アクセントとイントネーション。
よく混同される。専門用語でもあり一般語でもあるので、それは当然なんだけど、言語にかかわる研究者でも とりちがえていることが けっこうある。
アクセントは、その単語のどこをつよく はなすか、どこが あがって、どこが さがるか、みたいな強調(つよい/よわい)や高低(たかい/ひくい)のこと。
イントネーションは、「わかった? うん、わかった」のように高低の抑揚をつけて ことばのニュアンスをつたえるものをいう。
こんな てきとーな説明よりは、ウィキペディアみてちょ。
アクセント / イントネーション
岩波書店から でてる本でね、ジョン・ハニー『言葉にこだわるイギリス社会』てのが あるの。もとの題は、『Does Accent Matter?』なの。『アクセントって問題になる?』ぐらいの意味でさーね。たぶん。この「アクセント」の意味は、「ある地域や社会階層に固有の発音のしかた」ですって(viii)。
岩波の紹介ページには つぎのようにある。
でもなんだか、非ソウル弁アクセントが つよくて仕事に採用されない、というケースもありそうだなとも感じられるわけです。すくなくとも、複数の応募者から ひとりをえらぶとき、判断材料には されそうだなと。
キョンサンドのひとがソウル弁のアクセントをあからさまに きらうのは、じっさいにソウル弁話者をまえにしてのことでないかぎり、なんでもないことでしょう。内心で うざいと おもっていたり、自分では そうは発音しないなんてことは なんら問題ではありません。あたりまえです。しかしながら、ソウル人は いいます。なまってますねと。この非対称性。
アクセントの高低をうまく あやつらなければ意味が通じないケースというのは、たしかにあります。たとえばペキン語で はなしているとき、アクセントが不明瞭であったために通じないことは ありうることです。日本語でも、相手のアクセントが自分のものとは ことなっているために ぱっと わからないということが、たまにはあります。朝鮮語でもあります。だが、わたしたちがアクセントを「気にしてしまう」理由は、「それだから」ではないのです。
ただ、このみの問題なのです。
だれしも いろんな このみをもっています。しばしば、それに もとづいて毎日の行動を選択しています。
アクセントが どのようであるかによって、したしみを感じたり、なつかしくなったり、おかしく感じたり、いやだったり、わらってしまったり。
コミュニケーションに かかわることだからこそ、アクセントが問題になります。いえ、正確には、アクセントにこだわってしまうことが問題になるのです。いつも対等な関係において たんなる「すき/きらい」の問題ですんでしまうなら、べつにいいのです。だけども、現実には すべてのひとが対等なんかじゃない。すきだ、きらいだという表明だけで おわるわけではない。しかし、そこをなんとか対等な関係をつくっていく努力をつづける必要があると おもうのです。
ペキン語の声調や日本語の高低アクセントなどを総称する用語に、「音調」というのがあります。
この音調を学術的に研究した本に、早田輝洋(はやた・てるひろ)『音調のタイポロジー』大修館書店というのがあるようです。
『言葉にこだわるイギリス社会』をよみながら日本語や朝鮮語、ペキン語のケースについて おもいをはせながら、『音調のタイポロジー』をつまみぐいするのも わるくないかもしれません。
と、週末にむけて かんがえた。というオチにする。
よく混同される。専門用語でもあり一般語でもあるので、それは当然なんだけど、言語にかかわる研究者でも とりちがえていることが けっこうある。
アクセントは、その単語のどこをつよく はなすか、どこが あがって、どこが さがるか、みたいな強調(つよい/よわい)や高低(たかい/ひくい)のこと。
イントネーションは、「わかった? うん、わかった」のように高低の抑揚をつけて ことばのニュアンスをつたえるものをいう。
こんな てきとーな説明よりは、ウィキペディアみてちょ。
アクセント / イントネーション
