」も「月夜畑」も2曲とも ほぼボーカルだけなんだけど、いいね。「真夜中のチョコレート」のアレンジがすてき。「つまおうじ」は、シリーズの ふんいきは そのままに ききやすい音になっていて よかった。『わたし』の「いつか王子様も」は、ノイズのような音が うるさかったから。てか、「つまおうじ」の歌詞に「ゴスロリ」って でてきて爆笑したんですけど。

いままでは、5分から6分ぐらいの曲がほとんどだったけど、ちょっとコンパクトになりました。

「私の物語」。あめが やんで、ちょっと肌ざむい。部屋のなかで ひとり かんがえる。そんな情景をイメージさせる。春が、もうそこに きている。

あ、まだ特典映像のDVDみてないや。これをよんで興味をもった ひとには、『ひとり』というアルバムも おすすめしておきます。
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言語ゲームから みた言語テスト

きのうの失敗は、きょうの成功につながり、きょうの成功は、つぎの失敗へとつづく。

一方通行ではなく、いっしょに つくるもの。いっしょに つくるものなんだけど、それって たてまえじゃないの?という面も たしかにあるもの。けれども、いっしょに つくるように つとめたい。

ふりかえるには おそろしい。さきをみるには おぼろげだ。いまさら。


さいきん言語学に はまっている。学部のとき以来のことだ。日本語学とかね。朝鮮語学とかね。いりぐちのまえに、やっと たとうとしている。おせーよ(笑)。


なにが さきんじて存在し、それをもとに、だれが なにをつくったのか。それが だいじだ。

さかだちした発想は あちらこちらにある。原因と結果。現状と対策。なにが どうして こうなったのか。みきわめるのが だいじだ。

イアン・ハッキングは『何が社会的に構成されるのか』岩波書店において「解釈」と「プロセスとしての構成」そして、「プロダクト[ある産物]としての構成」を区別している(95ページ)。

みいだされたものなのか、つくりだされつつあるものなのか、つくられたものなのか。

解釈も ふたつに わけられるかな。みいだされたもの、みいだされつつあるもの。

解釈にもっとも関連が ふかいことなのだが、ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」という かんがえかた。つかえるもんだなあと実感している。

解釈する わたしは どこにいるのか。どのように位置づけられるところから、つまり、どのような世界のなかで解釈するのか。それ次第で全体もかわり、そして対象の解釈も かわっていく。

あるバラードの歌詞に、「わたしらはパズルのピースにすぎないんだ」というのがある。「わたしら」とか かいてる時点で日本語の歌ではないわけだが。

パズルは完成したかたちというものが想定されているので、どこかにゴールがあるかのような印象をあたえるから「言語ゲーム」と関連づけては よろしくないのかもねん。やっぱチェスとか将棋のコマとかトランプのカードか。「わたしらは将棋のコマにすぎないんだ」。いやなイメージを連想させることばだな(笑)。


これって どういう意味ですか?と きかれて、それは これこれこれとか、それそれそれとか、その文脈や全体のなかで意味をもつものなので、そのことば自体をながめても意味なんてのは みえてきませんよ。文脈をはなれて意味は もちえないんですからねと。


おっと。わたしは たいへんな失敗をおかすところだった。と、関係ないところで納得しておわります。「言語ゲーム」から「言語テスト」へと。

いびつなテストをしたら いやん! すべての言語テストは「言語ゲーム論」に もとづくべし!

リンク:ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
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小説『図書館危機』

いま書店で やまづみの人気シリーズ第3作目。

有川浩(ありかわ・ひろ)『図書館危機』メディアワークス。

今回は、図書館や言論の自由について かんがえさせられる場面はそれほど おおくない。物語としての おもしろさは かわることなく、たのしめる内容だ。

今回とりあげられていたのは、いわゆる「差別語」について。この小説のなかでは、メディア良化委員会によって きめられた「違反語」ということになる。

メディア良化法によって指定されているわけであるから、絶対的な効力をもつ。とはいえ、そのような状況でさえ打開策は みつかった。

一方、「指針として」作成された「差別語リスト」が現に もってしまっている効力もある。そのリストにのった表現をつかうことは、それほど困難であるわけではない。だが、一律的に さけられるのが いまの日本のメディアであると いえるだろう。もちろん、それが どのような語であるのか、どのような場面で、どのように つかうのかが とわれることであり、コインをひっくりかえして、ただ連発すれば よいわけではない。だが、主体性を放棄して「リストに のってます」「じゃあ つかうの やめとこう」などというレベルでは なさけない。

