からあげだけ全部くってんじゃねーよ

6時から かしきり50名さま。たべほーだい、のみほーだい。

全員そろって はじまるまで料理に てをつけないっていう、行儀よさ。どうかと おもう。いざはじまったら、どわーっとピザとパスタをどんどんだすので、前菜があんまく たべてもらえない。前菜にかんしては、わたしは からあげをあげただけだが。あげものなんて ひさびさだあ。チューカ料理屋いたころをおもいだすわあ、などと ぽいぽい油にほりこんでたら ゆびに油をくらう(笑)。4年間も あげものをやっていたので、やけどには無頓着だ。ちょっと ひりひりするだけだし。

パスタは つくるものをかんがえておいて、ソースだけ つくっておいた。あれこれやったが、ツナとブラックオリーブのトマトソースって うまいよな。これは うまいだろーなどと内心おもた。スープはださないことになってたので、タリアッテッレ(きしめん風のやつ)でスープパスタしたら全部まるまる のこって かえってきてた…。「しんでしまえ」と つぶやく(え?)。

それにしても、のみかいの いきおいってものには なじめない。ずーっと「オイオイオイオイ!」ってイッキの音頭とってる ひとがいて、「うるせーよ」と つぶやく。ピザ担当さんに、「あのうるさいひと、ちょっと なぐってきて」などと ぐちる。わたしはアルコールに よわいのもあり、イッキとかしてるのをみると、ばかだなと。スリルじゃない。リスクがあるからイッキが もりあがるんだ。あぶないんだよ。アルコールの許容量なんて かなり個人差あるのによ。ばーかばーか(と、こちらも いきおいにのってみるテスト)。

そういえば、まえいった居酒屋に「死ぬまでイッキをほんとにするやつがいる」とかなんとかいうポスターがはってあった。すばらしい。

なーにが くいほーだいだ。「のこしほーだい、すてほーだい。金は はらってあるんだぜ」というやつですか(もちろん、料理をだす側にも問題はあります)。きれいな のこりもんを、スタッフのみんなで たべたのは、ゆーまでもありません。

わたしが そういうばにいると、絶対のこしたくないので かなり無理をしてしまう。無理してくれたひとは、いてくれたのだろうか。まあ、いろんなもん たくさんだしすぎてましたね。全体的に。食材にかかわった すべてのみなさま、もうしわけございませんでした。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「わたし」をかたちづくる関係性

「わたし」は こんな人間だと おもう、そんなイメージがありますよね。そのイメージがあまりに かたまってしまうと、自分で自分をしばってしまうことになる。

いろんなひとと つきあっていれば、その都度、いろんな「わたし」が おめみえすることになる。どれも自分であるのだけれど、そのときどきの「わたし」は、たんに自分の内面に一貫するものだけによって決定された「わたし」ではない。関係性が「わたし」をかたちづくるのだ。

ある面で、つめたく、攻撃的で。そんな「わたし」。そんな「わたし」をすてられそうだと おもった。けれど、そんなにすぐには かわれないのかもしれない、とも おもった。ある関係において、わたしは饒舌で あかるく、ときには攻撃的だった。なんだったんだろう。

とはいえ、内面のなかで一貫するもの、というか、だいじにしたいものというのも あるわけで、関係性だけに還元できるものではない。てゆーか、関係性が軽視されてるから、関係性が「わたし」をかたちづくる、なんて いいたくなるのでありましょう。

できることなら、性格がそのまま思想になってくれれば よろしいことだ。ん、思想が性格になればいい? どっちだ。ま、いいや。
…家康という人間の行蹟を見て、そこに彼を語る軸をさがすとすれば、それは彼の性格ではなくて、彼の思想であり、性格の上に意志がはたらき、一ツの思想に形成されて熟慮断行されたものが、家康の行蹟であり、家康という人間であった。
人生を性格と見るのは易断の弱点の一ツで、人生をひらくものは性格ではなく、意志であり、思想なのである。性格には正邪はないが、思想には正邪がある。人生の価値を決定するのはその正邪の方で、性格はそれ以前の原始なものと知るべきであろう(坂口安吾=さかぐち・あんご「安吾愛妻物語」)
このフレーズ、どこにかいてあったんだっけと ずっと さがしてたんだが、「安吾愛妻物語」って…。記憶にさえのこってなかったよ。
…その人の一生を本当にうごかすものは性格ではなくて、環境や偶然でもあるし、又、さらに、意志や思想であるが、それも偶然や環境等の諸条件の支配をまぬがれることはできない。
これも、あたりまえな はなしにすぎないともいえるが、わるくないフレーズだ。そうそう、安吾が人相うらないをされて、そのうらない結果を批評した文章だった。このエッセイ。