岩波書店から でてる本でね、ジョン・ハニー『言葉にこだわるイギリス社会』てのが あるの。もとの題は、『Does Accent Matter?』なの。『アクセントって問題になる?』ぐらいの意味でさーね。たぶん。この「アクセント」の意味は、「ある地域や社会階層に固有の発音のしかた」ですって(viii)。
岩波の紹介ページには つぎのようにある。
“正しい”発音でしゃべれなければ就職もできない.TVキャスターの地方訛りにはたちまちクレームの嵐.発音しだいで政治家の人気にも明暗が…….イギリス社会は言葉,とりわけ発音にじつにやかましい.生まれ育った言葉の違いで人生が左右されてしまうのだ.著者はメディアの世界から政界や芸能界,さらに王室に至るまで,豊富な実例をもとに,他人の言葉づかいに過剰なまでのきびしさを示すイギリス社会の姿を描きだす.長年タブー視されてきた問題に真正面から挑み,大きな反響を巻きおこした話題の書.もくじをみるとおもしろい。「非標準アクセントは連帯感の象徴」というのは よくわかる。朝鮮半島の南東に位置するキョンサンドのひとと はなしているところで だれかがソウル弁のアクセントで はなそうものなら、「きしょい」「うざい」などと いうわけです。わたしも「ソウル弁のためくちアクセント」は、ちょっと いやなわけです(笑)。これまでは、「ソウル弁の恐怖」におそわれたことは なかったのです。でも最近、ソウル弁話者の「アクセント意識」に ふれることが ちょっと あったわけです。けっこう気になるんだなあと実感しました。わたしがソウル弁の ためくちアクセントをあんまり このまないように、反対もあるのだなと。あたりまえなんですけどね。それは。
でもなんだか、非ソウル弁アクセントが つよくて仕事に採用されない、というケースもありそうだなとも感じられるわけです。すくなくとも、複数の応募者から ひとりをえらぶとき、判断材料には されそうだなと。
キョンサンドのひとがソウル弁のアクセントをあからさまに きらうのは、じっさいにソウル弁話者をまえにしてのことでないかぎり、なんでもないことでしょう。内心で うざいと おもっていたり、自分では そうは発音しないなんてことは なんら問題ではありません。あたりまえです。しかしながら、ソウル人は いいます。なまってますねと。この非対称性。
アクセントの高低をうまく あやつらなければ意味が通じないケースというのは、たしかにあります。たとえばペキン語で はなしているとき、アクセントが不明瞭であったために通じないことは ありうることです。日本語でも、相手のアクセントが自分のものとは ことなっているために ぱっと わからないということが、たまにはあります。朝鮮語でもあります。だが、わたしたちがアクセントを「気にしてしまう」理由は、「それだから」ではないのです。
ただ、このみの問題なのです。
だれしも いろんな このみをもっています。しばしば、それに もとづいて毎日の行動を選択しています。
アクセントが どのようであるかによって、したしみを感じたり、なつかしくなったり、おかしく感じたり、いやだったり、わらってしまったり。
コミュニケーションに かかわることだからこそ、アクセントが問題になります。いえ、正確には、アクセントにこだわってしまうことが問題になるのです。いつも対等な関係において たんなる「すき/きらい」の問題ですんでしまうなら、べつにいいのです。だけども、現実には すべてのひとが対等なんかじゃない。すきだ、きらいだという表明だけで おわるわけではない。しかし、そこをなんとか対等な関係をつくっていく努力をつづける必要があると おもうのです。
ペキン語の声調や日本語の高低アクセントなどを総称する用語に、「音調」というのがあります。
この音調を学術的に研究した本に、早田輝洋(はやた・てるひろ)『音調のタイポロジー』大修館書店というのがあるようです。
『言葉にこだわるイギリス社会』をよみながら日本語や朝鮮語、ペキン語のケースについて おもいをはせながら、『音調のタイポロジー』をつまみぐいするのも わるくないかもしれません。
と、週末にむけて かんがえた。というオチにする。