いまからしてみると、『ちびくろさんぼ』にかんする騒動は、くだらないばかりか、異様な光景であったといえる。どのような根拠にたてば、絶版をもとめるようなことができるのだろうか。内容が差別的だと おもうなら それを言論によって批判すればよい。それで すむことだ。

「オカマは差別語か」というのも おなじ。オカマは差別語だというのは、「わたしはオカマとよばれて侮蔑されてきた」ことを根拠にするものだろう。だがその背景には、「わたしはオカマと自称しない」ということもあるのだ。「わたしはオカマと自称する」というひとが現にいるなかで、「オカマは差別語」だとはいえない。いえるのは、「わたしをオカマと よぶな」である。

はなしをもどそう。

『図書館危機』で ぐっときてしまったのは、166-167ページと294-295ページのあたり。中島みゆき(なかじま・みゆき)の歌詞をおもいださせるような力づよさ。「宙船[そらふね]」とか「ファイト」ね。今回はとくに参考文献があったわけでなく、『図書館戦争』、『図書館内乱』とおなじとある。

シリーズは次回作で おわりだそうだ。メディア良化法の ゆくえは いかに。
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生活書院(出版社)

気鋭の障害学研究者である星加良司(ほしか・りょうじ)さんの本がもうすぐ出版されるそうだ。

出版社は生活書院。すごいかもしれない。生活書院とはには、
社会学、障害学、社会福祉、子ども、マイノリティ、支援、医療、環境、人権といった言葉が喚起する問題領域に軸足を置いて、出来得るなら、書き手、作り手、読み手のすべてにとって得心のいく本を世に送り出していきたい。
とある。

注目すべき近刊は、以下のとおり。

◆星加良司『障害とは何か-ディスアビリティの社会理論に向けて』

おびのコピーは、「障害とは何か。障害とはどのような社会現象なのか。[後略]」

◆神部武宣(かんべ・たけのり)『さらばモンゴロイド-「人種」に物言いをつける』

題が最高だなあ。

あと、◆木村晴美(きむら・はるみ)さんの単著、◆ニキ リンコさんと倉本智明(くらもと・ともあき)さんの共著もでる予定のようだ。


生活書院ブログにもリンクしておきます。最近ではブログを運営している出版社が ふえていますね。
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中村 中(なかむら・あたる)

きのうのよる『図書館危機』をよんでいて感極まって ないてしまったからか、涙腺ゆるみまくりだ。

KABA.ちゃんはゲイというはなしがあって、そうなの?と疑問におもって ちょっと検索してるうちに、いいかんじのブログとか みつけて なけてきた。ううむ。「同性愛 - ウィキペディア」にはKABA.ちゃんはゲイではなくトランスジェンダーとある。KABA.ちゃんに「おまえは なんなのだ?」と といただしたいのではなく、第三者が「KABA.ちゃんはゲイ」としていたので疑問に おもっただけ。トランスジェンダーでもポストジェンダーでも「おねえキャラ」でも「オカマちゃん」でも「性別:乙女[おとめ]」でも かまわない。そもそも、かまわないも なにもない(笑)。そのひとは そのひとだ。


「中村中」というのが よめなくて、なんて よむんですか?と、となりに いたひとに きいたら、しりませんと。むかしの歌手さんかなあと おもったら まだ わかいひとで、なかむら・あたるさんというそうです。「友達の詩」という歌をうたってるそうです。かなしい歌詞だなあと しんみりしていたんだが、iTunesStoreで試聴してみて たまげた。つぼに はまりすぎだ。こんなに すごい歌手がいたのか! 声が やばい。なき死ねる。

ほかの曲はというと、ロック調のものは そんなに魅力を感じないかな。「さよなら十代」が いいかんじ。アルバムをかってみよう。

リンク:恋愛中毒 中村 中 公式サイト
(2007.02.16:ちょっと修正しました。)
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あるく

日曜日は岡山駅に ぶらりと でかけ、おもいつきで長船(おさふね)に いってきました。片道400円。

「知り渡れば行列のできる店」というラーメン屋で お昼をたべ、岡山で一番やすい弁当250円という宣伝文句のスーパーで その弁当を見物し、ゆめトピア長船という、かなりお金をかけて つくったと おもわれる公共施設で中学生の美術作品を鑑賞しました。

立体的な作品が多数あり、わたしのころとは ちがうなあという感じ。「ユニバーサルデザインを考える」と題して、いろんな図案を画用紙に かいてあるのも ありました。時代を感じさせますね。