岩明均(いわあき・ひとし)のマンガ『七夕の国』でも、主人公の のほほんとした性格が、あきらかに思想性をもって あらわれている。「皆さんも、見えない何かにふりまわされてる自分があるんだとしたら、そろそろ考えてみちゃどうでしょうか……」。ふむ。

『七夕の国』は、ムラ社会の慣習というもののクサリ的側面、それって ただの しがらみやん、みたいなのも えがいてる。基本的には、ナゾというのは たしかにあって、その こたえというのは、なかなか わからないもの、もしかすると わかりようのないことなのかもしれないけれど、わからないことに ふりまわされるのは よそうじゃないか。そんな感じの内容で、その「わからないこと」がいつしか慣習になり、しきたりになり、自分たちをこりかたまらせるていたという。わからないことは わからねんだよってことだわね。ひらきなおろうよと。

「自分の首に絡んでる、見えない鎖のことだよ」(『七夕の国』)。丸神(まるがみ)先生かっこいい(笑)。

グーグル:「七夕の国」
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『あなたたちの大韓民国2』

パク・ノジャさんの本がでてた(韓国の本。朝鮮語)。『あなたたちの大韓民国』は、たいへんいい内容だったし、身につまされるというか、「たのしくよめる」というわけではないけど、よまずにはいられないという感じだった。それが今回『あなたたちの大韓民国2』がでたことで、『あなたたちの大韓民国1』が新装版で出版されたもよう。

『1』のほうを、またよみなおそう。『2』もすごいなあ。「韓国の大学―搾取工場であり、知識市場の名品百貨店」。いいねえ。ハンギョレ新聞社。いい本だすよ。ほんと。

韓国滞在は、わたしにとってなんだったのか。いまいちど かんがえなおさねばと感じている。朝鮮語でかくということも、つづけていかないとね。まがいなりとも、朝鮮語講師なんだし…。

問題関心がいろいろ ひろがってきたのは たしかなんだけど、学部のころの関心ごとにも、たまには たちかえらないとな。そういう意味でも、『エスニシティとナショナリズム』(明石書店)は よんでおきたい。朝鮮語でかけること、かく意義のあるもの、というのは、そこまで確信できるなにかが あるわけでもないんだけど、せっかく文章力があるとか いわれてるんだから(笑)。あれだけ かぎられた表現力で、なぜに修論が「文章がいい!」と ほめられたのか、自分では よくわからないんですやね。わかるはずもない(笑)。朝鮮語の名文なんて しらないし、判別つかねーもん。

だけど、朝鮮語でなにかをかくんなら、チェックしつづけていないとだめなわけで。その点、パク・ノジャさんは えらいんだと おもう。韓国に「帰化」して、結局韓国の大学社会に絶望して、ここには わたしはいられないとノルウェイに移住したわけだけど、なにも かわらない労力と熱意で、朝鮮語で かたりつづけている。って、わたしとは そもそも格がちがうわな(笑)。

グーグル:「パク・ノジャ」
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

つながらない日々

ぶはは。数日間ブロードバンドとめられてました。滞納してたもんで。

これで2回目なんだが、たまには いいですよ。つながらない日々ってのも。今回は、ケータイで たいがいのことはできるってことをまなびました。あと、読書にいそしんでましたよ。◆佐倉統(さくら・おさむ)『進化論の挑戦』角川ソフィア文庫をよんだり。よみやすいから、ふむふむ、なるほど、なにこれ?とか かんがえつつ、てもとにある関連本をひもといて。

◆岩明均(いわあき・ひとし)マンガ『七夕の国』をよんでみたり。なかなか おもしろかった。メッセージ性は あるんだけど、ちーと散漫な印象。だけど、いろいろ たのしめる。よみて次第だからね。

◆柴田淳(しばた・じゅん)シングル『花吹雪』をたんのうしたり。スケールおっきくなったよねえ。自己主張しない堅実なドラム。こーゆーの すきよ。重実徹(しげふみ・とおる)というひとのアレンジ。柴田さんみたいに作詞作曲するひとのうたは、アレンジでまた いろんな味がでるから たのしいやね。

