夢がつくる記憶はこわい

ごくたまーに うなされて目がさめる。

わたしは むかし、ひとをころして うめた。「そういう夢」を何度か みたことがある。

おきてしばらくは、えーーーーー??? そうだったのか、そんなことをしたのか???と、恐怖に おののく。

たとえばケーサツに突然つかまり、取調室で「12年前に これこれこういう事件がありました。犯人は あなたでしょう?」と きかれたら、「………。はい、わたしです…。」と こたえないという確固たる自信はない。こわいなあ。「記憶」って こわいよ。あやふやすぎてさ。ま、そんなことは してないんだから、じっさいには否定するだろうけど、もちろん(笑)。

「夢診断」なんて、絶対されたくない。おそろしい。そもそも不愉快だ(笑)。

ということで、グーグル「夢診断」
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『心は実験できるか』

ローレン・スレイター『心は実験できるか-20世紀心理学実験物語』をやっとのことで よみおえた。

この1年ほど心理学についての本をあれこれ よんでいるけれども、この本が一番よかった。著者は心理学者/臨床心理士にしてノンフィクションライターだ。サイエンス・ノンフィクションってのは、よみごたえがあるもんですね。

著者は、10の心理実験を物語風に記述している。実験者や被験者、その実験の支持者や批判者など、さまざまな関係者に対してもインタビューをおこない、なおかつ、「自分」をその物語に うめこみ、自分の内省をまきこんでいくかたちで読者に かたりかける。

どれもが(すくなくとも心理学者にとっては)有名な心理実験であるだけに、手垢にまみれ、風評とステレオタイプにとりかこまれ、その実像は むしろ ぼやけてしまっている状態にある。著者は、その現状を把握したうえで、ちがった視点を提示したり、インタビューのなかで逆に提示されたりしながら、ふたしかで二分法ではわりきれない、さまざまな心理実験のもつ意味を模索し、なにが あきらかになり、なにが いまだ不明なのかを確認しようとする。

そのほとんどが、倫理的な観点から問題のあるものばかりなのだが、著者は「倫理的観点だけ」に たとうとはせず、人間というもの、生物というものが どのような存在であるのかを、実験結果から みつめようとする。それだけではなくて、「そのような実験が おこなわれたこと」をも、人間のありかたをみつめる手がかりにする。

この本であつかわれている すべてが実験室における心理実験というわけではないが、どちらにしても、心理実験/心理学の研究成果には、とほうもない疑問が いやおうなく あてがわれる。――「だから どうしたのか」と。そう、いちがいには いえないのだ。「それが どのような意味をもつのか」、「だったら、どうだというのか」については、人の数だけ意見が わかれてしまうのである。

この本で著者が とっているスタンスにしても、評価が わかれることだろう。心理学というものが、歴史的に、あるいは いま現在、どのように位置づけられるのか。わたしは どのように位置づけんとするのか。それをぬきにして、この本の評価は さだまらない。

読者に もとめられるのは、この本で かたられた物語だけに満足したり、なんらかの結論をだすことでは ないだろう。それぞれの研究結果が、どのようなかたちで社会で受容され、消費され、また、ひとりあるきしてきたのか。それをきっちりと把握していく作業ではないか。つまり、この物語を自分なりに うけとめたうえで、この物語では かたられなかったことを、自分なりに つむぎだしていくことではないか。

そんな めんどくさいことを…。とも感じられるだろうが、この本には それだけの魅力があるということだ。完結しえない物語をつむぎだしていく。それは、人が いきていくということ、人生そのものだからである。

グーグル:「心は実験できるか」 / 「完結しない物語」
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「心理学化する社会」のなかで

前から ほしかった◆ウルズラ・ヌーバー『〈傷つきやすい子ども〉という神話-トラウマを超えて』が文庫になっていた(岩波現代文庫)。

よしよし、これでトラウマ関係の本は だいたい そろった。うえの本と おそろいでオススメなのは◆ロルフ・デーゲン『フロイト先生のウソ』(文春文庫)。これは よみやすいし、勉強になる。

あと、いまさらながらに発見したのが◆實川幹朗(じつかわ・みきろう)『思想史のなかの臨床心理学-心を囲い込む近代』(講談社選書メチエ)。この本は、心理学が近代の産物であることを指摘し、「現代社会の心の病」をうみだす構造と おなじ構造のなかで臨床心理学の実践と理論が成立しているのではないか?という問題設定をたてている。同時に、臨床心理学を「宗教的なもの」として とらえて論じている。おもしろそうな本だ。メチエは、いい本だしてるなぁ。

「心理学化する社会」というコピーは、◆樫村愛子(かしむら・あいこ)『「心理学化する社会」の臨床社会学』によるもの。まだ入手してませんが。かわりに◆斉藤環(さいとう・たまき)『心理学化する社会-なぜ、トラウマと癒しが求められるのか』をかるく よんだ。まぁ、おもしろい。自分自身も批判の対象にならざるをえないことを自覚しつつ かいているのは いいのだけど、「事件報道にかつぎ出される精神科医」の章で、メディア対策として「僕は『精神分析』という、たいへんうさんくさい立場からコメントする。精神分析家ですらない僕が精神分析的に語ることで、『真実の語り手』という立場を、常に免れることができるはずだ」というのは理解できなかった。世間一般において、精神分析というのは「たいへんうさんくさい」のだろうか。まだ そんなことはないと感じられる。自分も「真実の語り手」と みなされるだけの権威をもっていること、もたされていることを自覚したほうが いいのでは ないか。