そのあと駅の周囲をぐるっと あるくつもりでいたら、結局、2時間ほど あるくことに。なにも かんがえずに てくてくあるくので、あらぬ方向にいってしまったようで。

それにしても「備前福岡(びぜん ふくおか)」とは すてきな地名ですね。いまみたら、備前福岡城というのが むかしは あったんですね。川べりにゴルフ場が あるやあと みたんですけど、そこは お城の跡地だったのねえ。

天気もよく、散歩するには いい時間帯でした。途中で牛舎をみつけたり。

最近ね、運動不足なのが いやなのですよ。だから、たまに ぶらりと電車にのって、無意味に あるいてみようかなと。家の周囲をあるきたいとは おもえない。そのためにも、つかれにくいクツをかわねばーと おもったのでした。


ちなみに長船は、日本刀で有名なところです。

ほんとは牛窓(うしまど)に いきたかったんですけどね。それは今度だ。牛窓に いくには、邑久駅(おく えき)で おりて、バスで20分だそうだ。

リンク:牛窓町観光協会
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最近かってみた本など

すこしずつ かっているせいか、最近どんな本をかったのか よくわからない。このまえは、斎藤美奈子(さいとう・みなこ)『冠婚葬祭のひみつ』岩波新書を本屋で みて、かってあるのだか なんだか わからない…。『たまには、時事ネタ』は文庫になるのをまってみるか。

◆パオロ・マッツァリーノ『つっこみ力』ちくま新書。まだ めくってもいない。

◆黒川伊保子(くろかわ・いほこ)『日本語はなぜ美しいのか』集英社新書。いやな題ですね。

待望の◆有川浩(ありかわ・ひろ)『図書館危機』メディアワークス。三分の一は よんだ。

◆『外国人住民への言語サービス-地域社会・自治体は多言語社会をどう迎えるか』明石書店。

◆国立国語研究所 編 2006『日本語教育の新たな文脈』アルク。「学習パラダイムと教育パラダイムの落差-近代パラダイムの解体に向けて」なる論考が収録されてる。しらなかった。

◆『教育の社会史-ヨーロッパ中・近世』知泉書館。「教育」って わたしのイメージする「社会史」とは あいいれないように感じられるが、教育ってのも ひろいしね。「識字率」が どうのという話が あちこちに でてくるので かっておいた。

◆『教育の社会文化史』放送大学教育振興会。放送大学のテキストって あなどれませんやね。うえの本がヨーロッパの教育史であるのに たいし、こちらは日本のもの。2004年の本でした。

◆フリードヒ・キットラー『グラムフォン・フィルム・タイプライター』ちくま学芸文庫。メディア論。タイプライターについての論考が あれこれ。おもしろそう。つかえそう。

おまけで、カントン語(広東語)のテキストをかってみた。さわりだけでも しっておきたいなと。そいえば『広東語の風景』って本をもってるなあ。ベトナム語も かじりたいなあ。はなせなくて いいので。

最近は、ハッキングの『何が社会的に構成されるのか』をゆっくり よんでます。そいえば、『世界屠畜紀行』って本が でましたねえ。節約ということで かいませんが。

業田良家(ごうだ・よしいえ)のマンガ『男の操』上下も ほしい。『「お墓」の誕生-死者祭祀の民俗誌』岩波新書も よんでみたい。だーけど いまは おあずけなのだ。


みたい映画は、名作との うわさの『グエムル』、『イルマーレ』ハリウッド版(キアヌ萌え)、『トリック劇場版2』(準新作まちw)、『知っている女』(イ・ナヨン萌え)、あと、香川照之(かがわ・てるゆき)がでてる映画をあれこれみたい。
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映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』へー。こういう映画だったのか。べつに感動はない。衝撃もない。淡々とみた。←ふつーは ないたり、ひいたり、へこんだりするらしい。

主人公は こどもかと おもってた。ビョークって だれですか。名前しか しらないお。

「チェコスロバキア」からのアメリカ移民のセルマの かなしい おはなし。1960年代が舞台ということらしい。

こんなところで星条旗をうつしだすのね(笑)とか、監督はミュージカルすきじゃないんだろうなあなどと おもいながら みてた。ドキュメンタリー風の撮影のしかたは きらいじゃない。手ぶれの感じね。ビョークというひとの歌には あんまり感じるものはなかった。最後のは でも すてきでしたね。

主人公は かたくなで頭も わるく、仕事も あそび半分。ミュージカルと妄想がすき。目がほとんど みえていなくて、やがて失明する。遺伝性のものだから息子だけは手術して なおしてあげたいのだと。

そういう主人公の ありさまや いきかたよりも「アメリカってこういう社会でしょ」と、さめた視点で描写されている。最後にカーテンが しめられるところや画面に表示される意味深な文字が印象的。この映画自体は そんなに すきではないが、この監督は おもしろいひとだと おもう。もっと じっくり みてたら、衝撃で ことばをうしなってたのかも。そんなもんですよ。