◆きのうは、公園のすべりだいで たそがれてたというか、はるをたのしんでました。そしたら、「あれひろってきて」というこえ。めのまえに、さっき ほっぽいた あきかん。…いやな予感。そそっと よってくる小学生4人ぐみ。うわ、ごめんなさい、すみませんとか いいつつ、あきかんをひろわれる………。かえるとき もってかえるつもりが…。「今度から気をつけてください」と注意される。なさけなっ。うちひしがれて公園をあとにしました。

◆きょうは8時出勤したら、店長がきてる。あれと おもったら、テレビ取材のひだった…。岡山・香川に、わたしの ばかっつらが ちょっとだけ さらされる悪寒…。レポーターさんに はなしふられて、わたしが「そうですね!」とか こたえてる爆笑映像が ながれるかもかも。ピザやいてる勇姿なども(ぶひゃ)。こりゃ やられた。ま、一瞬でしょうから、みたいとかビデオみせろとか いわないでね(はぁと)。録画しないし。

◆カール・セーガン『人はなぜエセ科学に騙されるのか』上下、新潮文庫をかってみた。これも おもしろそうね。

新刊もあれこれ かったけど、あしたにでもメモります。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

料理のしごとも板につき

(ことしまでかなーとも おもうが、また料理屋に まいもどったりするんだろな。つぎは和食?(笑))

最近まかないばっか つくってる気がする。なおかつ、駄作率が へってきた気もする。おとついは、トリモモをですな、トウバンジャン、粉末パプリカで うまそうな いろをつけて、塩こしょう、あぶらで下味して もんで石釜で やきましたよ。つかわねばならんトマトがあったので、たまねぎと ベーコンすこしとバジルと えーっとなんだっけ、わすれた。ともかくソースつくった。やたら うまい。みたからに うまい。「料理は見た目が9割」?(笑)。そこまでは いかないと おもうが(笑)。わたしは「見た目で第一印象をあたえんさい」と指導されてきましてね。最近は、満足のいくものがピザでもパスタでも ほかのものでも つくれるようになってきたなと、ご満悦。

きのうは ちゃちゃっと魚介のチリソースつくろうと、またまた つかわねばならぬトマトさんと やまほど あまってるらしい赤ワイン(←無意味な「初物まつり」のワインねw)をまぜたので、これは ちょっとなと。むしろ、天板にバターとオリーブ油しいて、ごはん しきつめて、魚介のトマトいためのようになったものをぶっかけ、しるっけが たらんので ちょっとスープ(野菜のトマトスープなのです)をくわえ、バケットちょっととピザのチーズをちらして石釜に。石釜最強。

週に8時出勤が4、5日になったが、案外だいじょぶなのね。なれというのは、おそろしや。こうやって感覚が うすれていくのね(笑)。いや、あそんですごしてゼニもらえるなんて、こんな うまいはなしはないとか おもってるが。正直、らくなのです(笑)。

まあ、向上心も好奇心も ちゃんと もっておりますのでね、さぼってなんかいませんよ。ええ。いちおうは、たぶん…。

とくに修行をしたというわけでもなく、みようみまねが9割といえる わたしは、料理の基本っつーものをいまだに理解していない。で、それなりには料理書なんぞをひもといてみるんだけどね。ちょっとリクツで せめてるような本ないかなーと おもってたら、杉田浩一(すぎた・こういち)『料理のコツを科学する―おいしさの謎解き』青春出版社をみつけた。
食べ物の世界には、人々が長い間の体験で積み上げてきた知恵が満ち満ちています。それだけに料理は理論ではなく経験と修練がものをいうもの、極言すれば料理には経験さえあればよし、なまじ理論など振り回さない方がよいという、抜きがたい先入観を持つ人が多いことが、感じられます。この信念は、いわゆるプロと呼ばれる料理の専門家にとくに強いようです。(3ページ)
尊敬できる「いわゆるプロと呼ばれる料理の専門家」ってのは、やっぱり理論面にも つよいのよな。

「料理のなぜ」に こたえる本は、なかなか つかえそうだ。ということで。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