最近でた本で すばらしいのは◆宮地尚子(みやち・なおこ)『トラウマの医療人類学』(みすず書房)。「大学で平和社会論を教えるいっぽう、精神科医として医療人類学・文化精神医学にかかわり、性暴力についてのカウンセリングや難民医療にも力を注いできた」という著者の活動内容と問題意識が、非常に力づよい本にしている。すこし引用しよう。
共感の政治学。誰が誰に共感をもって、痛みを感じ取るのか。誰が誰と自分を同一視して、敵味方の構図を作り上げるのか、痛みを感じ取ることはどう憎悪と復讐に結びつけられるのか。報復を声高く叫ぶ者ははたしてトラウマの当事者なのか。本来言葉には簡単にならないはずのトラウマが饒舌に語られるときこそ、私たちはその言説の空間配置に注意深く目を向ける必要がある。(14ページ)
これは、すごくすきな文体だ。ただ、「トラウマは本来言葉にならない」(9ページ)という、著者の宮地さんにとってはもっとも重要な点が、すこし ひっかかってしまう。「言葉にならない」というのは、トラウマという概念の恣意的なところが よく あらわれていると感じる。恣意的であるがゆえに、「ことばにしえたケース」が不当に評価されてしまう余地も のこしているのでは ないか。とはいえ、トラウマという概念をつかって現代の社会問題を論じようとしたアプローチそのものを否定するつもりはない。宮地さんが指摘しているように、「もっとも大事なことは、『人が傷つくのは同じ』というきわめて単純なこと」(7ページ)であり、トラウマ概念そのものでは ないからである。

グーグル:「心理学ブーム」 / 「心の時代」
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性格とは なんぞや

血液型は性格に影響するのか。わたしは しないと おもいます。

素朴な実感だろ?と いわれれば、「はい、そうです」としか いえません。ともかく、血液型は性格に影響するということを信じる(正確には、科学者に信じさせる)ために必要なこと、というのは なかなか ややこしいようです。渡邊芳之(わたなべ・よしゆき)さんがABOFANさんと議論したものがあるので紹介しておきます。はげしく長文なので、つまみぐいしてください(→「ABOFANさんへの手紙」)。

血液型こそが性格をきめるという話なのか、影響しますよという話なのか よく しらないけれども、「性格」って なんだ?ということを安易に定義しているという印象がある。性格って、そんなに かんたんに定義できるもんじゃないですよ、という話は きいたことがあった。

そこで、やまだ・ようこ編『現場心理学の発想』をひもといてみた。佐藤達哉(さとう・たつや)さんの「概念や尺度に惑わされない性格研究を」に注目。佐藤さんによると「性格の素朴実在論」と よばれるものがある。それは、性格というものが内的に実在し、性格を記述したものはその人の性格を正確に反映しているという前提をいうようだ。これをミシェルという人が批判し、アメリカの心理学で「一貫性論争」とよばれる大論争が20年以上に わたって展開されたと。あたらしい定義を紹介しつつ佐藤さんは「性格とは人と状況(他人や環境)との関係性」であるとしている。はげしく話を省略しているので、よく わからないと おもいます。ともかく、「性格というものが個々人に そなわっている」とは安易に いえないということですね。すくなくとも、学問上はね。

それは、ドイツ映画『es』なんかをおもいだしてみても、納得のいく説明だと感じられます(『es』は実話にもとづく映画。心理学の実験で看守役と囚人役をあてられた一般人が はげしく暴走する姿が えがかれてます。暴走したのは、まぁ看守役ですけども)。

グーグル:「一貫性論争」 / 「監獄実験」
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「味覚嫌悪学習」

ひさしぶりに のみ会。日本酒をのんだ。コップ1杯で はいた。水とアイスティーをのむ。すこぶる まずい。

だれでも だいたい経験あると おもうんですが、はいた後に のんだ のみものは、しばらく のめなくなること ありますね。ちょっとググったわけですが、「味覚嫌悪学習」なんてな専門用語をみつけました。はやいはなしが、パブロフとかで有名な行動主義心理学の用語。なんかイヤな経験をして そのとき たべた味が イヤになるってこと(「条件づけ」ね)。水はともかく、アイスティーはしばらく のめないかも。まぁ、もともとアイスティーなんか あんまり のまなかったんで かまわないけども。ところで、行動主義心理学より行動分析学のほーが一般的な用語みたいですね。院生のころ、「スキナーの箱に いれるぞ、こらっ」なんて じょうだんが あったな。

グーグル:「味覚嫌悪学習」 / 「行動主義心理学」 / 「行動分析学」 / 「スキナーの箱」 / 「スキナーボックス」 / 「条件づけ」
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