ウェブで いろんなひとの感想をみてみると障害者と移民をばかにした映画というひとがいた。監督は飛行機のるのが こわいのでアメリカにいったことないデンマークのひとですってよ。わたしが こないだ みた『ドッグヴィル』という映画もつくってる。「ドグマ95」って おもしろいわね。イ・ジョンジェおにいさんの でてる『インタビュー』もこの「ドグマ95」に のっとって とられた映画なのねえ。
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長音符(ー)とダッシュ

のばす音なんだが。のばす音(長音)って、たとえば、ぼーぜん。この「ぼー」のところの棒線。日本語点字でいうと「2の点と4の点」で あらわされる文字。

ウィキペディアで しらべたら、あそっか。長音符っていうよね!

「から」と かけば変換される「〜」は波ダッシュって いうんだね!

「―」←これは「全角ダッシュ」とか「emダッシュ」っていうんだって。

「-」←は「全角マイナス」とか「全角ハイフン」っていうのかもよ。だんだん自信がなくなってくるよ。罫線素線(けいせんそせん)ってのも あるみたいだし。

ウィキペディアをみるとハイフンも複雑ですね。

「Wikipedia:日本語環境」と、そのノートでの議論も興味ぶかいですね。

本題は、マックの人気フォントだと長音符と全角ダッシュは区別されませんよね。だから、「そんなことはないーーいやあるぞ?ーーあるある。」と、長音ではないところで長音符がダッシュのかわりに つかわれてしまってるケースがあるわけですお。もちろん、マック使用者というわけでなくて、たんに長音符とダッシュの区別に うといひとである可能性もありますけどね。ともかく、いっしょに みえちゃうってこと。


で、そんなわけでマック使用者さんに おすすめな情報。

ワープロソフトはともかく、ウェブブラウザは、こまかくフォントを設定しよう。ウェブページを表示させるときには、べつに長音符と全角ダッシュを区別させる必要はかならずしも ないと おもうのです。だけど、自分がメールやブログをかくときには気をつけたいというときは、入力にかんしてだけフォントをかえてやればいいのです。で、みなさんが どんなウェブブラウザをつかっているか わかりませんが、もちろん、IE(インターネット・エクスプローラ)かfirefox(ファイアーフォックス)でしょうけれども、Operaでは そういう こまかい設定ができるんですよというのをおしらせしておきます。

だからわたしの場合、「インターフェース メール作成」のところだけ「ヒラギノ明朝Pro W6」にしてるのです(明朝なのが みそ)。ほかは だいたい「ヒラギノ角ゴPro W3」か「Osaka」になってます。てか、21項目もフォントを設定できる。こまかすぎて意味が わかりません(笑)。

ともかく、それで安心して長音符とダッシュが区別して つかえるようになるのです。

あと、画像を表示する/表示しないの きりかえが すぐできる点もOperaは便利ですよ。それはfirefoxでも できることですけどね。画像を表示しないをしてみて、そのページが意味不明になってしまったら、なにこのサイト! 最悪っ、と けなしてください。代替テキストつけろよ、ばーーかと いってあげましょうね(はぁと)。スクリーンリーダー(画面よみあげソフト)をつかってるひとだけでなく、テキストブラウザをつかってるひとも迷惑してんだからっ。
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鉄観音(ウーロン茶)

鉄観音のウーロン茶は うまいですわね。

いま「黄金桂」という葉っぱが家にあるんだが、これもなかなか上品な あと味。最初はなんだか味が ものたりないような気もするんだが、なんか そのうち充足されるというか。

きょうは仕事がえりに肉まんと鉄観音をたのしんだ。なんとか「バール」と銘うってる店なんだが、中国茶と肉まんの店。かわってるなあ。地下街とかが にあいそうな店だった。てゆーか、最近ふとりました。食費をおさえてみるテスト。

(以上、リンクさきは すべてウィキペディア)
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ザ・ニュースペーパー

ザ・ニュースペーパーという「社会派風刺コント集団」がいる。しってますか? リンクさきに いってみたら、わかるひとも いるかもしれませんね。小泉純一郎(こいずみ・じゅんいちろう)のマネをしてたりする劇団みたいなかんじのグループですよ。

でね、DVDをかりてみました。『ザ・ニュースペーパーの笑国日本』という題です。

みるまえは かってしまおうかなと おもっていたんですけど、かうほど「爆笑もん」というわけでもありませんでした。でもま、ともかく応援しますわよということで ご紹介しておきます。舞台でやってるのをみたら おもしろいんでしょね。