マンガ『イキガミ』/映画『遙かなる帰郷』

◆んー、期待はずれかな。だけど、まだ2巻でただけだから、これから おもしろくなるやもしらん。

間瀬元郎(ませ・もとろう)『イキガミ』小学館。1巻、2巻ね。
この国には、国家繁盛維持法という名の法律がある。そこでは、多くの人間を生かし、国を繁栄させるため、選ばれた若者をあの世へ逝かす紙・“逝紙[イキガミ]”が配られている。
なんか、ひとつのエピソードをもっと丹念に かいても よくない? ほりさげが あまいす。ま、「生きること… それは願うこと―」(2巻のとびらより)みたいな かったるいこと いいたいのか、あるいは、そのことばに説得力のある おもみをもたせたいのか、あるいは、「国家という権力」をえがきたいのか。まあ、全部なら全部でいいが、「でも、だからこそ彼女の死から“愛”や“命”の尊さなど――学びたくはないのだ。学んでしまったら、この法の思うつぼだから――」というのなら、目前の死をまえに いきるということ、その「死にざま」よりも、そんな死を美化する物語を制度的に うみだす国家権力に読者が おもいはせらせるように かけないものかな。あとは「読者まかせ」ということであれば、まあいいけどね。

赤紙とイキガミが認知症のおばあさんのなかでリンクするっていうのもね、アイデア先行なんかもしらんが、なんか「感動的なはなし」に おわってない? ともかく、これからに期待するかな。

個人的には『サトラレ』をおもいだした。

◆おまけ

きょうは、ひるまに『遙かなる帰郷』ていう映画をみたんだが、あきらかにメッセージ性をもつ作品でも、そのメッセージの発しかたってのは、なかなか いろいろありえるんだなと おもった。わりかし寡黙な主人公が、しずかに、だけども、はっきりと主張をしている。でも、「しずか」だよなあと感じるのですよ。いい、わるいじゃなくてね。こんな主張のしかたもあるんだなと。<「アンネの日記」と並ぶ記録文学の名作、P・レーヴィの自伝的小説を映画化>ということらしい。なるほど。アウシュビッツに収容されてたイタリア人たちがイタリアに かえるまでのはなし。これは、もいちど みてみます。

グーグル:「イキガミ」 / 「遙かなる帰郷」
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

小説『図書館戦争』

うわー、やられた。有川浩(ありかわ・ひろ)2006『図書館戦争』メディアワークスをよんだ。

328ページからは、うわっとか さけびながら おえつしてしまった。はやいはなしが、なきながら よんだと(笑)。

登場人物がそれぞれ いきていて、会話のやりとりが じつに おもしろい。章だては、「一、図書館は資料収集の自由を有する 二、図書館は資料提供の自由を有する 三、図書館は利用者の秘密を守る 四、図書館はすべての不当な検閲に反対する □図書館の自由が侵される時、我々は団結して、あくまで自由を守る」となっている。つまりは、日本図書館協会による「図書館の自由に関する宣言」を土台にしたもので、それぞれの項目にそった内容を展開している。それも、「公序良俗を乱し、人権を侵害する表現を取り締まる法律として「メディア良化法」が施行されたのは昭和最終年度」であり、「メディア良化法の検閲権に対抗する勢力となることを期待されて成立したのが通称「図書館の自由法」」でありという設定のもとに。しかも、どえらいことに このふたつの勢力は、図書館の本の攻防をめぐって どんぱちまでしてしまうという、すごい設定。比喩じゃなしに、「図書館戦争」なのでした。主人公は、図書防衛員。まけんきが つよく、いきおいばかりで理念はあれこれもっているが、素養となる知識はあんまりないという、かきみだし系のキャラ。人間模様が おもしろいし、「自由宣言」など図書館の理念をていねいに しらべたであろうことが内容にきちんと反映されていて、エンターテイメントに徹しつつも、意義ある小説にしあがっている。小説って、おもしろーい、と ひさびさに感じたですよ。めったに よまないですから、ええ。

馬場俊明(ばんば・としあき)『「自由宣言」と図書館活動』や柴谷篤弘(しばたに・あつひろ)『われらが内なる隠蔽』、ジョナサン・ローチ『表現の自由を脅すもの』などをよみかえさねばと感じた。『表現の自由を脅すもの』は、まだ てもとには ないんだけども。ともかく、わりかし興味ぶかい本なのです。図書館についての本なら かなりあるし、『図書館戦争』の巻末にも参考文献が あげられているが、税別5000円という値段でも しんどくないということであれば、日本図書館協会による『図書館ハンドブック』をよんでみてほしい。まあ、それこそ図書館を利用して よめばいいわけだし。わたしの てもとにあるのは、2005年の第6版。たとえば、岩波の『事典 日本の多言語社会』なんかをよんでるような ひとは、ぜひとも『図書館ハンドブック』も ひもといてみてほしい。世界が ひろがるから。刺激にもなるだろうしね。歴史についてのものなら、石井敦(いしい・あつし)1972『日本近代公共図書館史の研究』や、東條文規(とうじょう・ふみのり)2005『図書館の政治学』青弓社ライブラリーがあるし、てっとりばやく、内容もすぐれた本なら『新版 図書館の発見』NHKブックスがいい。

いやー、いま現在の研究テーマに関連する小説が よめるなんて、うれしいこったね。しかも、これだけの内容。

設定が非現実的だという非難もあるのかもしれないが、その物語のなかでのリアリティが いきづいていれば、それはすでに作品として成立してるんであって、作品に現実味を要求するのなら、その物語の文脈に即して判断すべきだ。わたしゃ、じゅうぶんに たのしめましたよ。

わたしが公共図書館に興味をもったのは、高校3年のころから地域の公共図書館に かよいつめてきたということもあるが、なによりも ある一部では著名な図書館員のかたから ご連絡をいただいたことが もともとだったと おもう。論文の一部引用転載をしてもよいかの確認のメールだったのだが、それ以来、すこしづつであるがメールを交換するようになった。ありがたいことだし、こうして世界は つながっていくのだなと、感慨ぶかいものがある。縁というものは、偶然のようでいて、ただの偶然ではない、いくらかの必然性をもっている。「素地」というのかな。これからも、であいをたいせつにしたいものである。だから、連絡をとりつづけねばならんね。

グーグル:「図書館戦争」
コメント ( 0 ) | Trackback ( 2 )

解釈と料理は自由

料理っつーかね。文章でも映像でも、どんな表現物でも、どういうふうに うけとるかは うけての自由だ。

わたしは、なんかしらないけどブログかいてんだけど、べつに なにかをかたるにあたって「とりこぼしのないように」とか、そういう配慮はいつもしない。どーでも いいからってのもあるけど、このブログのよしあしを自分の名刺がわりにするつもりはないからだ。ま、このブログで わたしの人物像やら評価がだされたりするのは、当然だし、自由だし、そんなもんだけど。

たまたま わたしと仲よしだったり、はなしをする関係だったりするひとが、たまに ちょろっと よんで、てきとーに消費したら いいことで、頭で つっこみいれたり、たまに あいづち うってくだされば それで いいんですやね。

たまーに、このブログが おもしろいというひとがいるけど、正直どうかと おもう。なるべく、まじめに かいてみたり、紹介してみたり、エンターテイメントに徹してみたり、全部まぜてみたりしているが、おもしろいというほどのもんじゃない。

まじめなのか、ふざけてるのか わからないような、冷静なようで とりみだしてるような、そんな感じ。

逆にですよ。たまに いやになってくるのは、論文をよんでくださったひとから「わかりやすかった」「よみやすかった」という感想をもらうこと。よみやすさをめざしてるんだけど、それだけしか のこらないんではねえ。とっかかり、ひっかかりが ないと だめなんだろうねえ。冒険する、あえて すきをのこす、びっくりさせる、などのトリックをとりいれる必要があるんだろうか。もうそうなってくると、論文でもなんでもなくて、よみものなんだけどね(笑)。エッセイストになるんなら、それでもいいが。

いあね、「わかりやすかった」といわれるのは、うれしいですよ。すなおにね。ま、「あの部分って どうなの? なんか違和感あるのよ」っていう つっこみが ほしいってことだろうな。

ともかく、「なんとなしにやってるブログ」に たいした価値はないし、おもしろいはずもない。内容がまともなわけないし、違和感をあちこちに いだかないほうが おかしい。

ま、その程度にあしらってくださいな。おもしろいだなんて いわれても、全然うれしくない(笑)。「へー。そういうひともいるんだ」とは おもうけど。理想的なのは、よむことよりも自分の頭つかうことに熱心になってほしいなと。これは素材にすぎませんよと。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