リンク:「ザ・ニュースペーパー - ウィキペディア」
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映画『ドッグヴィル』

いつものように週末にレンタルビデオ屋にいった。

ニコール・キッドマンは尊敬すべき人物に ちがいないと最近かんがえていて、『ドッグヴィル』という映画をえらんだ。尊敬すべきというのは、たとえば『めぐりあう時間たち』での演技などが頭に うかんでいた。ほかに じっくり みた映画といったら『白いカラス』ぐらいなもので、まだニコール・キッドマンの映画は あんまり みたことがないのだ。ちょっとまえまで魅惑的でセクシーな女優さんというイメージしかなかったんだが。ま、なにか感じるものがあったわけですね。

『ドッグヴィル』をみると、うひゃ このラース・フォン・トリアーという監督は すげえーという感想。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、『奇跡の海』の両方をみてみないとだわ。

3時間もある くそながい映画なんだが、最後にキャデラックのなかで ちょっとした問答が くりひろげられる。ニコール・キッドマンが演じる主人公が どのような決断をくだすかよりも、この問答のほうが示唆的。うおっと、なんだなんだ。どう かんがえれば いいんだ?みたいな。

内容としてはドイツ映画の『es』に にている。ある状況や関係性が どのように作用し、ひとは、どのような行動をとってしまうのか。だが、それだけで おわらなかった。

舞台はアメリカの孤立した村社会。住民23人だけ。そこにギャングから にげてきた女。全員の同意のもとに、かくまうことにした村人。そして…。

ひとりの男。小説をかこうとしている。村のことをかんがえて、村をよりよくしようと かんがえている。協力すること、ひとに寛大であることをまなぶべきだと おもっている。そこに、よそ者の女がきた。そして…。

女はいったい何者なのか。わからないうちに、村人たちは…。いや、村人たちは自分が だれであるのか、なにをしているのか、していたのかさえ わからないうちに、ただ、ひとつの結末をむかえた。

男のすがたが、もっとも象徴的。もっとも俗悪。そして、たぶん もっとも…。
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映画『夜を賭けて』

みなさんはパク・ポー(朴保)さんという歌手がいるのをご存じでしょうか。

森達也(もり・たつや)さんのドキュメンタリー『A』の曲のひとだといえば、わかるかたも いらっしゃるかもしれません。

パクさんのCDは そんなにいくつも入手できるわけではないので、とりあえずパクさんが音楽を担当された『夜を賭けて』という映画をみてみました。やっぱり「峠」は名曲ですよ。

山本太郎(やまもと・たろう)さんが主役です。なんか すきです。やまもっさん。

樹木希林(きき・きりん)さんも ちょと でてますね。はまってますわね。てか、俳優人は みなさん すてきでした。音楽も よかったです。ただ、映画としての構成としては、なんか一本つきぬける物語性というものに かけているように感じます。主役の義夫(よしお(とよばれている))が ものすごーく魅力あふれるキャラクターであれば気にならないのでしょうけれど。

いや、わたしは、「できすぎた主人公」になれすぎているのかもしれません。

と、ここまで かいたところでメイキングをみたですよ。制作風景というやつ。韓国のクンサンでね、イチからバラック集落つくってんの。しかもエキストラ役のひとらが。一般募集して あつまったひとたちということなんだが、こっちもなんだかドラマ。朝鮮系のひとや俳優志望のひとばかり。

『パッチギ!』も若手俳優を「そだてる」、「成長記」的な色あいがあったが、こっちは自分らで つくりあげる的な成長期。もちろん、指揮するひとが いるわけであるけれど、ともかく、メイキング映像がなかなかいい。

『GO!』と『パッチギ!』と くらべたら、そんなに成功したとはいえない映画だと おもうんだが、ここらで さりげなくオススメしておきます。

リンク1:朴保への道
リンク2:日韓合作映画「夜を賭けて」
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おかえりなさい。

というわけでケータイは なおりました。そしてまた、こわしてしまうのでしょう。 そんなオチが まっている予感がしています。

1年たつのも はえーもんだな。ひと月も、あっというまに すぎてしまうものだな。てゆーか、1週間が はえーぜ。

わたしの仕事は、なぜか おおきな声で「しべん!」とか さけぶことだったりします。すると、みなさん「んん??」と不可思議な顔をされて、わたくしをご覧になるのであります。そしてまた、「しべん!」。

「私は何をやっているんだろう」♪。


はなしは かわりますが、哀悼のきもちをこめて、ひとこと。

「すももも ももも もももももーーー」。
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