立場と主張と

1. だれの発言であろうと、ただしいことは ただしいんだよ、こんにゃろー。
2. あんたが それ いうんかい。あきれるにも ほどがある。

1のほうはさ、科学理論なんかを想定すると わかりやすいでしょ。
2のわかりやすい例は、イシハラシンタローのような くそったれが、移民をとりいれていくべきだなんて発言してたのをおもいだしてください。わたしも よくおぼえてないけど、そんなこと いってたでしょ。

立場性というのか、たち位置というのか、ポジショナリティというのか、まあ、主張(言説)の でどころと文脈を把握すること。こりゃね。あたりまえすぎるほどに重要で、客観的な立場なんてのは うたがってかかるべきですよ。科学でさえもね。けーれど、それだけに満足して そのさきにいかないのも どうかなと おもう。たまには、「うっせー、だれの発言だろうと、ただしいことは ただしいんだよ、こんにゃろー」と いうてもいいし、その必要がでてくる場面てのが あると おもう。わたし自身は、「ただしい」って表現は滅多のことがないと つかわないけどね。

当事者だからどーだとか、当事者じゃないからどーだとか。「わたしは ここに いきているから」というだけで、「かかわっていく」正当性はあるんだよ。死ねとでも いいたいのか、だまれと いいたいのか。え?

どのように かかわるのか、かかわることで なにが どうなり、それは なにを意味するのか。それはね。いろいろ かんがえないといけないことってのは ありますわよ。けーども、慎重になろうとしすぎたり、慎重になりなさいと だれかに要求することには、ちょっと慎重になりたい(笑)。

(それが おちですか。(いや…

ま、さきにあげたイシハラの例だけど、あれなんかは まさにイシハラらしい発言だったわけで、安易に都合のいい労働力として つかいたいだけ、難民をもっとうけいれるべきだという人権思想はなく、「ごちゃまぜ集団のほうが優秀」とかいう くだらない発想。「おめーが ゆーな」ってのは、「移住労働者に排他的な日本社会」というものの外側に自分をおいた発言だったということね。てわけで、ううー、例としてイシハラは不適当だった。ポイッ。

聖人君子でもなく無罪でもなく前科もちだけど、それでも かかわるんだと きめたのなら、やりゃ いいんだよ。だれの許可も いらねんだから。許可って、かみさまにでも おうかがいするんかい。

かるく はなしかわるけど、イム・ジヒョンさんの『敵対的共犯者たち』をよんでる。やっぱ共感できるねえ、イムさんのはなしは。イムさんのいう敵対的共犯関係というのは、韓国対中国とか、韓国と日本とか、南北朝鮮とか、いろいろあるみたい。それらの関係の非対称性というのもイムさんがインタビューで指摘されて みとめてるとおりなんだけど、非対称性だけをもって、沈黙すべきだなんて はなしにしてはいかんと おもう。韓国の右翼は、韓国の非転向長期囚を「未転向長期囚」だなんて いってきたんだよ。まだ転向しやがらないが、いまにでも転向させるぞってやつですよ。むなくそ わるい。

被差別者による解放運動というのも、そんなことに参加せざるをえない状況をつくりだした多数派に問題も責任もあるわけで、解放運動の にないては、被差別者であるべきなんて はなしはない。少数派にいらぬ二重の苦労をさせている多数派の責任があるだけだ。少数者の運動を賛美することなどできない。少数者による運動に成果があったとしよう。それは、二重の苦労をさせてしまったという多数派の過失が しめされているにすぎない。

お茶のんで こたつで ぬくぬくしてるのが一番いいに きまってんじゃねーか。

(それは、どういう意味でだ(笑)。ラクしたいというはなしか、社会運動「なんぞ」に労力をついやさせたことを問題にしてるのか。それって、社会運動をおとしめた発想でもあると おもうがな。

いや、きまってるもんは きまってるもん。こたつで ぬくぬく最高やん…。わたしは、いつも ふとんのなかで かいてますがね。ええ、いまも。


きょうは、このへんで。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

かぜなんか ひかないて おもてた

かぜなんか、ひきそーになっても あさ おきれば なおるもんだと おもってたよ。

にちよーの よるに、かんぜんに かぜひきさん じょーたいになって、げつよー がむばって はたらいて、きょーも いちお しごと。らいしゅーの かよーまで やすみないのねー。ちょっとくらい かぜ ひいてても できるというか、ただ くしゃみと みずっぱなが じゃまくさいだけなんだけど、うっとっしーーー。

なんかね、ふーぶつしになってんけどね。わたしが でかいこえで くしゃみすんの。それがさらに ひどいことになってたお。いしがまの あたりは、ほこりっぽいのかもねえ。いしがまってのは、ぴざを やくとこなんすけどね。

まるげりーたは、なんど やいても うまそーに みえて、おもわず くいたくなってくる。うちの まるげりーた うまいしね。

みやざわ・りえさんの やまぐちべんは、いただけなかった。『つりばかにっし』のやつ。こーちゃ すすりながら 10っぷんくらい みただけなんだけど。だいほんを じぶんりゅーに よんだだけのよーに かんじたな。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

必然性はないことを指摘すること

1. いまは、こうなっているが、その必然性はないのだと指摘すること。ほかのありかたも ありうるんだと言明すること。

2. だけど、序列が めばえてしまうのは、さけようがないのではないかと おもいあらためること。

どちらも必要である。しかし、3.「さけようがないから、それもまた結局おなじ構造をうみだす」というはなしにしてはならない。

先見の明は、さきをみすぎていても だめで、「めのまえ」をみていても だめだ。

あがきつづけることで、変化をつくりだしていく必要があるから、理論をくみたて、はなしを整理し、主張をおこなうのだ。徒労感と絶望にまどろむために、あえてふみこむのではない。「そのさき」が たとえ みえなくても、いまは それでいいのだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ふたつのメール

◆友人からケータイメールが とどいていた。わたしにとっては悪夢だった2月に、そのひとに わたしがおくったメール。それが全文引用されていた。そのひとは、ずっと事情をしらなかったんだな。きのう はじめて、いまになって、事情をしることになったので、わたしのメールの意味をようやく理解したようで。そういうことだったのかと。

切実な気もちで自分が かいたメールを時間差で みせられて、おもわず なきそうになった。いま、これ かいてて、なきそーだよ、おい(ぶは)。

◆土日のあつまりで、あることをおもいだしていた。いつの日か おくったメール。あれはいつだっただろうかと。3年まえのいまごろだった。わたしが いいたかったことは、代打満塁ホームランによって つたわったようで。

◆どうか、リンクしていってほしい。すべてが。いろんな つながりが、いろんな意味をもち、突拍子もない化学反応をうみだし、そして、いいように、いいように変化してほしい。

そして、40をすぎた だれかさんのように、いつかは、居酒屋で酒もまわりながらも、「いきててよかった」と つぶやきたい。きこえるように。つたわるように。

◆応援してくれた、あなたは もういない。けれども、わすれることはないでしょう。いまになって、まともに追悼文をかけそうだよ。たぶん、かなしいからではなくて、うれしいから。すべてが。

どうもありがとう。

(なに、この感謝モード。てゆーか、感謝のやすうりバーゲンセール)。
世の中を、あとどれくらいよくしていけば、善良なひとが絶望せずにすむんでしょうか。善良であろうと、そうでなかろうと。とにもかくにも。と、ちょっとかんがえています。
ふーん。感傷で勝負すんな、ぼけ。おんどりゃああああ。 >自分
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ほりおこす

なにも かにもが あふれている。なにかが でてきても、やがては すがたをみせなくなる。たちかわり、たちかわり。とってかわっていく。

だから じっくりと、そして のんびりと、わたしは ほりおこしていきたい。

めだつ ひと、めだたない ひと。なの しられた ひと、そうでない ひと。その かくさや ちがいは、どうしても うまれてしまう。けれども、それでいいとは おもわないのだ。

しあわせなのは、「ほりおこすこと」ではなくて、それをつたえる だれかが いるということだ。どうも ありがとう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

うわ、4月だよ

時間すぎるの、はえーのなんのって。

やすみが とれねー。あたまから連休とったら、なおのこと とれねー。どーも体力がついてしまっていけません。11時間はたらいて、あんま ねむくならないのって どーなんだろ。いちお3連休ってことになるのね。31、1、2と。なんか月にとれる やすみが7日になった悪寒。さらに、そのうち2日は講座で…。あれ? ま、たかがしれてますけどもね。(←このへんで自虐的なことをかきそうになったが、ほかのひとまで おとしめることになるので自粛(笑))

ひさびさに新幹線のってきます。つくまで なによもうかしらん。『日本の文化ナショナリズム』平凡社新書にしとこ。

刺激をいただいてきます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )